53話 浄化の風と竜の目覚め

 風翼竜ヴァーユイシャ。

 翼を含めた6足の竜。翼と鱗は鳥に似た老緑色の羽で構成され、鱗ではない為か顔つきは狼を連想させる。今は瞼を閉じ身体を丸めているが、立ち上がれば一階建ての家を軽く超える大きさがありそうだ。


「あれが、あっちで見た黒い泥の化け物?」


 私は隣に立つレフィードに問いかける。

 私達が入って来た通路を除き、周囲には黒い棘がびっしりと生えている。黒い棘は竜を守っている様にも、拘束している様にも見える。まるで、寄生植物のようだ。しかし一目で、植物や生物ではないと分かる程に、大風樹の見える穴の開いた天井からの木漏れ日によって油膜の虹色に似た赤い波模様が浮かび上がっている。


『……』


「レフィード?」

『あっ!す、すまない』


 はっと我に返ったレフィードは私に謝罪する。

 老人の姿で現れた妖精は、〈約束を忘れるなよ〉とレフィードに向かって言い、時間が無くなり始めていたのか途中から何処か気易さを表した。記憶を失う前のレフィードを知っているのは確かだ。

 レンリオス家に女の子が生まれたら、約束を果たす。それを言った人物が誰なのか、そしてレフィードと交わした内容が何なのか分かっていない。

 遺物を失ったダンジョンを守る方法も含めて、分からない事がまた沢山降って来た。


「ううん。気になるのは仕方ないよ」

『……ありがとう。あの隣人の事は一旦忘れ、今は、頼まれた事を解決するのを優先しよう』


 頼まれごとを終え、私達はアンジェラさん達と合流し、遺物のある聖域へ行かなければならない。


「うん。あれは、黒い泥の化け物だよね?」


 私は改めてレフィードに訊いた。


『そうだ。負の想念は〈生物〉ではない。こちら側に存在する為には、こちら側の物質や植物を模して現れる。そして、触れた存在や食べた相手を汚染していく』


 赤い淀みや正真正銘の赤い液体とほぼ同じ。自分では強い力を振るえないが、生き物を汚染し狂わせ、世界を壊していく。


『あちらでは自由に動けていた様に見えるが、汚染出来てはいなかった。竜の魔力を食って成長していたが、汚染したはずの竜が身を守る為に長期間の睡眠に入り、最低限の魔力しか得られなかったのだろう』


 泥に掴まれていた木々は、枯れや黒く染まった様子が無かったのを思い出した。また、あの大きさでありながら、ゼノスさんと妖精の2人で太刀打ちできたのは、そのお陰だったようだ。


