6 妖精の恋人

「リャナン・シー」


 唐突にそう言ったのは、またも紀美きみだった。

 唐揚げにかぶりついて咀嚼そしゃくしてから飲み込むと、更に続ける。


「仮ではあるけど、起きた状況から逆算したら、たぶんその名前が一番相応ふさわしいだろ」


 また唐揚げにかじりつきつつ、状況証拠もらっちゃったし、と小さくつぶやく。

 それを受けて、ねぎを飲み込んだロビンが続ける。


「ナオからもらった事前資料、さっきも言った通り、母語話者nativeじゃないボクだけじゃなくて、センセイと妹弟子いもうとでし達で確認した、んです」

「教養という点では一番の織歌おりかが感嘆の溜息出したからね、最新の記事。そういう素養そようはない、姉弟子あねでし沽券こけんがーって嫌がったひろも、一目見て、うわって言ったし、そりゃバズるだろうね」

「……ひろちゃん何してんの」

「……ムダな抵抗」


 怪訝けげんな顔で小声の質問を投げた直人なおとにまったく動じず答えるロビンの横で、フライドポテトをつまみあげた紀美きみは、ふっとそのにこやかな表情のトーンを落として、でも、と続ける。


「前の記事とくらべたら、その異常性は明らかだとしか言いようがない」

「……ですよね」


 言ってつまんだフライドポテトを口に投げ込むのまでサマになるので、なんとも美形は得である。

 自分だって特別に書いたわけではない。何かに取り憑かれながら書いたのは事実上確かなのだが。


「あ、別に新しいのが異常に上手うまいだけであって、前のはとても丁寧で素朴で味があると、オリカ、妹弟子いもうとでしは言ってたので……」

「ロビンくん、それ下手にやると傷口に塩」


 気をつかわれたのが少し嬉しいような哀しいようなと思っていると、直人なおとがツッコミを入れる。


「とりあえず、高橋くんが何かに下駄げたかされて、代わりにこう、げっそりしてるっつーことだろ、紀美きみくん」

「うん。んで、何かじゃなくて、リャナン・シーってことにしておこう」


 リャナ、と口中で繰り返して直人なおとが言いにくそうにするのを、じっと見てねぎまの鳥をもごもごしていたロビンが、飲み込んでから口を開く。


リャナン・シーLeannan-sidhe、妖精の恋人。アイルランドやマン島にいるとされる善き隣人達good fellows……妖精。詩人にとっての運命の女famme fataleと言っても過言ではないかな……まあ、善き隣人達good fellows、つまり妖精って日本の妖怪と大体同じなんだけど」

「何度も聞いてるけど、夢があるのかないのかわからない話だよなあ、それ」

「そこは両者共に大衆文化pop cultureによる感情のベクトルへの影響が多大にあるし……」

「あ、でも、アイルランドの文学かじった時に、少しは妖精の話、聞きましたね」


 ロビンが善き隣人達good fellowsを妖精と言い直すのを聞いて、純也じゅんやは思い出していた。

 ロビンの目が気持ち優しくこちらに向けられる。


「たしか、アイルランド語だと、ディーネ・マハとかディーネ・ベガ、とか婉曲えんきょく表現があるんですよね」

ディーネ・マハdaoine maithe善き隣人達good fellowsと似たようなもので、ディーネ・ベガdaoine beagaは……小人、みたいな呼び方、ですね」

「ところで、ロビンくん、そろそろかっこつけようとするのか、しないのか決めない? めっちゃ、日本語つたないだけに見える」


 直人なおとの気が抜けるツッコミに、ロビンが図星なのか凶悪な表情を返す。

 それを見て紀美きみがけらけらと笑った。


「それにしちゃ語彙ごいが多いんだけどね」

「センセイまで……」

「いや、俺、気にしないんで、どうぞ、楽に」


 そう言えば、ロビンはその凶悪な顔のまま烏龍茶ウーロンちゃを口に含んだ。

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