第54話 体育祭 その9


「位置について……よーい、ドンッ!!」


 アンカーを務める彼女たちにできるだけ優位なポジションを託すべく、先発する女子たちは全力で走り出した。

 序盤戦はどちらかというと花崎さんが率いる赤組が優位に立っている。

 花咲さんの圧倒的なカリスマに突き動かされ、彼女の味方は力を大幅に発揮しやすくなっていそうだ。

 一方、怜にはそんな人望が無いために味方を突き動かす力は薄く、前哨戦ですでに差が開きつつあった。


「なんでこんなチビがわたしに喧嘩を売るのか理解できないよ」

「なんか言ったかしら……」

「別に」

「うぐぐっ」


 妹は挑発に対してやり返したいようだが、神聖な勝負の最中に暴力に訴えるのはもってのほかだし、ましてや今走っている走者に介入などできるはずも無く、ただ歯噛みするしかない。

 統率の取れていない怜のチームは眼中に無かったであろう青組にも抜かれてしまい、早くも3位にまで転落してしまった。

 一方の赤組は後続との距離をどんどん広げていき、独走状態に入っている。

このまま逃げ切れば勝てるかもしれない。


「まだだ、まだあたしに周れば!」


 赤組は前の二人が順調に走り終え、いよいよ花咲さんへバトンが渡る。その瞬間、花咲さんはギアを上げ、猛スピードで駆け抜ける。

 その速度の速さはまるでチーターのようであり、一瞬にして他の選手を引き離していく。

 その様子に会場はどよめき、花咲さんへの応援の声が飛び交った。花咲さんはぐんぐんと加速していき、2位以下を大きく引き離すと、一気にコースを半分程進んでいた。

 一方の怜の方はまだ二人目という絶望的な状況であり、半ば諦めているような顔をしていた。






 お兄様を奪おうとするあの女はやはり強かった。あたしは今回のリレーで身をもってその強さを実感し、体を焼かれそうなほど嫉妬心が湧き上がる。

 だけど、まだ終わったわけじゃない。

 あたしにはあの女に勝るとも劣らないお兄様への愛があり、それをこの勝負を通じて証明しなければならない。

 そうしなければ、お兄様の気持ちは永遠にあの女のものになってしまうから……。

 お兄様に想いを告げてからというもの、あたしはお兄様の気を引くべく努力してきたつもりだ。

 それは料理だったり、勉強だったりと様々だったが、どれもあの女はやってのけている。腹立たしい限りであり、どうにかしたい。

 この戦いはあたしたちの優劣を簡単に決めるのにおあつらえ向きであり、負けるわけにはいかないのだ。

お兄様のためにも、絶対に勝つ! 気合いを入れ直し、目の前のバトンに集中する。

 現在3位の白組はもうすぐでアンカーであるあたしへとバトンを渡すところである。


「橘さん! 受け取って!」

「うん!」


 前の走者からバトンを受け取ったあたしは吹き荒ぶ風を飲み込む勢いで走り出し、あの女との差をみるみると縮めていく。


「へえ、侮っていたけどなかなかやるね」

「喋っている暇があるのかしら!」


 あたしは死に物狂いで青組のアンカーを抜き、花咲先輩になんとか喰らいつくも、あの女の速度は一向に落ちない。

 だが、あたしは諦めるわけにはいかない。もしここで負けたら、お兄様はあの女のものとなってしまうのだから。

 あたしは全身全霊の力を振り絞って走る。風を切り、砂を蹴って進む。言葉では虚勢を張ってはいるものの、内心は焦りを感じていた。

 一定の距離から一向に縮まらない。このままでは追いつけない。

 どうすればいい? 必死に頭を働かせ、打開策を探る。

 だが、リレーに小賢しい策など必要無い。ただひたすらに前を向いて走ればいいだけだ。

 頭の中に、一人の男の姿が浮かび上がった。

 お兄様だ。

 そうだ、迷うことなんて何もなかったんだ。

 あたしは全力で足を動かすだけだ。

 もっと速く、もっと強く、より一層力を込め、地面を踏み締め、足を回す。

 すると、次第に花咲先輩との距離が近づいてきた。

あと少し……もう少しだ。

 花咲先輩が最後のコーナーに差し掛かった時、ついにあたしはその背中に追いついた。

 あたしはラストスパートをかける。


「ふふ、まさかここまで追い縋ってくるとはね。見直したわ」


 追い詰められているはずの花咲先輩はあたしに賛辞を贈りながらも、余裕を捨てていない。本当に嫌になるくらい強い人だ。

 でも、負けられない戦いであることに変わりはない。

 あたしは、全力で走り続けた。

 そして、ついに花咲さんを追い抜くことに成功する。その瞬間、グラウンドは歓声に包まれた。あたしの努力がわずかでも報われた瞬間であり、ずっしりと重かった体が一転、極上の快感に包まれていき、軽くなった。


「よし!」


 力を振り絞り、成果を上げたあたしはその解放感から喜びに満ち溢れていた。

しかし、そんな歓喜も束の間、すぐにあたしは現実に引き戻される。

 花崎美咲が笑みを称えながら物凄い勢いで追走してきたのだ。

 今までのあれでまだ本気でなかったようで、あたしとの距離を一気に詰めてくる。その絶対的な力によって、あたしの努力は一瞬にして否定された気がして……。


「お兄様、お兄ちゃん!」


 絶望に霞む視界の中、あたしには唯一見えている人がいた。お兄様、世界で一番大好きなお兄様だ。その瞬間、横から一気に花崎美咲に抜かれた後、大した動揺もしなくなっている自分に気づく。

 勝負を諦めたのではない。あたしにはまだ花崎美咲に対抗できる自信を新たに身に付け、勝利を実現できると意気込んでいるからだ。ならば、あたしがすることは固まっている。

 絶対に負けないと、お兄様の心を独り占めしようとするあの女に勝ってみせると、決意を胸に刻み込み、再び力強く大地を蹴り上げる。


「まだ諦めていないんだ」

「そう簡単に諦めるものですか!」


 花咲美咲に抜かれてからというもの、あたしは彼女の追撃を何とか振り切ろうと試みるも、それは叶わずにいた。

 だが、それでもあたしは走り続ける。お兄様のために。あたしのこの想いを伝えるために。

 ゴールテープが近付いてくる中、あたしと花崎美咲はデッドヒートを繰り広げる。

 抜いたら抜かれるのを繰り返しながら、互いに一歩も譲らない。そのままあたしたちは同着でゴールした。

 花崎美咲に対し全力を尽くしたあたしの体は勝負が終わるのと同時に力が抜け、その場に倒れそうになる。


「大丈夫?」


 そんなあたしを助けたのは、さっきまで死闘を繰り広げていた相手である花咲美咲だった。

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