7 魂は天に

「……サンプル、一つだけ?」

「いんや」


 この師匠が言い出すには、それなりにサンプルを用意していないはずもないのだ。

 実際、いてみれば、少し嬉しそうに否定の言葉を口にする。


「ただ有名なのがそれだけ。他だと、井原いはら西鶴さいかくの作品の中で逆立ちした女の幽霊による仇討かたきうちの話がある。これは確か、沖縄だったか奄美あまみの方の伝承で似たような話があったな。後は浄瑠璃じょうるりでの語りの内や歌舞伎かぶきの演出に多く見られる」

「……意外と近世きんせいでは?」


 伝承はさておき、西鶴さいかく浄瑠璃じょうるり歌舞伎かぶきとなってくると全部江戸時代のキーワードだとロビンは記憶している。


「んー、一応、根底の一つには平安期の仏教書にある地獄に落ちて責め苦にあう亡者のさまがあるんじゃないかって言われてるよ。能の『求塚もとめづか』で菟名日処女うないおとめが言及してるソクジョウズゲ、他にも業火ごうかに落ちる亡者に永遠に落ちるということで永沈ようちんとか」

「ソクジョウ……」

「あ、はいこれ」


 紀美きみは目の前のテーブル上のメモ用紙に、ロビンが持っている資料に入っている書き込みよりも崩した走り書きでさらっと書いてみせる。

 紀美きみの字のクセを見慣れているロビンには、すぐにそれが「足上そくじょう頭下ずげ」と書かれているのを読み取る。


「ああ、なるほど、足が上で頭が下。まさしく逆さまだね」

「もう一つ考えられる理由が、死者のたましいこんの居場所からって視点」


 わざわざ同じ漢字で表せるものを言い直すからには、そこに意味がないわけもなく。

 それぐらい読み取れる程度ていどには、ロビンと紀美きみはつうかあだ。


「……魂魄こんぱく思想?」

「も、踏まえた方がわかりやすいかなあって」


 また諸説あるものを、と思いつつ、一般論として、古代中国由来のたましいこんはくの二種類の何かから成り立つという考え方であるということを思い出す。

 その上で、こんの特性と言えば――


「天ってこと?」


 諸説はありつつも、死後、こんは天にのぼり、はくは地にもぐるという。

 特に、虎のはくが地にもぐって石と化したものを虎魄こはくすなわ琥珀こはくと呼ぶ、というのは近世きんせいの百科事典『和漢三才図会わかんさんさいずえ』にもっていた話である。


「死者の魂を呼ぶ、たまびも屋根の上で天に向かってやるって記述が平安時代にあるわけだし、各地にも死人が出そうな時はやっぱり大方おおかた屋根の上で、たまびをするって伝承がある。なんなら屋根に穴を開けるぐらいだし、屋根の近辺の上方にたましいがいたって考えの現れだよね」

「……つまり、その状態から普通に人を見ようとすると逆さになるって?」


 段差の上に立ったまま、段差下の人間の顔を見ようとすると、その落差にもよるが、確かに立位りつい前屈ぜんくつのポーズとかになりかねない。


「そうそう。同時に普通そうまでして見るか、って話にもなるかなあって」

「あ、そこは完全にセンセイの持論ってことね」


 微妙なトーンの違いからそのあたりの判別をつける。

 ずっとこのノリに付き合っているのだから、その程度は簡単だ。

 紀美きみはあまりそれが面白くないように、くちびるとがらせて、半目でロビンを見ている。

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