21話 真っ赤なドレスと赤い液体 (一部修正)

 王都に来てから8日が経つ。今日は、王国建国をテーマにしたオペラを鑑賞する事になった。劇場の二階のボックス席に家族4人仲良く座ったが、兄様はつまらなそうにしている。オペラは通常3幕から4幕あり、短いもので3時間、長いものだと6時間あるとお母様から聞いた。兄様としては、やはり王都観光で色んな所を歩き回りたいようだ。

 ほどなくして、劇場全体が暗くなる。舞台にスポットライトが当てられ、指揮者へ拍手を送った後、オペラが開演する。

 響き渡る美しいソプラノ。重厚感があり心振るわせるテノール。

 レンリオスの領地に吟遊詩人や大道芸の人がやって来て、歌や芸を披露してもらう事はあったが、オペラは王都のように規模の大きな都市しか堪能できない代物だ。こういう時にしか聞けないから集中したいところだが、私は向かいの席に座るアーダイン公爵家が気になっていた。

 向かいの壁のボックス席には、アーダイン公爵夫人とシャーナさんの弟が座っている。また二人だけだ。

 あの2人はどちらも緑がかった黒髪と瞳をしており、銀髪に紫の瞳のシャーナさんとアーダイン公爵とは全く雰囲気が違う。ゲーム内ではアーダイン公爵とシャーナさんは登場するが、夫人や弟は一切登場しない。夫人キャラが登場するのは主に社交界ルート。しかしリティナの社交界は王族の後ろ盾があるで、敵対する貴族との接触は少なかった。

 どういう理由で、2人だけなのだろう。仮にアーダイン公爵が魔術師として王族の警護でいないとしても、シャーナさんが欠席するのは不思議だ。

 もしかして、この一週間で赤い液体を飲み、体調不良を起こしたのだろうか。


「そろそろ休憩の時間よ」


 お母様が小声で私に耳打ちをする。そうなの?と聞く前に、1幕目が終わり、舞台にカーテンが下りる。どうやらお母様は前にもこのオペラを鑑賞した事があるようだ。

 30分程の休憩時間に入り、観客の人々は飲料を飲みに併設されているバーへ向かう等、各々好きなように動き始める。


「私、お手洗いに行ってきます」


 家族四人でホールに出てきた時、小さなポーチを持った私はお母様にこっそりと言った。


「わかったわ。私達はカフェに先に行っているわね」

「はい」


 お母様は頷き、リュカオンに護衛をするように頼んでくれた。私は2人でお手洗いのある場所へ向かった。劇場にはトイレが複数設置されているお陰で、人が分散している。でも、バーや休憩スペースのある南と東は列が出来ている。待つよりも他に行った方が良さそうなので、何らかの施設の無い西側のトイレに向かってみる事にした。案の定、列は無かった。

 


「少し待っていてね」

「はい。お待ちしております」


 リュカオンは少し離れた場所で待っていてくれる。

 私は急いで女性トイレへ入った。




「どうして来たの。来るなと言ったのに」




 お手洗いを済ませ、待っていてくれたリュカオンと共にお母様たちの元へ帰ろうとしたが、不穏な事を言う女性の声を聞いてしまった。耳の良いリュカオンも聞こえたらしく、私の傍までやって来た。


「いやな予感がするの。確認してきて良い?」


 ここで聞いていないフリをするのは出来ないと思い、小声でリュカオンに聞くと彼も静かに頷いた。


「ついて行きます」

「うん。気づかれない様に」


 私の後ろをリュカオンがついて行く形で、声のする方へ行くと歩き出す。トイレの位置からさらに奥の西側の端。行き止まりと言った方が良いのだろう。休憩できるソファの無いただ通路のみであるこの場所は、気分転換やオペラの余韻を楽しむには、豪華絢爛であっても殺風景だ。自然と心細くなり、活気のある場所へと足が向く。

