　幼（おさな）い頃から蒐集癖（しゅうしゅうへき）があった。

　転勤の多い父のもとで育ったせいだろうか、私にはおおよそ故郷（こきょう）と呼べそうな土地がない。様々な地方を巡っては去っていくという目まぐるしい暮らしの中にあって、私の蒐集癖（しゅうしゅうへき）は自然と身に付いた防衛機制（ぼうえいきせい）のようなものなのかもしれない。

　短くはあれども、腰を下ろした土地に由縁（ゆえん）のあるものを一つだけ持ち帰り、お菓子（かし）の入れられていたスチールの小箱に詰（つ）めること。それが幼（おさな）い頃に私が自身に課（か）したルールであり、そうすることで、その土地で起こった出来事（できごと）を小さな思い出にして持ち帰ることができるような気がしたのだ。

　どれほどささやかな思い出でも私は貪婪（どんらん）に欲していた。人や土地との繋（つな）がりに飢（う）えていたといってもよいだろう。あの頃の私はそういった欲求不満（フランストレーション）を蒐集癖（しゅうしゅうへき）という形で誤魔化（ごまか）していたような気がしてならない。

　大人になった私の手元にはそれら多くの蒐集物（しゅうしゅうぶつ）はもう残されていない。時間が過（す）ぎ行（ゆ）く中（なか）で執着（しゅうちゃく）ともいえるような欲求は次第（しだい）に冷めていき、自己が確立されていくと同時に思い出に固執（こしつ）することも減っていったのだろう。あれほど熱を上げて集めていたガラクタも、結（むす）んだ両手の隙間（すきま）からポロポロと零（こぼ）れ、今となっては数えるほどしかない。

　級友（きゅうゆう）のＹが自殺したという訃報（ふほう）が郵便受けに届（とど）いた日、私は久しぶりにかつて小さな思い出が詰められていた小箱を開くことにした。

　目当ての物はすぐに見つかった。一握りほどの無骨（ぶこつ）な石である。隙間（すきま）の方が目立つ小箱の中にあって、それは今まで大人しく、静かに眠っていたかのようであったが、私が箱（はこ）の蓋（ふた）を開いた途端（とたん）、それは目を覚まし、ギラギラとした強烈（きょうれつ）な存在感を発し始めた。

「あいつらに小突かれたらまた俺に言いな」

　石が私に語り掛けてきた。その声は記憶の中にかろうじて残っているＹの声である。乱暴者で喧嘩には滅法（めっぽう）強（つよ）く、同時に世話焼きで人情には厚かった中学生のＹが箱の中に閉じ込められていた。石はカンとした冷たい佇（たたず）まいのうちに、岩石の一部であったらしい荒々（あらあら）しい熱さを感じさせた。私はＹを思い出しながら石の表面を撫（な）でた。

「いじめられたらコイツを投げつけてやるんや」

　夏の陽射（ひざ）しが照（て）りつける学校からの帰り道、中学生のＹは何を思ったのか、私にこの石を投げ渡してそう言った。私は父の転勤が近いことと、これくらいのいじめなど今まででも散々（さんざん）にあってきてなんとも思っていないことをＹに告げた。

「せやかて、やられっぱなしはようない。一度、舐（な）められたらどこへ行っても舐（な）められっぱなしや。弱虫（よわむし）の臭（にお）いが染（し）みついてしまうんや。それはようないで。笑顔の裏でも牙（きば）を研（と）ぐことを忘れたらあかんで」

　Ｙはまるで自分が侮辱（ぶじょく）されたかのように怒りながら一生懸命（いっしょうけんめい）に話した。心の奥底（おくそこ）では人との繋（つな）がりに飢（う）えているくせに、表面上では人との繋（つな）がりに対して無関心を装（よそお）っていた中学生の私には、Ｙのような存在は新鮮であった。私はその土地での思い出としてＹという人物を選択し、彼から手渡された石を一つの教訓（きょうくん）として小箱に詰（つ）めた。

「笑顔の裏でも牙（きば）を研（と）ぐことを忘れたらあかんで」

　決して屈（くっ）しない人がいるのなら、それはＹであるはずだった。父の転勤に伴（ともな）い、その地を離れてからＹがどのような人生を歩んだのか、何を思って自ら命（いのち）を絶（た）ったのかは知（し）る由（よし）もない。しかし、強烈（きょうれつ）な印象（いんしょう）と教訓（きょうくん）を残して去っていった友人もついには膝（ひざ）を屈（くっ）することになった。

　私は掌（てのひら）で石を撫（な）でながら、この石もずいぶんと小さく思えるようになるほど時間が過ぎたということを噛（か）み締（し）めた。一人の友人が消え去ってしまった事実を掌（てのひら）に感じながら、私は「郷愁（きょうしゅう）」という言葉に思いを馳せた。長い月日を経て、私はようやく故郷（こきょう）を知ったような思いであった。

　箱の中には石があり、石の中にはＹいた。私はそれらと邂逅（かいこう）できたことを嬉しく思いながらも、それをもたらしてくれたＹが、どれほど手を伸ばそうとも届かないところへ、先に旅立ってしまったことを口惜しく思わずにはいられなかった。

　思い出の中の彼は燦然（さんぜん）と輝くような笑顔を私に投げかけるだけで、その心中（しんちゅう）を決して語ってくれそうになかった。ただ一つだけ分かることは、彼は虎視眈々（こしたんたん）と獲物を狙（ねら）って牙（きば）を研（と）ぐ、非情（ひじょう）な獣（けもの）ではなかったという事実だけである。牙（きば）を研（と）げ、という割（わり）には、Ｙはあまりに優しすぎたのだろう。私はＹの優しさを懐（なつ）かしみながら瞼（まぶた）を閉（と）じた。Ｙの屈託（くったく）のない笑顔が浮かんでは消えていく。