22話 白いハンカチに (ごく一部修正)

「シャーナさん!!」



 私は急いでシャーナさんに駆け寄るが、一歩遅かった。

 床に落ちる小瓶。シャーナさんの口を押える手の間から零れ落ちる赤い液体。それが瓶に入っていた液体なのか、顔を蒼白させる彼女の血なのか分からない。私は持っていたポーチからハンカチを出し、彼女の口を拭こうとした。

しかし、シャーナさんは小さく首を振る。左手は力み過ぎて白くなり、握られたドレスのスカートが深い皺を作る。平気なはずが無い。


「シャーナさん。気を確かに持ってください」

「何を心配しているのかしら?」


 私達を見下げる女の顔を、ここでようやく間近で見た。

 気の強い美人と言った様相だ。少しつり上がった緑がかった瞳。やけに厚い化粧がされた肌に赤い口紅。イヤリングやネックレスまで全て赤色。

 8年後のシャーナさんが壊れた理由は、赤い液体だけじゃない。この女のせいだ。


「シャーナさんが死んじゃったら、どうする気ですか!」

「死んだらそれまでの女だったって事よ」

「は……?」


 こいつ、子供に向かってそんなこと言うなんて、頭おかしいんじゃないか。

 血が繋がっていなくとも、人としてありえない。


「シャーナさんは、将来の王国にとって重要な役割を担う御方です。モノを扱う様な言い方は失礼です!」

「何を言うの? あの女と違って、私は公爵家の跡継ぎが産んだの。私が正しいわ。娘なんて必要ない。公爵様もそう思っているはずよ」


 貴族にとって、子供は政治と富の道具として扱う側面があるのは知っている。けれど、それは原石を磨き上げ、美しいカットを施し、台座にはめ込むように丁寧に育て上げ、貴族の立場を継承させる為でもある。


「公爵様は、そんな人ではありません」


 シャーナさんは厳しくも大事に育てられ、レーヴァンス王太子の婚約者になった。

 そこに明確な親からの愛情表現があったか分からない。けれど、私は知っているんだ。

 壊れて衰弱しきったシャーナさんの手をずっと握っていたアーダイン公爵の後ろ姿を、何度も、何度も見たんだ。

 子想う優しい人が、モノの様に扱い、見捨てるなんて絶対にない。


「リュカ! この人を遠ざけて!」

「はい!」


 様子を伺っていたリュカオンは即座に女を羽交い絞めにすると、私達から無理やり離す。


「きゃ!? 何するのよ!」

「黙れ。おまえは取り返しのつかない事をしたんだ」


 公爵夫人に対してとても大胆な行動に出たリュカオンに驚きながらも、私はシャーナさんの赤い液体で汚れた右手と口を急いでハンカチを使って拭いた。

 時間が無いのは分かっている。でも、シャーナさんに私の想いをちゃんと伝えて上で、信じて欲しい。だから、少しでも誠意を見せる為に白いハンカチが赤く汚れても良いと思った。


「シャーナさん。私です。ミューゼリアです」


 綺麗になったシャーナさんの右手を取り、私は訴えかける。


「私は、あなたに生きて欲しいです」


 不安だった誕生日会で、見ず知らずの私を温かく迎え入れてくれた優しい子。

 逃げて、と小さく私に呼びかける思いやりのある子。


「私は、あなたに幸せになって欲しいです。2回しかまだ会っていないけれど、どうか私を信じてください」


 私の呼びかけに、シャーナさんは手を握って答えてくれた。

 急いでポーチの中から、シャルティスの葉が入った小さな布袋を取り出す。葉は時間が経っても、萎れることはなく、摘んだばかりのように張りと艶がある。


「シャルティスの葉です。飲んでください」


 小さな本葉を2枚分一口で食べられるように丸め、シャーナさんの口元へと運ぶ。

 一瞬、彼女は迷ったようにこちらを見た。私は静かに頷くと、何とか口の中へと入れてくれた。

 完全な浄化にはまだ足りないかもしれないが、この危機は打破できるはずだ。


「何をしている貴様ら!」


 ようやく騒ぎを聞きつけた劇場の警備兵達が、私達に叫ぶ。

 これで一件落着と行きたいが、はやくシャーナさんを病院へ連れて行かなければならない。私はシャーナさんに立てるか聞こうとした。


「助けてください! あの娘が、私の子に毒を!!」


 は? 

 何言ってんだ。あの女。


「貴様! 公爵夫人に対し、何をやっている!!」


 リュカオンは大勢に取り押さえられ、警備兵の一人が私達の元へ迫って来る。


「きゃ!?」


 咄嗟にシャーナさんを守ろうとした私は男に突き飛ばされ、壁に打ち付けられる。さらには髪を掴まれ、無理やり立たせるように右腕を引っ張られた。


「犯人を確保した!!」


 なんだ、こいつ!?

 私の話を聞いてよ!!

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