第4話 ピカチュウ
都会の人には信じられないことかもしれないが、私のバイトしている大型複合施設のフードコートにはマクドナルドしかない。もちろんこのショッピングモールが開業した当初はうどん屋さんも、オムライス屋さんも、たこ焼き屋さんも、ビビンバ専門店だってあったらしいのだけど、今は全部の看板に布がかかっていて、厨房は真っ暗だ。もちろん人もほとんどいない。閉業した飲食店に囲まれたたくさんの椅子や机だけが無意味に明度の高い蛍光灯に照らされている。
私は高校一年生の夏にこのゲームセンターでバイトを始めた。別に何か具体的な目的があったわけではないけれど、強いて言うなら、この田舎町を出るためには部活動よりも、恋愛よりも、バイトを始めることが最短の近道のような気がしていたのだ。地方都市の最低賃金で働く高校生に、果たして何ができるのかよくわからないけれど、どれほど薄給であっても毎月増えていく預金残高はどこか遠くの大都会へ近づいているような錯覚を私に与えた。
ゲームセンターのバイトは驚くほど単純だ。時にはトラブル対応をすることもあるけれど、大体は掃除、品出し、あとはカウンターに立っておくくらいで、メダルゲームのメダルは自動販売機があるし、そもそもお客がいないので景品の品出しもほとんどない。薄給には薄給に見合う仕事があって、私はそれに満足していた。
その日も高校が終わってバイト先に直行した。大体自転車で十五分くらい。この街のほとんどの商業施設が並んでいる三桁番号の国道を走る。夏になり始めたこの時期はまだ長袖制服なのにもうかなり暑い。自転車をこいでいると首筋や額にじんわりと汗が滲むのがわかった。
制服に着替えてカウンターに出ると、入り口付近のUFOキャッチャーに見慣れない人の姿がある。こんな言い方をするとやっぱり都会の人は驚くかもしれないけれど、私は大体お客さんの顔を覚えている。私がシフトに入る平日の午後にゲームセンターを訪れる人なんて限られているのだ。それも大体がお年寄りか、もしくは中学生である。
目に入ったその人は二十代半ばくらいに見えた。すらっとした細身の男性で身なりもこの辺りで見る人とは少し違うような気がする。何というかテレビや雑誌で見る感じ。東京の人なのだろうか。よくわからないけれど、その人はUFOキャッチャーをとた凝視している。
少しだけ脈打つ鼓動が早くなっていくのを感じた。もしかして不審者なのではないだろうか、いや、ショッピングモールの関係者だろうか、それともやっぱり単にお客さんなのだろうか。店長を呼んだ方がいいだろうか...。
見るとも見ないともつかず、視線をそのUFOキャッチャーコーナー付近に漂わせていると、その男の人はこっちにやってくる。何だろう。来ないで欲しい。私は薄給で働かされているのだ。面倒は困る。来ないで。
「あのぉ」
男の人はカウンターより一メートル手前くらいで私に声をかけた。
「何でしょうか」
私は素っ気なく、しかし一応は客対応の練習で教わったような口調で答える。
「あの台の景品、置き場所が間違ってますよ」
「えっ」
発話ともつかない音が私自身の意思とは関係なく漏れた。一瞬何を言われているかわからなかったのだ。いや、言葉の意味はわかる、わからないのはその意図だ。
「どういうことですか」
「えっと、あ、すみません急に。あの機種、珍しいタイプのアームなので景品はもう一つ奥の棚に積んだ方が良いですよ」
「えっと...」
まだわからない。今までにそんなことを言われたこともないし、働きはじめの頃の研修でも教わらなかった。そもそもUFOキャッチャーの景品に”正しい置き場所”なんて存在するのだろうか。
「あ、そうですよね。急に何言ってんだって話ですよね。僕、出張でこの近くに泊まってるんですけどUFOキャッチャーが趣味で。UFOキャッチャーって割と入れ替わりが激しいのでもう東京にはない機種がまだ地方には結構あったりするんですよね」
「なるほど...」
「それで、出張に行くと近くのゲーセンに行くようにしてるんですけど、久しぶりにあの機種を見たので少しテンションあがちゃって。急にすみません」
「いえ...。あ、景品位置をずらす話でしたよね、私バイトなんで店長呼んできますね」
「あ、いえいえ。僕はいいんです。もう割と遊んだし。でもせっかく貴重な機種があるんだからちゃんと景品も置いた方がいいかなって」
「はぁ...」
間抜けな返事になってしまった。
男の人はそれだけ言い終えると片手に持っていたピカチュウのキーホルダーをリュックのファスナーにつけてから、ゲームセンターを出て行った。私は彼が見えなくなるまで、背中で揺れているピカチュウを眺めていた。ピカチュウもやはり、私を眺めているようだった。
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