第40話 大好きだよ、お兄ちゃん

 いや、流石にいきなり仲良くなるなんて、心理的に無理があるだろ。あの二人は決定的に反りが合わない。つまりは世の中に何人かいる、絶対に合わない人間というやつであり、そんな人間が奇跡的に同じ空間にいること自体が凄い。


「あの、お願いがあるんだけど」

「ん?」


 花崎さんはオレに呼びかけ、廊下に誘い出す。多少警戒したものの、花崎さんには恩がたくさんあるわけだし、断る理由はなかった。


「どうしたの?」

「あの、今日泊まってもいい?」

「えっ」


 花崎さんの唐突な申し出に、オレは困惑する。


「どうして急に」

「実はお姉ちゃんと喧嘩しちゃって……」


 花崎さんは目を伏せる。


「それで家に帰りたくないんだ。だから……ダメかな」


 上目遣いにオレを見つめてくる花崎さん。

「うーん」


 正直に言えば、オレは彼女の頼みを聞き入れたいと思っている。

 だけど妹との軋轢もあるしなぁ。なかなかに難しい問題が壁になって立ちはだかっている。

 オレが悩んでいると、花崎さんが更に言い募ってくる。


「わたし、家出して来たから行くところがないんだよ。こんな夜に女の子一人じゃ危ないと思うの」


 確かにそれは一理あるかもしれない。


「わかった。それならうちに来ればいいよ」


 幸い、妹との関係はなんだかんだで良くなったようだし、問題はないだろう。

 とりあえず彼女を泊めることにしたオレは、妹にもそのことを伝えることにする。すると彼女は意外なことにあっさり了承する。


「お兄様が決めたことですからあたしは反対いたしません。ただし、一つだけ条件があります」

「条件って何だよ」

「お風呂です。お風呂に入る時はあたしと一緒に入ってもらいます。あと、あたしに全部を委ねてくださいね」


 条件付きだが、どういうわけだか許してくれた。気に入らないであろう花崎さんを家に泊めるなんて、死ぬ程嫌だろうに。

 オレは妹に感謝しつつ、彼女と共にリビングに戻る。


「ありがとう」

「いいってことよ」 


 妹と花崎さんが笑い合うのを見て、オレも自然と笑みがこぼれる。

 良かった。これで一件落着か。


「お兄様、じゃああたしが洗ってあげますね」


 洗い物を終えた後、約束通りにオレは妹に体を預けることになった。妹はスポンジを手に取ると、オレの背中を洗い始める。


「やっぱりお兄様には妹であるこのあたしがいなくっちゃですよね」

「まぁ、そうだね」


 髪の毛も妹がやり、今は浴槽に浸かりながらオレの頭をシャンプーしている。

 妹は鼻歌を歌い、とてもご機嫌な様子だ。一方のオレは少し気分が良くなかった。何故ならば妹の指がオレの首筋を這い回っているからだ。


「くすぐったいんだけど」

「我慢してください。大事なところなので」


 そう言って妹は爪を立てないように注意しながら、オレの首を念入りに洗っている。

 大事と言われてもな。

 釘を刺されていてなお我慢できず、オレは身を捩らせる。


「あーもう暴れちゃ駄目じゃないですか」

「でもくすぐったくてさ」

「お兄様が悪いんですよ? これは罰です。大人しくしていなさい」


 妹はオレの耳元で囁き、そして首筋をなぞるように撫でる。


「はい、終わりました」

「ふう」


 やっと終わった。オレは安堵の息を吐く。


「では次は前ですね。こっちを向いてください」

「はい?」

「ほら早く。恥ずかしがらないでください」


 いや、そういう問題ではないのだが。

 しかし抵抗しても無駄なのはわかっているため、素直に妹に従うことにした。


「はい、じゃあお兄様は目を瞑っていて下さい」

「うん」


 言われるがままに目を閉じる。


「いきますよ」

「ああ」


 約束通りに、妹はオレの前の部分もしっかりと洗ってくれる。

 痛みなんて全く無く、むしろ心地良さすら覚える。


「はい、これで完了です」

「ありがと」

「いえ、どういたしまして」


 それからオレたちは湯船に体を沈め、まったりと寛ぐ。


「ふぅー極楽極楽」

「ジジくさいな」

「だってお兄様と入るのって気持ち良いんですもん。お兄様はどう思ってるのか知りませんけど」

「いやまぁ、別に悪くはないかな」

「へぇーそうなんですねぇー」


 オレの言葉を聞いた妹はニヤリと笑う。

 しまった。誘導尋問に乗せられてしまった。


「もう何回も入ってるだろ」

「満足できないもん!」


 そう言うと妹は勢いよく立ち上がり、そのままオレの背中をごしごしと洗い始める。

 その様は力強く、まるで自分の身体を使ってマッサージをしているみたいだった。

 オレはされるがままになりつつ、今日あった出来事を思い出す。

 花崎さんがうちに泊まることになった。今日だけとはいえ、妹以外の人間を泊めるなんて初めてだ。しかも女の子だし。

 それにしても、妹がこんなにも協力的だとは思わなかった。てっきり反対されると思ったのに。 


「お兄様? どうかしましたか」


 妹に声をかけられ、オレは現実に引き戻された。妹の声は甘ったるく、耳に纏わりつくような感じがした。


「いや、何でもないよ」

「嘘ばっかり。本当は何か考え事していたんでしょ」

「そんなことはないぞ」

「本当に?」


 オレは妹に一瞬伝えることを躊躇ってしまうが、すぐに思い直す。

 くだらないことを抱えっぱなしで無意味に苦しむよりは、話してしまった方が楽になるかもしれない。

 オレは意を決して口を開く。

 しかし妹はオレの言葉を遮り、こう言った。


――何も言わなくていいよ。あたしにはわかるから。


 妹は優しく微笑むと、オレの頬に手を添えた。


「花崎先輩を泊めることはもう許してます。そこにしこりも何も無いのでご安心ください」


 


「そっか」

「はい。だから気兼ねなくあたしとイチャイチャしましょうね?」


 そう言って妹はオレを強く抱きしめてくる。

 オレは何も言えず、ただ黙って妹の温もりを感じていた。妹は優しい声でオレの名前を呼びながら、何度も頭を撫でてくれる。

 そして妹は最後に一言、耳元で囁く。


――大好きだよ。お兄ちゃん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る