『ミューゼリアを狙ったのは、消される危険を排除するだけでなく、私と繋がっているために魔力を吸い上げようとしたのだろう』


 アリジゴクに吸汁されるアリ。カタツムリを食べるマイマイカブリ。そんなモノを連想して後悔した。とてもグロテスクで気分が悪くなりそう。


「…………ゼノスさん。攻撃を食い止めてくださり、ありがとうございます」

「護衛として来ていますから、当然です」


 暗い気持ちを振り払い、息の整え終わったゼノスさんにお礼を言った。


「あの、剣はどうされたのですか?」


 今更だと思うが、ゼノスさんの腰に携えた鞘が空であり、剣が無い事に気づいた。


「あちらで戦っている最中に、失ってしまいました」

「えっ!?」

「お気になさらないでください。戦いの中では、よくある事です」


 私に気を遣ってくれるゼノスさんは、どこか晴れやかな表情で言った。

 ゲーム上では、パシュハラ辺境伯から賜った大事な剣だと語っていた。大人となり、大きさが合わなくなってしまっても、丁寧に手入れするシーンが印象に残っている。

 まさかここで、イベントをへし折る事態になるとは思わなかった。


「帰ったら、屋敷にある剣をお渡しします。特別凄い武器はありませんが、リュカや雇っている人達が使う剣なので、切れ味のある良い品です」


 代わりにはならないが、報酬として渡そうと私は心に決めた。


「お嬢様。ありがとうございます」


 そういえば、距離が近い。近いと言っても隣に立っている程度だが、あちらで距離を離した時に比べれば劇的な変化だ。

 最後の妖精の励ましが、ゼノスさんの心に響いたようだ。


『ミューゼリア。そろそろ始めよう』

「うん」


 私は手に持っている杖を確認し、前へ一歩踏み出す。

 黒い茨が、動いた様に見えた。ゼノスさんもそれに気づいたのか、私の傍らに立ち警戒する。


「何を詠唱するの?」

『いいや。ミューゼリアがすべきことは、彼らに伝える事だ』

「伝えるって……」


 生き物では無いのだから、伝えても反応してくれるとは思えない。


『君の中にある死のイメージを伝える』

「死……?」


 転生前の死ぬ直前の事はよく覚えていない。ゲームの内容を思い出すのに必死であり、覚えていても今の私にとって必要ではないから置いて行ってしまったのだろう。

 満足して眠る人もいれば、生きたいと叫ぶ人もいる。

 けれど、死は平等に訪れる。遅いか、早いかの違いでしかない、と語られる事もある。


「私、まだ10歳だよ。わかんないよ」


 今の私が死を連想すると、いつも冷たく暗い場所を思い浮かべる。

 でも、お母様が言っていた。

 それは生きている人達が、棺桶を土に埋め、墓標に触れた時の感覚なのよ、と。


『……それでは、変化の訪れを知らせに一緒に行こう』


 レフィードは少し考えたのちに、私に提案する。

 大学生の私が死に、ミューゼリアの私に生まれ、変化した。

 それなら、少しだけ分かる気がする。


「うん。それなら、できると思う」


 一歩、踏み出そうとした瞬間、茨の棘が威嚇するように私達を刺そうと大きく伸びた。ゼノスさんが咄嗟に私を守ってくれたが、彼の左頬を棘がかすめ、血が流れる。


「俺に構わず、あれを消してください。放置していたら、厄介な事になります」

「は、はい!」


 私は今度こそ一歩踏み出し、思い描くために目を閉じ、杖を構える。


 変化。変化。


 私の死のイメージはとても寂しいから、もっと別の形へ、留まらない変化を。


 冬の寒さを吹き飛ばす、春先に起こる強い風。

 柔らかな日差し。優しい青い空。温かな地は芽吹きの季節を迎え、花を咲かせ、そして実を結ぶ。

 綿毛が舞い上がる。風竜がともに飛び立ち、再び大地に降り立つその時まで。

 逝くべき場所を忘れたモノ達へ。

 濁りは無く、淀みは無く、全てが回帰し、流転し、導き、知らせる浄化の風を。


『……ミューゼリア。目を開けてごらん』

「うん」


 杖が淡く光を放っている。


「あっ……」


 気が付くと、茨に花が咲いている。

 とても小さな純白の花。茨の至る所で蕾が膨らみ、開花する。

 まるで一枚の絵のように、美しく神秘的に見えた。

 ふわりと風が吹いた瞬間、茨は砂のように音もなく崩れ去り、花は穴の開いた天井を抜け、空へと舞い舞い上がった。

 あっと言う間の出来事に、私は息を飲んだ。


「……できたの?」

『できた。大丈夫だ。ちゃんと知らせを伝えられた』


 レフィードの言葉に安心した私は、力が抜けて座り込んだ。

 集中してばかりだったので、一気に疲れが体に圧し掛かって来る。


『ふああぁあぁ……随分と背が軽くなったわい』


 竜が目を覚まし、長い首を持ち上げ、大きく欠伸をする。

 あれ? 人間にも分かる声が聞こえる。


『んん~? 木精の言っていた精霊の雛か。それに……』


 眠気眼の竜は、ゆっくりと立ち上がると、私達に歩み寄る。敵意は無く、知性の宿る深緑の瞳がこちらを見つめ、私とゼノスさんは戸惑う。


『雛の止まり木に選ばれた女児か。ふむふむ。昔を思い出す様だ』


 竜が呼吸する度に吹くよそ風は、森の香りがした。

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