93話 舞台の幕はまだ上がらず


 神殿の中からミューゼリアとシャーナを見送ったロカ・シカラは、祭壇の間まで戻って来ると、ゆっくりと後ろを振り向いた。


『精霊王の雛。儂に話しがあるようだが、何かね?』


 光の鳥達と共に現れたのは、青年の姿へと変貌しているレフィードであった。

 全身は淡い光を帯び、長く伸びた白銀の髪と金の鋭い双眸にロカ・シカラは懐かしさを感じ、彼の中で変化が生じた事を理解する。

 その体内から強い大地の力を感じる。


『木精はどうした?』

『あの者は、眠りに入ったよ。来たる日の為に、力を蓄えるそうだ』

『……何故あいつは、まともに話をしないんだ。ミューゼリアも会いたがっていた』

『仕方あるまい。儂とて会話らしい会話をしておらん』


 ロカ・シカラはゆっくりと瞬きをする。

 木精は多くを語らない。精霊と妖精の中間に立ち、魔法使いではない人間とも関わる不可思議な存在であり続けた。だがミューゼリアと関り別れた後、何らかの役目の為に表舞台から姿を消した。


『精霊王の雛よ』


 レフィードから目線を外し、ロカ・シカラは前方の祭壇へと顔を向ける。

 風の力を直に受ける為に祭壇は風化が激しく、原形をほとんど留めていない。


『遺物を食らうのか』


 祭壇の上。そこに鎮座するのは、薄緑や水色、色を帯びた淡い光を帯びた人間の上半身の骨に似た何か。

 精霊王の遺物だ。


『現時点で、最善はそれしかない。カルトポリュデが匿う同胞より助言を得た』


 妖精王の遺体が操られないよう、対存在である先代の遺体を世界から無くす。継承という形で安全に消滅させられるのは、レフィードだけだ。


『ほぉ……あの双頭王の……』


 あちらも、負の想念に関し何か問題が発生したか。

 ロカ・シカラはそう思いながらも、深く追及はしない。


『反対はしないのか?』

『本来の力を失っても、精霊王の遺物である事に変わりはない。後継者の元へ行く方が良いからのう』


 妖精王が関係しなくとも、切り倒された木を材料に杖が作られる様に、強力な力を引く出す触媒となりえる。現在の人間の管理者達は真っ当であるが、何かの拍子に魔の手に渡り、兵器として使用されかねない。


『以前……初めて出会った時、ミューゼリアへ伝えた話は、嘘だな?』


 負の想念によって形成した茨に囚われてしまった。

 800年前の世界を生き延びた竜が、そう易々と負の想念の茨に囚われるとは考え難い。


『嘘を交えなければならないのは、当然であろう。小さな童に世界の命運を背負わせる馬鹿が、どこにいる? 絵物語ではないのだぞ』


 ロカ・シカラは軽く身震いをする。精霊がふわりと彼の体毛から現れ、レフィードの元へと挨拶をする様に近づく。彼と共にある精霊達も、小さなミューゼリアに話せば負担になると考えた。彼女だけで、どうにかなる問題ではないからだ。


『この地に溜まっていた負の想念は800年前の比では無かった。故に囚われた。木精によって二つに分断しなければ、今頃森は黒く染まり、滅んでいただろう』

『双頭の王も囚われる直前だった』

『世界を脅かす者は、用意周到のようだな。なるほど……水の主は、地続きでは領域を守れないと判断したか』


 風森の神殿の主として、多くの渡り鳥、妖精、精霊達から情報得ている彼は、4大領域の異変について調べている。彼が最も情報を欲したのは、原海の胎国についてだ。唯一場所を変え、尚且つ海の底へと沈んだ特異な領域。かつての領域で何かあったのか、全く情報が無かった。


『せめて、私には真実を伝えて欲しかった』

『幼子に負担をかけて何になる。翼を折るような馬鹿げた真似をする程、儂は老いぼれてはおらんよ』

『犠牲になっては意味がない』


 ロカ・シカラと木精の行いは生き物達への時間稼ぎに過ぎず、どちらか片方が死すれば領域は負の想念に汚染され滅んでいた。


『あぁ、そうだとも。お嬢ちゃんには感謝せねばな』


 茨が消え、目覚めた時の瞬間を、ロカ・シカラはよく覚えている。

 太陽の光に溶け、水の冷たさを運ぶ風。まるで清々しい朝を迎えたかのような、心地よい感覚。

 翼を束縛されたまま泥沼に落ちる絶望感を一瞬のうちに消し去ってくれた。


『あのお嬢ちゃんは、相当な水の素質があるな。しかし、特別な血筋ではない』


 姫の資質は無く、従者の面影は無く、銀狼は自ら守り続け、魔法使いは血を断つ選択をした。魔法使いの素質は天性のものであり、血筋には全く関係が無い。

 では、あの水の素質はどこからくるのか。


『一体、なぜ雛の器に選ばれたのだろうな』

『……先代は、誰かと約束をしていたんだ。レンリオス家の血統を強く持つ女児が生まれた曙に、約束を果たすと』


 躊躇いがちに発せられたその言葉に、ロカ・シカラは僅かに目を見開いた。


『ほぉ……あの4人の中で雛を隠せるとなれば、魔法使いしかいない。だが、女児とは妙だな。その発言からしてお嬢ちゃんの一族は、ここ800年間男児しか生まれていない想定になる。生物の殻を限定するなんぞ、魔法使いであっても不可能だ』

『私もそう思う。先代と契約を結んでいたと仮定しても、血が守られれば良い話だ』


 紺色の髪に青い瞳を持つ女児でなければならないのか。

 レフィードは未だに内容の知れない約束の手がかりを探す為、レンリオス家とそれに連なる分家を調べた事がある。霊峰に囲われる天然要塞であるが、領地の大半を占める為に農業よりも林業が盛んで、木材加工等の技術職が産業の中核を担っている。6年前に発生した水害があった際にも、速やかに建物の再建に取り掛かる事が出来た。隣に伯爵家と子爵家の領地があるが、戦争に発展する事例は一切なく、良好な関係を築いている。

 豊かな土地と水源、天然の要塞と手にしたくなる条件が揃う中で、レンリオス家はその血と領地を守り続けている。

 地道な功績。時代の波を乗り越え続けた誉れ高きものであるが、何処を切り取っても精霊や魔法使いの話は出てはこない。

 けれどレンリオス家から生まれる子供は、男児だけであった。


『神が関わっていると考えられる』

『その結論にしか至れんな。そうなれば、お嬢ちゃんの一族はどうやって関わったか、気になってくるのう。特に大きな代償を払った様子もなく、その血は健やかだ。益々謎が深まる』


 神との契約、生贄、その様な言葉が似合わない程に、レンリオス家は薄暗いものを持っていない。

 表舞台に立たないよう何重にも隠されていながら、重要な役として造られたような。


『神の思惑は分からない。だが、私はミューゼリアの味方であり続ける所存だ』


 かつて夢で見たと言って、見せてくれた未来の手記。ミューゼリアはそれを一人抱えながら、ずっと動き続けている。たとえ神が関わっていようと、彼女への加護は何もなく、周りの誰かの力を借りなければ達成は出来ない。

 国を、世界を影から守ろうと懸命なミューゼリアを支えたい。

 だからこそ力が欲しいと、レフィードは強く思う。


『そうだな。お嬢ちゃんの頑張りを、無下にはできぬ』


 ロカ・シカラはそう言って目を細めると、精霊王の遺物へと再び目線を向ける。

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