9 無数の穴

「それでも手を出した時点で中途半端な呪詛じゅそであることには違いないですし……人を呪わば穴二つ、自分用の墓穴も掘れと言う以上、かえしで悪いことが起きる可能性は十二分にあって、しかも実在の人物を想起させる名前を付けたなら、どこかでその人にというのも無きにしもあらずですし、うん、まあ、そういう事でしょう」


 美佳みかを置いてきぼりに、ひろは一人で納得したようだった。


「でも、それが今更……」

「いやあ、本当にかはわかりませんから……小柴こしばさん、話した感じ、ひとりかくれんぼなんてやるわりに、おそらく大人おとなしくめ込むタイプだと思うんですけど」


 失礼な、と言いたいところだが、あれは大学デビューもあいまってのいきおいではっちゃけてやったことを美佳みかは否定できない。


「そもそも、呪うこと自体はあまりにも簡単です。究極、呪うつもりで相手を見れば、んですよ」

「は?」


 しれっと言いはなたれた言葉に美佳みかは思わず取りつくろうことすら忘れて聞き返した。

 ひろが部屋の片隅に置いてあったかばんの――正確にはそれにつけたナザール・ボンジュウの方をちらりと見る。


「ナザール・ボンジュウの説明、しましたよね」

「あの、お守り?」

「ええ、ナザール・ボンジュウは邪視じゃし特化のお守り。邪視じゃしとはすなわち、ですが、じゃあ何をもって、わかります?」


 そう言って、ひろは首をかしげた。

 美佳みかはただ首を横に振ることしかできなかった。


「そういう特殊能力とされることもありますし、青い目の人間が持つもの、とされることもありますが、ようねたみ、そねみ、うらやみがこもっている視線が邪視じゃしになるとされるんです」


 、とひろが少し目を細めて言う。

 その鋭い視線に、反論は、できなかった。


「喫茶店でお会いした時も、たぶん最初はカップルかと思ったんでしょう、あの感じ。まあ、あの通り、ロビンは目立ちますから、見るなというのが無理なやつですが……」

「……」


 自分よりも年下のひろの言葉に、美佳みかは何も反論できない。

 そういう視線を向けたか、と問われれば、それを否定できない。


「……でも、私は、そんな、呪ったり、なんて」

「意図してないとしても、程度が過ぎれば。そういうものです。まして抑圧してれば、煮詰まりもするわけで……それもふくめてののろがえしだから、邪視じゃしを中心とした怪異だったんでしょう」


 それからひろはまたかばんの方を見て、ナザール・ボンジュウを指さした。

 瑠璃るり硝子がらす偽物にせものの目玉は、いつものようにすずしげな色と視線と確かな存在感を放っている。


「あれはそのまま差し上げます。しっかり持っててください。小柴こしばさんの性格を考えたら、以降も邪視じゃしのろがえしは大なり小なりあるでしょうから」


 ――流石さすがにここまでひどくなることはなくとも。

 そう言って、ひろはトートバッグからすでに金額と口座の欄が埋められた振込用紙を取り出して、座卓の上に置いた。


「一応、これだけ、振り込んでおいてくたさい。うちの標準です。あの住職はちょーっとばかりんで、手数料とか言って結構上乗せして差額を中抜きするんですよ。じかに払ったと言えばあきらめますんで」


 さらっととんでもない事を聞いたような気もするが、美佳みかはただ置かれた振込用紙を見つめていた。


「……その、のろがえしって、確定事項なの?」

「いえ、可能性が高いというだけです。それに性格によるところもあるので、矯正も難しければ、過去をなかったことにはできない。なら、割り切って対症療法をすればいい」


 言って、ひろは立ち上がり、忘れ物がないかチェックするようにぐるりと再び部屋を見回した。


「そんな」

むしろ、簡単な対症療法があるだけ、さいわいだと思いますよ?」


 そうではない事例を知っていると言わんばかりの言葉と、目つき以上にするどい眼光に美佳みかはそれ以上、素人しろうとが反論すべきではない、と感じた。

 踏み込むのは、下策げさくだ。


「それでは、おいとまさせていただきます。以降のあなたの人生、何も起きずに平穏に過ごされる事を祈っておりますが、万が一何かあれば、どうぞよろしくお願いします」


 そう言って、ひろ深々ふかぶか美佳みかに頭を下げて、そのまま玄関の方へ行ってしまう。

 呆然ぼうぜんとその背中を見送った美佳みかに、スニーカーをき終えたひろが振り返って言う。


「あ、鍵かけるの忘れないでくださいね」


 そう言われて、美佳みかが我に返って立ち上がり、玄関の方へ来るのを確認したひろは戸を開く。


「あの、ありがとうございました」

「いいえ、これも仕事ですので。それでは」


 頭を下げた美佳みかを止めるようにそう言うと、ひろは軽く頭を下げて、お邪魔しました、と部屋を出て行く。

 その、ぴっと背筋の伸びた凛々りりしい背中を見送り、美佳みかはドアを閉めて鍵をかけた。

 そして、部屋の片隅かたすみかばんの前に座り込む。


 ふっとため息を一つついて、瑠璃るりの目玉と視線を合わせた美佳みかは、今までの自分とこれからの振る舞いについて、にらめっこをしながらしばらく考え込む羽目になったのだった。

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