8 真か嘘か、瓢箪から駒か

「んー……でもさ、センセイ、例の先生が『頭から落ちた』って語ってたんだから、そこって確かに推進力にはなったけど、事実なら、そこまで意味はないんじゃ?」


 ロビンの眼鏡は伊達だてでも、人間にんげん嘘発見器うそはっけんき伊達だてではない。

 ロビンにとって、嘘は聞くにも見るにもノイズでしかない。

 そのノイズを例の依頼人側の先生からは感じなかったのだ。

 ロビンの指摘に、きょときょととまばたきをした紀美きみは、あっけらかんと言いはなつ。


「実際には一瞬だし、四十年ばかりってるわけだし、そんなんでしょ。ロビンの嘘感知能力って、結局本人が嘘と認識してるかどうかに関わってるし」


 紀美きみの指摘自体はもっともだ。

 ロビンは本人が嘘と自覚していなければ、それを嘘と見抜けない。

 嘘と自覚している事が視界を介してわかるから、ロビンは嘘だと見抜くことができる。


「いくら本当にそれを目撃したからって、それがどれだけ衝撃的だからって、いや、衝撃的だからこそ、都合つごうのいい記憶の改竄かいざんは発生するものだ。まして、今回みたいな明らかに心的外傷トラウマものなら、心理学で言うところの乖離かいりに繋がるし、


 そうだろ? と紀美きみは首を傾かしげた。


「人はあくまで現実のいち観測者でしかなくて、時として現実は人をおびやかす。それからのがれるために健忘けんぼうに走るのも、記憶の改竄かいざんに走るのも、無理を通して道理どうりを引っ込ませるのも、正常な動きではある……キミは、それを一番よく知っているじゃないか」

「……そうだね。それはそう」


 ――人は現実の観測者に他ならない。

 現実のは誰にも分からない。

 結局のところ、感覚器官でとらえることができた結果の電気信号によって脳内で再現されたものを現実としているからだ。


 ――じゃあ、その感覚器官Interface壊れバグったら?

 電気信号からの再翻訳Decodeミスったら?

 そうした結果を受けて、心が拒絶Abendしたならば?


 ロビンはひっそりと、今日何度目かのため息をつく。

 他人ひとよりも見え過ぎるロビンとて、常に全てが見えているわけではない。

 見ようと思えば見えるものもあるし、望めばそれ以上もできるかもしれないが、そこまでいっては恐らく人間ひとに見えていいものではないし、無意識にでも人間ひと範疇はんちゅうにいたいと思っているはずだから、きっとロビンはそれを見ていないのだ。

 それがきっと、祝福の範囲の限りなのだろうとロビンは認識している。


おごってた」

「反省できてえらーい」


 ロビンの重くなった心を見透みずかしたような、あえての軽すぎる答えは、後ろから頭に丸めた紙を雑に投げ当てられたようないらちをロビンに覚えさせた。


「……センセイもちょっとは反省すれば?」

「何を? 僕はいつだって自分の最善を尽くしてるから、後悔はしても、反省すべき点はないんだよなあ」


 そう紀美きみうそぶいて、いたずらっぽく笑う。


「普通、逆じゃない?」

「んー、その場の最善を尽くすから、あれがあれば、とか、これがあればっていうがあるんだよ。たとえば、キミと会うのがもうちょっと早かったら、なんて」


 ――ばさり

 そう、音を立てて、ロビンが手にしていた資料が床に落ちた。

 それを拾い上げる事もなく、ただ唖然あぜんと思考停止するロビンに、紀美きみは真っ直ぐな視線を投げかけて、そして一度目を閉じた。


「……でも、それは詮無せんない話だろ?」


 表情にして、わざとらしいほどにほがらかな声でそう言うと、紀美きみはにっこりと笑った。


「どうせ、ひろ織歌おりかも、茶をしばいてるんだろ? で、ロビンはついでに僕を呼ぶように言われてたのに、忘れてたと見た」


 怒るのではなく、からからと笑いながら紀美きみは立ち上がると、ロビンが落とした資料をテーブルの上に置いてから、すれ違うように戸の方へ向かう。


「先に行ってるよ、ロビン」

「……」


 紀美きみが戸を閉めると同時に、ようやくロビンの思考が巡り出す。

 ――なんで、どうして、そんなこと。


「……はあ」


 口元をおおって、ため息をついて、壁によりかかってそのまま、ずりずりとへたり込んで、右手で左の肩を掴む。

 服越しにそうと知らねばわからぬほどまで薄くなっている、真っ赤に焼けた鉄の火掻ひかき棒による古い火傷やけどあとに触れる。

 とりとめもなく思考が流れるままに、しばしそのまま、ロビンは虚空こくうを見つめていた。

 ――そんなこと


ないのになあNo, it's not.……」


 どう流れても、ロビンの思考の帰結はそこだ。

 少なくとも、ロビンの世界realがこうなってから、初めて見た強い清浄なきらめきは、紀美きみだったのだから。

 ――だから、あれが、遅かったなんて、ロビンは欠片かけらも思ってないのに。

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