 だが、御誂え向けの場所でもある。


「全く、聞き分けが無い子ね」


 女性の声が聞こえる。気づかれない様に私は柱の影から様子を伺う。

 そこにいたのは、真っ赤なドレスを着たアーダイン公爵夫人と思われる女性とシャーナさんがいた。シャーナさんは壁を背にして、逃げ場がない状態だ。


「申し訳ありません……次は必ず行くように、とお父様が」

「公爵様を言い訳に使うなんて、はしたない」


 シャーナさんの話を遮り、女は強い声音で言う。


「折角、殿下の誕生日会に用意したお茶を無駄にするし、言う事を聞かないし……誰に似たのかしら」


 予想はしていたが、あの人は継母だ。クリーム色のドレスを着たシャーナさんとは血の繋がりが無い。

 話しからして、誕生日会でお茶と呼ばれたあの赤い液体をサプライズとして振舞ったのは、彼女のようだ。アーダイン公爵家は魔術師の名家であるだけでなく、王に最も近い権力を持っている。あの時のメイド達はまだ幼い王太子ではなく、公爵夫人の命令に従ってしまった。


「今日のお茶は飲んだの?」


 女が問いかけると、シャーナさんは黙って俯いてしまった。


「そう。また飲んでいないのね。丁度良かったわ。先程、カシウスの為に新作を頂いたけれど、貴女にあげるわ。感謝しなさい」


 こちらからでは女の後ろ姿しか見えないのではっきりと分からないが、ポーチを持参しているようだ。その中には、赤い液体の入っている瓶が入っている。


「さぁ、飲みなさい」


 女の背中の動きから、手渡されたと思われる赤い液体が入っている瓶。

 シャーナさんは断る権利がある。だが、異母弟である3歳の男の子カシウスが人質の状態だ。シャーナさんに断れない状況を作る為の作り話としても、卑怯だ。

 私は、ここしかシャーナさんを救える機会は無いと思い、勇気を振り絞って前へ出た。


「シャーナさん!!」


 出来る限り大きな声で、彼女を呼ぶ。

 2人は驚き、私の方を向いた。シャーナさんの手には、赤い液体が入った小瓶があった。


「何? どこの……あぁ、例の田舎者ね」


 振り返り、誰なのか分かった瞬間、女は私を見下した。

 第一声がそれか。貴族ならもう少し遠回しに皮肉る品性が無いのか。


「シャーナさん! それはとても危ない飲みものです! 一歩間違えば、死んでしまうかもしれません! どうか飲まないでください!」


 私は女を無視して、シャーナさんに呼びかける。


「あんな田舎者の話を聞いては駄目。これは貴女の為なの」


 女はシャーナさんの視界に私が入らない様に、彼女の上へ覆い被さる様に見下ろし始める。シャーナさんの目線では、きっと威圧的でとても怖いだろう。

 私はまだ子供。地位もあの人の方がずっと上。だから、声を張り上げるしかない。


「その飲みものは、身体の魔術生産を一時的に増幅させるだけで、成長なんてしません! 飲み続ければ、身体の中がボロボロになります!」


「うるさいわね。でたらめな事を言わないでちょうだい。こっちは専門の学者様から貰った証拠があるのよ」

「薬学であれば、私も勉強しております。その学者の名前を教えていただけませんか?」


 女の動きが一瞬だけ止まった。こんな小さな田舎娘が薬学を勉強しているなんて、思いもよらなかっただろう。薬草を育てる過程で子供向けに書かれた薬学の本や、研究者の論文を少しだけ読んだ。だから、〈専門の学者〉と言われた程度で騙されない。


「まぁ、あの子は医者を呼べないほど貧乏なのね。心配はいらないわ。シャーナはこれを飲み続けても、一度たりとも苦しんだことは無いもの。あなたは特別なのよ」


 話をすり替え、そしてシャーナさんに向かって言う。


「早く飲みなさい」

「お、お母様」

「飲みなさい!」


 私は気づいたら走り出していた。

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