第51話 体育祭 その6

 今は女子が参加する綱引きの準備中である。参加するのは花咲さんで、会場に出るなり周りの女子たちを鼓舞している。


「頑張ろう! みんなのこと信じているから!」

「もちろん! 絶対負けないから」

「花咲さんがいればば百人力だよ」

「あたしだって負けられない」

「私も気合い十分です」


 花咲さんは持ち前のリーダーシップでみんなのやる気を引き出すのが上手いようで、いつの間にか花咲さんの周りには人が集まっていた。

 彼女の人気は凄まじく、オレは改めてそのカリスマ性を見せつけられた気がした。オレはというと、応援席で花咲さんの勇姿を眺めていた。


「作戦を伝えるよ。綱引きが始まってしばらくしたら合図を出すから、その瞬間に思いっきり力を込めてほしいな」

「わかったよ美咲ちゃん」

「美咲の指示通りにすれば良いんでしょ」

「はい、分かりました」

「うん、よろしくね」


 花咲さんはクラスメイトたちと交流していく中で、ちらちらとオレに目配せをしてくる。

 オレはそれに小さく微笑み返し、花咲さんに手を振った。そこから落ち着きが無くなってきた彼女はそわそわし始め、ついには身体を左右に揺らし始めた。

 どうやらオレからの再びのサインを待っているようだが……本当にこの子はわかりやすい。

 そしてついに開始時刻となり、花咲さんは合図と共に全力を振り絞る。

 赤組対白組の綱引きは序盤拮抗しており、どちらが勝ってもおかしくなさそうだ。


「赤組は少し押されているようです!」


 実況の言う通り、形勢は白に傾いているように思える。しかし、赤組もただ黙っているわけではない。白組に完全にペースを明け渡さないように粘っているのが垣間見える。

 その粘り方は例えるなら火事場の馬鹿力とでも表現すべきか、火事場になれば普段以上の力が出せる人間の潜在能力を体現しているかのようである。

 凄まじい粘りようは白組のメンバーに精神的な疲労を徐々に蓄積させ、やがてそれは焦りや苛立ちとなって表に現れ始める。

 すると、白組のメンバーは勝負所でもないのに余計な力を込めてしまう。それは当然のように隙を生み、赤組はそこを見逃さずに一気に押し込んでいく。


「今だー!!」


 花咲さんのその掛け声と共に、赤組はメンバー全員で渾身の力を込める。

 今までの比ではないほどに勢いを増した力は遂には白組を完全に打ち破るほどの力を生み出し、逆転勝利を収めたのだ。

 その劇的な勝利に、会場からは歓声が上がる。

 オレもその光景を見て、思わずガッツポーズをした。

 

「ふふふ、やるわね。花崎美咲さん」


 青い髪を揺らしながら現れる人影。その正体は青組を纏める主要人物の一人である2年女子。名前は霜月リコ。

 霜月さんはオレや花咲さんとは別のクラスだが、知名度はかなり高く、体育祭実行委員にも選ばれている才女である。


「リコちゃん、受けて立つよ」

「次こそ勝つ」


 霜月さんは花咲さんに対してかなりの対抗意識を持っており、こうして度々衝突しているらしい。

 今回も、そんなライバル同士の対決だった。

 その後のわずかなインターバルで、花咲さんはオレの元へやってきた。


「見ててくれた?」

「ああ、バッチリ見届けさせて貰ったよ。お疲れ様」

「えへへ、ありがとっ」


 花咲さんはオレを人気の無い場所へ連れ込み、二人きりになったところでいきなり抱きついてきた。

 あまりにも突然の出来事だったので、オレは反応できずに固まってしまう。

 そのままの状態で2分が経過するが、花咲さんは一向に離れる気配を見せない。むしろより強く抱きしめてくる。

 この状態でさらに数十秒が経過すると、彼女から流れる甘い匂いを鼻腔が感じ取り始めた。その香りはまるで麻薬のような中毒性を秘めており、オレの思考回路を麻痺させるには十分過ぎるほどだった。

 もう限界だと悟ったオレは、意を決して花咲さんを引き剥がす。すると、花咲さんは不満そうな顔をしてこちらを見つめてきた。

 そんな彼女の頬はほんのりと赤く染まっており、上目遣いでこちらを見る瞳の奥には熱情が渦巻いている。

 その色香に当てられ、またもやオレの心臓が激しく鼓動する。まずい、このままでは理性が持たないかもしれない。

 そう思ったオレは花咲さんと距離を取り、何とか冷静さを取り戻すことに成功する。

 しかし、一度高鳴ってしまった心音はすぐに収まるはずもなく、ドクンドクンと激しく脈打っている。


「橘くん成分を補給できたことだし。そろそろ行こっかな」


 花咲さんは名残惜しそうにしながらもオレから離れ、自分の持ち場へと戻っていった。

 それを見送った後、オレは大きく息を吐く。


「危なかった……」


 危うく花咲さんの魅力に溺れるところだった。

 オレは気を落ち着かせるため、霜月さんの好感度を思い出して心を無にする。

 彼女の好感度は5と標準だった。最大値らしい10の30倍もある花咲さんとは違う、オレに何の感情も抱いていない彼女のことを考えていると、自然と体の強張りが解けていく。

 オレのことを意識していない人のことを考えると、あっさりと平常心に戻れるのは不思議なものだ。これも一種の防衛本能なのだろうか。


「あの三人、どんどんオレに執着するようになってきて怖いんだよな」


 見た目可愛いし一途なのは良いんだけど、いかんせん愛が重過ぎる。

 そんなことを考えながら赤組対青組の綱引きを見るため、視線をグラウンドの方へ向けた。

 赤組と青組の戦いは実質花咲さんと霜月さんの一騎打ちであり、互いに一歩も譲らない激戦が繰り広げられていた。

 どちらが勝ってもおかしくないこの綱引きの勝負。

 青組の怒涛の攻めに対して、赤組は堅牢な守りに徹しており、今のところは均衡を保っているように見える。

 しかし、それも時間の問題だろう。赤組のメンバーは体力の限界を迎え始めており、このまま持久戦に持ち込めば確実に負ける未来が見えている。

 霜月さんの攻め方は単純明快なゴリ押しかつ、一気に引き抜いて決着をつけられそうなパワー押しである。


「一気に潰してやるわ!」

「くっ! やるね!」


 去年の霜月さんもそんな感じで対戦相手を圧倒していた。

 そして、そんな彼女に真っ向から対抗できる存在が花咲さんなのだ。花咲さんは持ち前の運動神経の良さと類まれなる集中力で、霜月さんの猛攻を防いでいる。

 それはまさに、オレが理想とする花咲さんの頼もしい姿であり、惚れ直すに値するものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る