第53話 体育祭 その8

 このまま別れるのはあまりにも勿体なく思えたからだ。

 しかし、何と言えばいいのか分からず、言葉が出てこない。

 それでも何か言わねばと思い、必死に言葉を紡ぐ。


「あの、さっきは不躾なことをしてすみませんでした」

「気にしないでいいわ。あたしだってみっともないところを見せてしまったし、お互い様よ」

「いえ、でも……」

「なら貸し一つってことでどう?」

「それでいいのでしたら……」

「決まりね」


 霜月さんはニッコリと微笑むと、その場を後にする。

 オレはそんな彼女の姿が見えなくなるまで見送った後、自分の席に戻ることにした。

 その後の青対白の綱引きはすっかり復活した霜月さんの活躍により、青組の圧勝に終わっていく。


「ライバルだからあんまり大っぴらには言えないけど、おめでとう」


 試合が終わり、オレとすれ違う霜月さんに話しかけると、彼女は照れ臭そうに頬を赤らめる。


「ふん、お前に感謝されても嬉しくないわ」


 そんな彼女を見て、オレも恥ずかしくなってきた。

 ただ、そのおかげで少しだけ距離感が縮まったような気がした。彼女の好感度は1上がり、6になっている。

 

「ねえ……」


 そこに底冷えするような冷たい声が響く。

 オレは恐る恐る振り返るが、そこには花咲さんの姿があった。

 彼女の周りから冷気のようなものが漂っているように見え、その目は鋭く光っていた。

 明らかに怒っており、とても怖い。

 彼女はこちらに歩み寄ると、オレの腕を掴んで引っ張っていく。


「橘くん、キミはいつから霜月ちゃんと仲良くなったの?」


 花咲さんは壊れた人形のようにぎこちなく首を曲げ、笑顔で問いかけてくる。

 その瞳の奥にはどす黒い炎が渦巻いており、今にも爆発しそうだ。

 そんな彼女に気圧されたオレは、冷や汗を流しながら答える。


「えっ? いや、たまたま話しただけだよ」

「へぇー……それなのにあんな親しげに話すんだね」

「そ、それは霜月さんが困っていたから」

「ふぅん、そういうことか」

「う、うん」


 すると花咲さんはオレが背にしている壁に勢いよく手を付き、逃げられないようにする。

 そして、至近距離で視線を合わせると、甘い声で囁いてきた。

 オレの顔のすぐ横には花咲さんの胸があり、柔らかな感触を感じる。

 さらにシャンプーの良い匂いが鼻腔を刺激し、頭がクラクラしてきた。

 オレはどうにか理性を保つため、目を瞑り、必死に耐える。


「橘くん、あたしは別に怒ってなんかいないよ。ただ、霜月ちゃんとどんな関係なのか知りたいだけだから。ね、教えて?」

「か、関係ないじゃないか」

「あるよ。だって、霜月ちゃんはあたしのライバルだから。それに友達だし」

「だ、だったらオレも同じじゃないのか?」

「うーん、橘くんとはちょっと違うかな。だって橘くんは友達で、さらにわたしの彼氏でしょう?」

「あっ、そうか……ごめん」

「いいよ、謝らないで。それより教えてくれるよね?」

「……はい」

 オレは観念して、花咲さんにこれまでの経緯を話す。

 最初は楽しそうに聞いていたのだが、段々と表情を曇らせていく。そして、話が終わる頃には完全に不機嫌になっていた。


「はぁ、もう本当にバカなんだから。なんでそんなことをするわけ? 普通ならしないと思うんだけど」

「確かに普通ではないかもしれないけど、あの場合はああするのが最善策だと……」

「はい、言い訳禁止! これは浮気をした橘くんが悪いです」

「すみません」


 花咲さんは頬を膨らませる可愛らしい仕草ながら瞳に闇を宿しており、そのギャップが恐ろしい。

 怒らせると怖い人なので、素直に頭を下げることにする。

 彼女はしばらく不満げにしていたが、最後には許してくれた。その代わり、お仕置きとしてキスをする約束をさせられてしまったが……。

 その後はしばらくオレたちが参加する競技は無く、応援の合間に実況席を見る。

 そこには花咲さんがおり、綺麗で澄んだ声を用いて実況をし、体育祭を大いに盛り上げていた。

 今は大玉転がしをやっており、花咲さんはそこに実況をして盛り上げに貢献中だ。彼女の実況はプロのそれと変わらないクオリティであり、生徒たちを熱狂させていた。

 大玉転がしはこの熱気に包まれて白熱しており、一進一退の攻防を繰り広げている。

 細かく見た戦況は青組がリードしていた。このまま行けば青組の勝ちだろう。

 だが、ここでハプニングが起きる。

 大玉を押し出す係の生徒同士がうっかり衝突してしまい、二人とも地面に倒れ込んでしまったのだ。

 当然、大玉も地面を転がり始め、制御不能に。青組は一気にビリに落ち、勝利は白組がもぎ取ることになった。


「どうよお兄様。白組の底力は侮れないでしょ!」


 大玉転がしには妹は参戦していないが、その様子を見ていて興奮しているようだ。


「さてさて、決着をつけるとしますか、先輩」

「これを待っていたんだ」


 大玉転がしが終わると、体育祭のハイライトとなる花咲さんと妹が待ち望んでいた学年混合リレーがやってくる。

 この競技は各学年から速力自慢の選手が参加し、バトンを繋ぐというものだ。

各組男女3名ずつの計18名で走ることになる。

 まずは男子の部を執り行い、次は女子の部がスタートしようとしていた。

 グラウンドではそれぞれのチームが待機をしており、緊張した面持ちでその時を待つ。

 ピストルの音と共に男子のリレーが始まると、同時に歓声が上がった。

 どのチームもかなりのハイペースで走っていき、接戦を繰り広げる。特に白組と赤組の争いが激しく、両者とも一歩も譲らない展開を見せていた。

 しかし、終盤になって徐々に差が開き始める。

 白組アンカーは男子陸上部のエースであり、それに負けじと追い上げる赤組。

 ついに両者は並ぶが、わずかに赤組が速い。そのまま赤組が1位でゴールテープを切る。

 その瞬間、観客席から大きな拍手と歓声が上がり、勝者を讃えた。

 白組は悔しそうな表情を浮かべているが、健闘を称えられている。

 こうして、無事に男子の部は幕を閉じる。

 続いて女子の部の開始だ。


「潰してあげるよ、おチビさん」

「ふん、そのままその言葉を返してあげますよ。猫被りおばさん」


 花咲さんと怜は終始睨み合っており、バチバチと火花を散らす。

 そんな二人を見て、オレは不安になる。

 なぜなら、二人の足の速さはほぼ互角だからだ。

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