第3話

 城市一番の大店、『長葉明』。幼い子供でも知っているこの店は、城市の中央にある役所の南門外に位置している。ほかの建物よりも大きく、遠くからでも目立つくらい立派だ。


 店先には櫛や簪や腕輪に首輪といった女性用の小物が並んでいる。手ごろな値段に反して、決して手を抜いてはいない細かい作りのものばかりである。それぞれの小物は、花鳥風月をかたどった意匠を組み合わせ、紅、鮮緑、天色、藤黄、青紫、鶯などの色を配して、見た目にも鮮やかである。

 そのせいで地味な色合いの店内は色彩豊かに染められていた。見ているだけで長い間楽しめるほど、品数も豊富である。


 しかし、長葉明が大店なのはこれらの品が売れているからではない。名家や裕福な客といった特別な相手用の高級品も仕入れて売る。農民が副業で作った絹や綿の織物も買い上げて売る。この地方の特産品の行商もすれば、米や茶葉、酒や陶器類などの産地へ出かけては仕入れ、それを必要な地域へ売ることもする。つまり、商売になることは手広く何でもする。幅広い客層も有している。それが城市随一の大店たる所以だった。

 そして店はここだけではない。襄国各地にいくつもある。おかげで人々からは『知らぬものなしの長葉明』とあだ名されていた。


 その誰もが知っている店に戻る途中で、浙冶は声をかけられた。


「あ、いたいた! 浙冶さーん!」


 まだ幼さの残る少年の声でとても元気がいい。浙冶は足を止めて相手を確認すると、少し表情を緩めた。


清羽せいは、お前、まだいたのか?」

「うん、今日までなんだ。だからみんなに挨拶をしに回ってるよ。浙冶さん、本当に今までありがとう!」

「いや、なに」


 弾けるような笑みを向けられて、先ほど役人に暴言を吐いたばかりの浙冶は毒気を抜かれた。役人相手には傲岸不遜でも、子供相手に大人げない態度はとらない。


「ぼくは浙冶さんにたくさんお世話になったから。今回のことも母さんが一番喜んでるんだ。おかげでこれからもなんとかやっていけるよ」

「俺はたいしたことをしていない。お前の努力の結果だ。ところで、なんか俺に用があるんじゃないのか?」


 一生分のお礼を言われたような気恥しさを覚え、それを隠すために浙冶はわざとそっけない態度で話題を変えた。


「あ、そうだ。旦那さまが部屋まで来るようにって」

聞いた途端に機嫌が悪くなり、浙冶は顔を顰めながら頭を振った。

「親父が? なんで!? あーっ! 面倒くせーー!!」

「僕の最後のお仕事だよ、浙冶さんを呼んでこいって。じゃあ浙冶さん、元気でね」

 清羽の屈託のない笑顔とは対照的に、浙冶は一気に疲れたような表情になった。力なく手をひらひらと振ってみせるが、別れの言葉はしっかりかける。


「ああ、お前も身体に気を付けてしっかりやれよ」


 店に戻り、先ほど取り返した腕輪を棚にしまう。客でごった返す店内を突っ切って人目につきにくい奥の戸を開けた。そのまま戸の向こうへのろのろと歩いていく。

店の裏は家屋となっていた。その家屋も店同様に、周りの建物と比べればかなりの広さだ。ここで働く店の者の半数以上は住み込みである。そのため、部屋数は大型の宿屋並み。しかし、内装は極めて質素で、贅沢品は影も形も見られなかった。

 目的の部屋は一番奥だ。着いて一旦、深呼吸をする。


「親父、浙冶だけど。入るよ」


 戸の前で声をかけてから部屋に入った。すると、口髭の見事な男が視界に映る。この男が長葉明を有する主人、葉玄亥ようげんいだ。巷では『義を重んじる商人』として、慈善活動もする大商人として有名だった。浙冶にとっては拾ってもらった恩がある養父でもある。

 浙冶が近寄ると、玄亥は机の上に広げた地図を眺めているところだった。


「北の防衛所までここからどれくらいかかるか、分かるか?」

挨拶抜きで唐突に聞かれた。地図の、とある地点を指でコツコツ叩いている。玄亥は顔も上げていない。浙冶は地図をのぞきこみ、少し考えてから答えた。

「え? あー……十八……いや、二十日ぐらいかな」


 徒歩なのか馬車なのか、移動手段はわざわざ尋ねない。

 防衛所は国境付近を異民族から守るために軍が駐屯しているところである。そして、これは仕事に絡んだ話のはずだ。なおかつ兵たちがいる場所へ行くなら仕入れではなく、ここから物を運ぶことが前提のはず。品にもよるが、浙冶は荷馬車を使った移動日数を、地形を見ながらおおまかに計算した。

 その答えを聞き、玄亥は二度頷いて唐突に言った。


「塩をだな、取引する」

「は? 塩? なんでまた」

浙冶は聞き返しながらもそこで、なぜ防衛所の話が出たのかを理解した。


 塩の売り買いをする。


 玄亥が突然言いだした理由は分からないが、それは別に構わない。長葉明が取り扱っていない品で重要かつ儲けが大きいものといえば、塩くらいのものだ。だから、手を出したいと言われればそれは分からないでもない。

 ただ、ひとつ難点がある。塩は産地に行って直接手に入れられるわけではない。


「すっげー面倒だろ、相手が役人ってさぁ。手に入れること自体が手間だしな」


 国の辺境にいる、夷狄の侵入を防ぐための兵。彼らの食糧を納めることで、唯一、塩が手に入れられる。その過程はとても手間がかかるうえに相手が兵やら役人やらで、正直、自分ならやりたくないと浙冶は心底思う。それを玄亥がやりたいと言い出した。


