第52話 体育祭 その7
赤組は霜月さんの攻勢を防ぐことに必死になっており、反撃の糸口すら掴めずにいる。
そんな状況で花咲さんは、ついに痺れを切らしたのか、何かを思いついたような顔になる。
「一か八か、だね」
何をするつもりなのかはわからないが、花咲さんならきっとこの状況を打開してくれるはずだ。
オレは固唾を飲み、その光景を見守る。
花咲さんは後続の子たちに合図を送ると、一斉に手を離す。
「ぐあっ!」
反発し合っていた綱が一気に青組側へ流れるやいなや、その勢いに踏ん張りきれなかった青組は体勢を崩す。
敗北ギリギリのところで赤組は綱を掴み直し、一気に手繰り寄せる形で勝利をもぎ取った。
「みんな、よく頑張ったよ! 無茶苦茶な作戦だったけど、付き合ってくれてありがとう!」
下手をすれば敗北必至のリスキーな提案が赤組には浸透していた。そんな無茶が罷り通ったのは偏に花咲さんがみんなから信頼されている証拠であり、彼女のカリスマ性の高さが伺える。
「花咲さんのお願いなら信じるって! いつも助けられてるんだしさ、このくらい当然だよ」
「そうですよー。それにしても、あの霜月さん相手に勝ったたんですから大したものです。来年も楽しみですね〜」
「ふふん、あたしたちの勝ちね」
勝利した赤組のメンバーはみんな喜び、花咲さんを中心にして集まっていた。
みんな花咲さんを囲んで楽しそうに会話しており、その様子を見ているとなんだか微笑ましい気持ちになってくる。
そんな風に和んでいると、不意に背後から肩に手が置かれる感触を覚えた。ふと振り返ると、そこには頬を膨らませた妹がおり、見るからに嫉妬しているように思えた。
「お兄様にはあたしがいるのに……」
競技が終わった後、こっそりと自分の応援席から抜け出し、こっちに来たのだろう。
ちっこい妹はまるで猫のようにオレの背中に抱きつくと、グリグリと頭を押し付けてきた。
周りは妹の美人さに驚いており、オレなんていないとばかりに妹に注目している。
「お兄様とラブラブなのはあたしだけで十分なんです!」
もう妹は本性を隠す気も無いようで、堂々とオレへの好意を口にする。
しかし、それが嫌ではないのは何故だろうか。花咲さんにも似たようなことを言われたのだが、その時とはまた違う感覚である。
オレはどうしてしまったのだろうか。やはり、二人に迫られているせいで変な方向に思考が向いてしまっている気がする。これが男としての性か。あるいは二人の魅力が凄まじいのか。
「お兄様成分補給完了っと。じゃあ帰りますね」
妹は手を振りながら笑顔でこの場を去っていく。
オレはその後ろ姿に魅了されるように、呆然と見つめることしかできなかった。
花咲さんたちが勝利の余韻に浸る一方、霜月さん率いる白組は少し落ち込んでいた。ただ、大抵の参加者が所詮体育祭と割り切っている頃、霜月さんは悔し涙を飲んでおり、本気で優勝を目指していたことが伝わってくる。
「くそっ、くそっ!」
彼女にとって、花崎美咲に勝つことが全てであり、それ以外など眼中になかったのだ。
だからこそ、花咲さんが霜月さんよりも上に行ったという事実を受け入れられずにいるのである。
そんな彼女は泣きながら校舎裏へと走り去っていく。
その様を見かねたオレの足は無意識に動き、彼女を追う。
「うぅ……」
敗者にかける情けなど無用と聞くことが多いが、オレはそれには納得がいかず、側で泣いている女子を放っておくほど薄情でもない。
オレは彼女にハンカチを差し出すと、声をかける。
「大丈夫ですか?」
「えっ? どうしてここにいるのよ」
オレの顔を見るなり、彼女は目を丸くして驚く。
そんなことはさておき、まずはこの子を慰めることが重要だ。
彼女の好感度は5をキープしており、至って普通の反応を示している。花咲さんや妹みたいに過度なスキンシップをとったりはせず、あくまで自然体を保っている。
「あんたに関係無いでしょ」
オレの手を振り払うと、彼女は顔を背ける。
だが、その目元には涙が浮かんでおり、強がっていても心では傷ついているようだ。
「関係ないかもしれないけど、放っておけないんだよ。ほら、これ使ってください」
オレはハンカチを手渡すと、彼女がそれを受け取るのを待つ。
すると、ようやく観念したのか、大人しく受け取ってくれた。
「……ありがと。洗って返すわね」
「いえ、そのまま返してくれていいですよ。別に大したものじゃないですから」
「そういうわけにはいかないのよ。これは借りたものだから、ちゃんと返さないとダメなの。そうじゃなければあたしが許せないわ」
「ああ、確かにそれは一理ありますね」
「でしょう」
「はい」
霜月さんは実直な性格のようで、きちんとルールを守るタイプの人のようである。そうでなければ、ここまで勝ち上がってくることはできなかっただろう。
「あたしとこうして対面で話してくる奴は学校にはいないのだけど。あんたは奇特なのね」
そう言って、彼女はクスリと笑う。
その表情からは先程までの悲壮感は無くなっており、いつも通りの凛とした雰囲気が戻っていた。
そんな彼女の顔を見た瞬間、オレはドキッと心臓の鼓動が大きく跳ね上がる。
やはり美少女が放つ魔力は男子を魅了して止まない。
そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、彼女は真っ直ぐとオレの目を見て口を開く。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったわね。教えてくれるかしら?」
「橘大和です」
「ふーん……良い名前ね」
「ありがとうございます」
「あたしの名前は知っているだろうけど、霜月リコっていうの」
彼女は自分の胸に手を当て、自慢げに名乗る。
おそらく、自分の存在をアピールすることでオレの記憶に残そうとしたのだろう。
案の定、オレはその名前を忘れることはなかった。むしろ、記憶に深く刻まれてしまったくらいである。
オレはそのことに動揺しつつも、平静を装いながら会話を続ける。
「ふう、とりあえずあんたのおかげで落ち着けたわ。それにいくらなんでも私情でチームの足を引っ張るわけにはいかないしね」
霜月さんはそう言うと、立ち去ろうとする。
その背中は勇気に溢れており、触れるだけで火傷をしてしまいそうな熱量が感じ取れる。オレはそんな彼女を黙って見送ることができず、思わず呼び止めてしまう。
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