第二章 桜

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私の名前は渡辺桜。

名前の由来は両親がまだ若い頃、よく連れ立ってデートに行っていたとある観光地のから取ったらしい。

初めて会うひとはよく、春生まれ?なんて聞くが、2月生まれだ。

由来はともかく、私はこの名前を気に入っている。

なんせ、覚えやすいし、若い頃は職場のマダムや高齢の患者さんたちは下の名前で“桜ちゃん“なんて呼んで可愛がってもらえた。


そんな私の父はサラリーマン。転勤や出張の多い仕事だった。せっかく友達を作っても2、3年したら別れなければならない。少し寂しい幼少期だった。

母は結婚前、田舎の病院で医療事務をしていたが、結婚を機に辞め、専業主婦になった。よく手作りのおやつを作ってくれたのを覚えている。


最初の記憶は2歳ごろだっただろうか、父の赴任先のA島でいつも一緒に遊んでくれる近所のお兄さんやお姉さん(4、5歳の子たちと記憶しているが、定かではない)を追いかけて坂を走って下り、勢い余って転んでしまって膝を擦りむいて泣いて、母に抱かれて家に帰されたという何でもない幸せな日常のことだ。


私の母方の祖父母は九州のK県に母の兄(私にとっては叔父)一家と一軒家を建てて住んでいた。

私はこの祖父が大好きで、4歳くらいの頃だっただろうか。庭でおんぶをしてもらって、祖父が鼻歌まじりに『黄色いサクランボ』を歌ってくれたのを、拍子のように祖父が大きな足で砂利を踏み締める音まで覚えている。

後年になってこの歌が4歳の子供には些かのいかがわしさを持っていたことを知ってクスっと笑ったのは言うまでもない。

祖母は少し子供っぽいひとで、冷蔵庫のジュースを勝手に飲んだら「そりゃ私と父さんのだ」と言い臍を曲げてしまうような人だった。幼い頃はそれが苦手だったのだが、10代に差し掛かるとそれがどうしようもない茶目っ気に思えて祖母も好きだった。

一方、父方の祖父は早くに妻を亡くしたと聞いており、一人でH県に住んでいた。

私はこの祖父がどうも苦手で、子供らしくワイワイと騒ごうものなら怒鳴り散らされたものだ。分別がつくようになってからはこの祖父の前では快活なお転婆の本性をひた隠し、お淑やかでいなければならなかったので祖父宅を後にした時、頭痛を催すほどどっと疲れていた。

祖父には竹子という20年来の内縁の妻があったと聞いたが、私が物心つく頃に別れたしまったそうだ。

その後も七五三などのお祝いの時や小学校に上がる時などの節目にお祝いのお金を包んでくれていたそうが、私が覚えている彼女は私が20近くの頃に末期癌に冒され、全身が浮腫んで動くこともままならないのに上体を起こして朗らかな笑顔で迎えてくれた竹子さんだけだった。どう記憶の糸を辿ってもその1場面の記憶しか掘り起こせないが、それだけで竹子さんの人徳を知るには十分だった。

そういうわけで、父方の祖父は大きな土壁の家にひとりで住んでいた。いや、“ひとり“というには語弊があるか、彼は無類の猫好きで、3匹のそれぞれ三毛猫、虎猫、藤猫がおり、彼らと住んでいた。


私は生まれてから小学生になるまでに父の仕事の都合でK県、A県、N県、O府など全国を転々としていたが、父の地元のH県の幼稚園を卒業し、その後は九州のN県の小学校に行くことが決まっていた。

その頃より少し前から、父方の祖父と交際している女性がいた。

両親と同じくらいの年頃の娘が1人いる昭恵という女性だった。

私が小学校に上がる前に祖父は彼女と再婚することが決まっていた。

昭恵はすごく気前のいい女性だった。

その頃はもう、私には2つ離れたトオルという弟がいた。人見知りをよくする可愛い弟だ。

両親は私たち姉弟に“ほしい物を買うのは誕生日とクリスマスだけ“というルールを定めていたから。同年代の子が持っている流行り物を買ってもらうためにクリスマスか誕生日まで待たなければならなかったので、その時々欲しいと思ったものはその頃には既に時代遅れとなっていることが多かった。

昭恵さんはそんな私たちに気前よく流行り物を買い与えてくれた。

『新しい孫のご機嫌とり』なんて大人の事情に未就学児が気づくはずもなく私たちはすっかり気をよくしてしまった。

特に、人見知りの弟はよく懐いていた。

しかし、ある日フェリーに乗って観光地へ祖父カップルと私たち一家で行った時のことである。

ふと気の抜けた瞬間、昭恵さんは父に抱っこされて海を眺めはしゃぐ亨を睨みつける、と言っても足りない、例えるなら生物の生きることのできない、光の届かない深海のような、凍てつく冷酷な目で見ていた。

子供ながらにして、否、子供だからこそ事情や理由はよく分からないが直感的に彼女を“こわい“と思った。

それからしばらく彼女と会う時は弟が、自分がなにかとてつもなく恐ろしいことをされるのではないか、残虐なことをされるのではないかと密かに恐怖していた。

“密かに“ーーそのことは、周りの大人に知られてはいけない、気取られてもいけない“私だけの秘密“だった。知られれば、善良で親切な祖父の妻、私たちの新しい家族に礼を欠き“うそつき“呼ばわりした“礼儀知らずで恥ずかしい娘“になるからだ。

しかしどれだけ考えても、その“とてつもなく恐ろしく、残虐なこと“を彼女が私たちにしでかすことはなかった。

後この時もし心から信頼できる家族以外の大人ーー例えば竹子さんーーがいて、このおばかな疑いを相談していたら、未来は変わっていただろう。


春を迎え、私はN県で小学生となった。

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