8 夢境

「ストーカー、ですか?」

「リャナン・シーは獲物をその理想にのっとった、獲物にしか見えない女の姿で魅了し、その芸術家としての才能を引きずり出しつつも、引き換えにその精も根も吸い尽くして殺す。マン島の、より凶暴な逸話と合わせて、吸血鬼の一種と言われるようにね……まあ、吸血鬼と吸精鬼は似たようなもんとしてあつかわれるからいいとして」


 ちら、と減り具合を確認するのか、牽制けんせいなのか、茄子なすの揚げびたしの方に一度視線を向けてから、紀美きみは続ける。


「けれど、その一方で、定めた獲物に愛をうても、かえりみられぬリャナン・シーは、その男がおのれかえりみるまで従順に尽くす、とも言う。逆にかえりみた途端に、最早もはやしぼり取られる獲物と成り果てるわけだけど。ただ、キミの様子からして、そもそもキミがリャナン・シーを受け入れているわけではないし、実際にリャナン・シーが現れていないという証言が取れた」


 だからね、と紀美きみはにこりと笑った。


「発想の転換が必要だ、と思うわけだ」


 そう言った紀美きみの前に、ロビンがことりと茄子なすの揚げびたしをよそった小皿を置いた。


「接点は主に夢。これをどう取るか」


 言ってから紀美きみ茄子なすの揚げびたしを口に入れる。

 遅れて、直人なおとが小皿によそった茄子なすの揚げびたしを純也じゅんやの前に置いてくれる。


「あ、どうも……確かに、夢だけですね」

「……Somnus imago mortis.」


 何語か分からぬ言葉を唐突に口走ったのは、目の前でもきゅもきゅと茄子なす美味おいしそうに咀嚼そしゃくする紀美きみではなく、その隣のロビンだった。


「眠りは死の似姿。夢は古来から境界的merginal異域いいき。つまり、ヒトでないものの領分とヒトの。『仏は常にいませども、うつつならぬぞあわれなる、人の音せぬあかつきに、ほのかに夢に見えたもう』」


 つかえることなく、ロビンは表情を変えずに続けて、そのまま唐揚げを口に運んでしまった。

 記憶が確かなら、今のは『梁塵秘抄りょうじんひしょう』の中の今様いまようだったとは思うのだが、この外国人の青年がカンペすらも持たず、なんの準備もなしに暗唱したというなら、先程のちょっと直人なおととの不穏な会話にも合点がてんがいく。

 その後、茄子なすを飲み込んだ紀美きみが引き継ぐように口を開いた。

 鮮やかな師弟の連携プレイというには食欲に支配され過ぎてる気もする。


「古代ギリシャの医術の神、アスクレーピオスの神殿では、患者達はそこで身を横たえ、神によって夢を経由してもたらされる施術を心待ちにしたという。中世日本においても、神仏に対して夢のお告げを求めて寺社に逗留とうりゅうする、参籠さんろうという参拝方法が現れた。どちらも、上位存在と人がコンタクトを取るためのツールとして夢を利用している。『旧約聖書』創世記のヨセフは夢のお告げでその成功を確約されたし、『新約聖書』のマタイの福音書ふくいんしょでは直接天使から啓示けいじを受けたマリアに対し、ナザレのヨセフは夢で天使から啓示けいじを受けてる。摩耶夫人まやふじんは夢を契機にお釈迦しゃか様を身ごもったし、崇神すじん帝の代の大物主神おおものぬしのかみたたりや、法隆寺の夢殿ゆめどのの由来も似たようなもの。夢枕ゆめまくらというやつだ。他に華胥之夢かしょのゆめ胡蝶之夢こちょうのゆめ邯鄲之夢かんたんのゆめ、夢を異界とする故事成語にも事欠かない」

「……でも、それって大体神様や仏様、ですよね」


 茄子なすの揚げびたしを小さくかじってそういえば、紀美きみはきょとりとまばたきをする。


「違わないよ」


 そして、正確に純也じゅんやの言いたいことを読み取って否定した。

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