61話 麓の町での買い物

 6年かけて再興された麓の町は賑わいを見せている。多くの支援を頂いただけでなく、その恩を返せるようにと民衆の頑張りがあり、活気は以前よりも増した。

 霊峰の登山やシャンティスの存在だけで、レンリオスの領土は成り立っているわけではない。ワインの醸造や果実や野菜の栽培、酪農。最近では、湧き水を売りに出している。切り立つ霊峰の湧き水は軟水であり、老人や小さな子供の体に負担が少なく、紅茶や緑茶に最適だ。様々な家のお茶会の招待を受け、各地でお茶を嗜んだお母様は水の質に目をつけた。3年前、お母様は各地の水を持ちよりレンリオスの屋敷でお茶会を開いた。同じ茶葉や温度で淹れても水の違いで味や風味が変わる事に、夫人達は気づかされ、関心が集まった。社交界でも密かに話題になり、食にこだわりのある貴族の間で水の売り買いが始まった。

 最近では、町にお茶専門店と共同の喫茶店が開業し、霊峰を眺めながら紅茶と焼菓子を楽しめると観光客に人気だ。それに伴い、観光客向けに木彫りのペンダントやブローチなどの装飾品のお店の売り上げが好調だ。登山者用の道具や衣類を取り扱う店も、普段使いで長持ちすると買う人も増えている。


「まずは道具屋さんに向かって」

「かしこまりました」


 町に入り、私は持ち物リストを確認する。

4年前から大型の休暇の度に、リュカオンの護衛付きでアンジェラさんと各地のダンジョンを周り、生物調査の手伝いを行ってきた。その過程で、道具の大切さを教わった。ゲームでは無い以上、基本が非戦闘員である私であっても、準備は必要不可欠だ。

 登山者向けの道具屋でロープやレインコート等、菓子屋でキャラメルやビスケット等の行動食、服屋で調査用の動きやすい作業着を買い、靴屋で歩きやすい靴を買い、武器屋では研ぐように依頼していたナイフを受け取りに行った。

 あとは帰るだけ。そう思い馬車に戻ろうとしたが、手芸用品店の看板が目に留まった。


「ねぇ、リュカ。確か、今年は兄様も狩猟祭に出るんだよね?」

「はい。殿下にお誘いを受け、今回は参加すると聞いています。今年の開催地は、ベルファント領の一角。丁度、アーダイン領の隣です」


 狩猟シーズンの中で最も注目が集まる式典が、王家の参加する〈狩猟祭〉だ。管理された森へと動物や比較的おとなしい魔物を放ち、3日間の間により多く、より珍しい生き物を狩猟したか競い合い、順位を決める。子供や夫人の為の船遊びや茶会、夜にはパーティが開かれる。ゲームでは各候補キャラのイベントが発生し、貴族達の出会いの場でもあるが、今の私に行く時間は無い。しかし、迷う事が一つある。


「皆さんにハンカチをお渡しになりますか?」

「どうしよう……」


 狩りの成功と無事の帰還の願いが込められたハンカチーフ。淑女が参加者へと贈るのが伝統だ。そして、ハンカチを受け取った参加者はその淑女へと獲物を捧げる。

 簡単な意味に訳せば、告白とその返事だ。ハンカチを受け取っていなくとも捧げるパターンもあり、話題性があり盛り上がりを見せる。

 私の場合は純粋な応援だ。兄様は勿論、参加するラグニールさんやレーヴァンス王太子にも渡したい。

しかし、ちょっと顔を出してすぐに違う場所へ行く私が、贈って良いのだろうか。


「狩猟から行って帰って来るのを待つ人が渡してこそ、意味があると思うけど……」

「きっと皆さん喜びますよ」


 3人が喜ぶ姿が鮮明に頭の中に浮かんだ。狩猟祭の開催は4日後だ。


「そうだね。刺繍の小さな花1つずつなら、まだ間に合うかな。手芸店に行く!」


 リュカオンに背を押され、意を決した私は手芸用品店へ向かった。


「いらっしゃいませー」


 若い女性の店員さんが、私達が入店するとにこやかに挨拶をする。

 色とりどりの布生地や糸、ビースやレースのリボン、針やハサミなどの道具類が見易く綺麗に陳列されている。冬が迫ってきている事もあり特に毛糸類が豊富に取り揃えられ、見本として手作りの帽子や手袋、セーターが飾られている。

 私達以外にもお客さんは2人いる。広めのお店だが、邪魔にならない様に早めに決めて帰ろう。


「刺繍糸をお探しですか?」


 麻や綿、色だけでなく光沢や質感の違いに迷っていると、女性の店員さんが声を掛けてくる。


「はい。ハンカチに刺繍をしようと思って」

「狩猟祭のハンカチですね! それでしたら、店の裏に入荷したばかりの希少な絹を使用した刺繍糸がありますよ!」


 身なりが良く、護衛をつけている事からすぐに貴族の令嬢と分かったのだろう。すぐに狩猟祭の話題が出てきた。


「見せていただけますか?」


 一通り見て決めようと思い、私はお願いをした。


「はい! ただ、この棚に収まらない量を入荷したもので、改めて売り場づくりをしないといけなくて、まだ品は箱の中なんです。申し訳ありませんが、店の裏に見に来てはいただけませんか?」

「え? でも……」

「大丈夫です! 貴族の御令嬢なら、店長も怒りませんよ!」


 女性は見せの裏へと続くドアへと私を案内しようとする。


「お嬢様。待ってください」

「う、うん」


 リュカオンでなくとも、警戒する。店の裏方は商品の一時的な保管場所ではあるが、店員の道具や資材の置き場だ。店によっては金庫もあるだろう。女性が裏へ行き、箱から刺繍糸を何種類か持って来てくれるのが一般的であり、客が入るなんてありえない。


「全て見るのは大変なので、何色か持って来ていただけますか?」


 私はそう言い、女性がそれに応えようとした時、店の裏方へ続く扉が勝手に開いた。


「え?」


 女性が中を覗こうとするが、店の裏方から男性が何者かによって投げ飛ばされ、陳列棚へと激突した。床にリボンが散乱し、他の客は物音にこちらへ見に来た。


「だ、大丈夫ですか!?」


 リュカオンは私の傍を離れず、ゼノスさんが店員の女性と共に地面へ崩れ落ちる様に倒れた男性へと駆け寄る。


「お騒がせしてしまい、申し訳ありません」


 扉のあった裏への出入り口から、新たな男性が出てくる。

かなりの長身の男性だ。青みがかった銀色のその髪に、私は見覚えがあった。

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