「あー、まあ、親父がやりたいなら、俺は止めはしないけど。じゃあ、頑張って」

当然のように、まったくの他人事として浙冶は答えた。ところが。

「何を言っておる。お前がやるのだ」

「はぁ?」


 寝耳に水といった感じで浙冶は頓狂な声を上げた。当たり前じゃないかといった表情で玄亥は続ける。


「年寄りにきつい旅をさせるつもりか」

「年寄り? 何言ってんだよ。親父なんかまだまだ年寄りの部類には入らないだろ」


 ついこの間も仕入れの旅に行ってきたばかりである。対して、浙冶は一度も仕入れ旅をしたことがない。それ以前に長葉明に来てから、この城市からは一歩も出たことがない。


「けどさ、お役人相手ならなおさら、俺じゃないほうがいいだろ」

 呼ばれたときから嫌な予感しかなかった。が、一応、無駄な抵抗をしてみる。無理だとは分かっていても。すると、玄亥は意外なことを口にした。

樊季はんきもつれていけ」


 その名前を聞いた途端。浙冶はものすごく嫌そうな顔をした。


「はぁ? よりによってなんであいつを? あいつって一緒にいるだけで、面倒ごとを綿の花みたくポンポン増殖させるだろうが。綿のほうがまだ役に立つけどさ」

 父親の前で、その実の娘の悪口を平気で言うところが浙冶である。

「あれでも意外と役に立つぞ」


 厳つい顔の玄亥でもさすがに表情が緩んだ。昌の城市一、どころか、襄国一美しいと方々で囁かれる自慢の娘。容姿端麗という言葉がぴたりと合う。三月前には国唯一の大貴族の子息から求婚をされ、それを受けた。が。


「それ、買い被りすぎ。あいつ見た目はめちゃくちゃいいけど。連れてく必要、まったくないだろ。だいたい、あの顔じゃあ、どこへ行っても目立ち過ぎる。一応、あれでも、大貴族さまの許婚なんだからさぁ、傷物にならないように家から出すなよ」

「人の上に立つ身分の御方に嫁ぐのだから、城市の外の人々の様子も知っておいた方がいいだろう。顔は隠せば問題ない」

「でもさぁ、常識的にいって、大事な年頃の娘を男と一緒に旅させるのって親としてどうなんだよ?」

「お前が樊季に対して何かことを起こすとは思えないがな。樊季もお前なんかを相手にはせん」


 信用しているから、とは違う物言いだ。浙冶は不貞腐れた、ふりをした。そして必死に抵抗を試みる。


「ならこの件、俺じゃなくて東宜とうぎにやらせろよ。樊季とは仲悪くないんだし。さすがにあいつも手は出さないだろ。いずれにしろ手形や通行証のやりとりってさぁ、身元証明が必要だろ。俺じゃマズいんじゃないの?」

「東宜はな、『仕入れたい品があるから行かせてくれ』と頼みにきたので許可した。だから、でお前しかいないのだ」

 今、親父、何気にひどいことを言ったよなと浙冶は心の中でつっこんだ。


「だから、身元証明に樊季を使え。役人との交渉もお前が教えてやらせろ。いい機会だから、ほかにもいろいろ教えてやれ。意外に商才もあるかもしれんぞ」

「それって冗談か? あいつに商才なんてあるわけない。親父、よく知ってるだろ、ムダ」


 浙冶は、養父の言葉をひとことで斬り捨てた。実の娘をけなされてさすがに気分を悪くしたのか、玄亥はむすっとした表情になった。


「さて。それで? お前は行くのか、行かないのか?」

畳みかけるように浙冶に質問をする。浙冶は舌打ちをした、聞こえるように。

「逆に聞くけど。俺に拒否する権利ってあるの?」

「そんなこと、お前は知っているはずだな?」


 そう、そんなこと、言葉にしなくてもすでに決まっている。

「行かない、なんて言うわけないだろ。はいはい、分かりました。せいぜい頑張って行かせていただきます!」

 観念して浙冶が承諾の意を告げると、玄亥は地図を投げて寄越した。

「目的地は決まっておる。期限に間に合うなら、お前が行きたいように行っていいぞ」


 地図を渡されて、初めて浙冶は関心を示した。防衛所までの道筋とその後に行く塩田までの旅順。さっきよりも具体的に、それを頭の中に描いてみる。

「あー……何をしても、いいわけ?」

「お前の責任でやるなら儂は何も言わん。ただし、ふたつ条件がある。ただ塩を売るだけで満足するな。あと、樊季は必ず連れていけ」

「は? 満足するなって? ってか、あいつ連れてくのは必須かよ!」


 玄亥はそれらの問いに一切答えず、「行っていいぞ」とだけ言い、手で追い払う仕草をした。

 浙冶は溜息をつき、地図を折りたたんで部屋を出た。

最後の言葉の真意がつかめなかっただけでなく、手がかりさえも教えてもらえなかった。あと、残念ながら樊季の同行はやはり決定事項のようだ。


 浙冶はさっき見た地図を思い浮かべた。行きたいように行っていいと言われたが、道筋はほぼ決まっていて選択肢はほとんどない。ただ、日数の配分で行くことができる場所がある。道中やりたいことも。


 そのためには、今から一番やりたくないことをしなければならない。浙冶はそちらへ向かった。

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