7 常に戻る

 ◆


「う……」


 思った以上にすっきりと目が覚めて、美佳みかは身を起こす。


「おはようございます。気分はどうですか?」


 どきりとしてそちらを見れば、どうやら美佳みかが起きるまで待っていたらしいひろがいた。

 同時に先程さきほどまでの、アレが現実であることにも思いいたって、じっとりとした汗が美佳みかの背中をつたった。


「……少し、台所借りますね」


 そう言ったひろは、美佳みかが了承しない内に、何故か美佳みかがいつも使っているマグカップと紅茶のティーバッグを迷わずに取り出して、電気ケトルからマグカップにお湯をそそぐ。

 そして、それをことりと部屋の中央に置いている座卓の上に置いた。


「どうぞ。何も入れてないのは見てましたでしょ?」


 そう言って笑って見せたひろは、座卓をはさんだ向かいに座る。

 美佳みかが目を落としたマグカップの中では、お湯を入れた後に投入されたティーバッグから赤茶色がにじみ出し、そして底によどみのようにまっていた。


「……しーちゃん」

「……ひとりかくれんぼの時につけた、ぬいぐるみの名前ですね?」


 ぽつりと美佳みかが、ついさっきまで頭の中を支配していたその名を口にすると、ひろは確定事項を確認するかのようにそう問うた。

 そして、それと同時に夢で見た時にはおぼろげだったぬいぐるみの名前をはっきりと思い出す。

 しーちゃん。

 確かに、そう名付けたのだ、自分は。


「わたし、まどろっこしいのは苦手なんで、ちょっとはっきりさせますね」


 その声に顔を上げれば、ひろ美佳みかをしっかりと見据みすえていた。

 そして、そのすっぱりと小気味こきみいいまでの言い方は何か、不吉な予感がする。

 美佳みかはぎゅっとくちびるを引き結んだ。


小柴こしばさん。あなた、ですよ、最初から」

「……そんなの」

。わたしとロビンは」


 それに、とひろはさらに続ける。


「どうして、まず彼氏さんに相談しなかったんです? それを考えると、彼氏さんとはまだそこまでの信頼関係が出来てないか、おかしいと無意識にでも自覚してるか、なんですよ」

「でも、は」


 食い下がる美佳みかひろが向けた視線は、あえて言うならば、あわれみだった。


小柴こしばさん、依頼の際には妊娠一週間で、安定するまでは彼氏に伝えない。そう言いましたね。それなのにもう名前を決めてるんですか? まだ性別もわからないのに?」

「でも、私、確かに」

、混濁してるだけですよ……お茶、そろそろ、出過ぎじゃないです?」


 しぶくなりますよ、とマグカップに目を向けたひろにつられて目を落とせば、ティーバッグからにじみ出た赤茶色が、何度も何度も重ね塗りをしたように赤黒く底にまっている。

 ティーバッグを持ち上げると、自然とそのまったものが広がって、マグカップの中は全面的に普通の紅茶の色となった。

 そのティーバッグの紐を、ひろが手を差し伸べてからめるようにして取ってきたので、手を放せば、彼女はそのまま立ち上がって迷うことなく生ゴミ入れにティーバッグを入れた。

 それを見ながら紅茶を一口飲むと、ほうっとため息が出て、美佳みかは自分がようやく普通に戻ったのだ、という実感がいた。

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