第35話 怪しい場所


「お兄様、さっきはごめんなさい。あたし、少しだけやり過ぎました」

「ああ、わかってくれたならいいよ」


 道中、妹は多少反省していたようでしおらしい態度を見せていた。オレは優しく微笑んでみせる。


「はい。でも、お兄様とのデートを邪魔されて腹が立ちまして。あの女には近いうちに罰を与えないといけませんね」

「いや、それはダメだ」


 妹が不穏なことを言い出す前に止めておく。反省とはいっても、オレに醜い姿を晒したことに対してであって、花崎さんに申し訳ないと思う気持ちは持ち合わせてはなさそうだ。


「どうしてですか?」

「いや、暴力はいけないというか」


 オレは必死になって言葉を探すが、なかなか良い答えは見つからない。


「それに、怜が怖いことをするのは見たくない」


 結局、ありきたりなことしか言えなかった。しかし、それで正解だったのか、妹の顔はみるみると明るくなっていく。


「そうですね! あたしはお兄様に優しく、麗しい美少女。暴力なんて似合いません!」


 オレは妹が張り切る姿に苦笑いしていた。彼女はオレの言うことは全部正しいとでも思っているように、意見がころころ変わっていく。

 自己の確立さえしていないような、糸が垂らされた操り人形を見ているのと変わらず、不気味な印象を受ける。

 オレはそんな彼女を見て、やはり可哀想だと思うと同時に、庇護欲のようなものを感じている。


「はぁ……兄貴、とりあえず手繋ごっか」


 人通りの多い場所に出ると、怜は外面をごく普通の妹の顔に切り替え、オレに手を差し出してきた。


「ああ」


 オレは彼女の手を握り返す。妹の手はとても小さく、力を入れたら壊れてしまいそうなほど繊細だった。


「じゃあ、お兄様のお家に帰りましょう」

「お、おう」


 妹に連れて行かれたという御大層な理由があるものの、オレは怪我をしたかもしれない花崎さんを実質的に見捨ててしまった。

 助けに行きたい。だが、妹の力が異様に強くて抜け出せないのだ。

 いくらアウトドア派とはいえ、ここまでの力は無いはずだ。

 オレの知らない間に、怜は何かしらの成長を遂げていたのだろうか? わからない。ただ一つ言えるのは、今オレの隣にいるのは、かつての可愛くて華奢な妹ではないということだけだ。


「お兄様、どうかしましたか?」

「い、いやなんでもない」


 妹の視線から逃れるため顔を背けるが、彼女の手を振り払うことができない。

 怜の手を握っている間は、何故か心が落ち着く気がした。昔もたまに繋いでいたな。当時はガチで嫌われてるっぽかったから手を繋ぐたびにドキドキしていたが、今は違う意味で心臓が高鳴っていた。

 オレは妹のことをどう思っているのだろう。依然として自覚はままならない。好きという感情はあるけど、それが恋情だとは到底思えない。

 もどかしいな。オレは自分の気持ちがわからなくてイラついていた。

 オレたちはしばらく無言で歩き続ける。妹はオレと二人きりなのもあり、ずっと照れて手を擦り合わせている。

 そのせいもあってか、普段よりずっと長く感じられた。

 今日の夜景はいつもと違って見えた。

 夜空は闇を金色に照らす星々が輝いており、街灯は煌々と光を放っている。都会の夜にしては幻想的な光景が広がっていた。

 オレはこの景色を目に焼き付けながら、家に向かって歩く。


「ふぅー」


 街灯が照らすだけの夜道は夏に入ってなお未だに肌寒く、流石に冬程で無いにしろ対真夏に特化した通気性の良い夏服では寒さをモロに感じる。


「お兄様、羽織るものを持っていますがどうでしょうか」


 怜はこの状況を予見していたように、重ね着できる上着を肩にかけてくれた。


「ありがとう」

「いえ」


 妹にお礼を言うと、彼女は頬に朱を走らせて俯いていた。

 それからしばらくの間、オレたちの会話は途切れたままだった。別に気まずいわけじゃない。ただ単に話すことがないだけだ。

 口数が多いはずの妹は、話下手なオレと違ってどちらかというと喋る方だ。なのに、今日に限っては沈黙を貫いている。沈黙を楽しんでいるようだ。


「お兄様、ちょっとだけ寄り道をしても良いですか」

「えっ、ああ。いいぞ」


 怜は急に立ち止まり、オレに問いかけてきた。オレは彼女の意図が読めずに困惑しつつも了承する。


「やった! お兄様とお出かけしているだけで幸せです」


 怜は嬉しそうにはしゃぐ。何がそんなに嬉しいのかわからないが、とりあえず機嫌が良いなら良いか。


「どこに行くんだ? もう夜だし遠出はできないぞ」

「近くのお店なんで大丈夫です!」


 そう言って、彼女はオレの腕を引っ張って駆け出した。夜になっても本当に元気な奴だよ。


「ここは……」


 怜に案内されたのは街角の荒んだエリア。隅にはホームレスらしき男たちが何人もおり、みんな一斉に煌びやかな怜に注目する。

 それが不快だったのか、妹は舌打ちをして彼らを睨みつけていた。


「さっきのところとは全然雰囲気が違うな」

「そうですね! でも、あたしはこっちの方が好きです。静かで落ち着いていて」

「そ、そうか?」


 怜はそう言うと、オレをどんどんこの暗闇へ引き摺り込んでいく。

 ホームレスたちは妹に興味津々ではあるようだが、不思議と近寄ってはこない。

 先程からオレも感じている彼女の鋭い眼光が周囲に迸り、牽制の役割を担っているからだろうか。それにしても、こんなところに一体何があると言うんだろうか?


「着きました!」

 

 そこは女性ものの服が売っているという、いわゆる服屋だそうだが、オレの知る場所とは雰囲気が異なっている。

 いかにも選ばれた人間にしか辿り着けない、隠れ家といった趣の場所であり、客は一人たりとも見当たらない。

 オレの知っている店で言えば、原宿とか渋谷辺りにあるような洒落た空間が広がっている。

 ここはというと生半可な覚悟の人間を寄せ付けない怪しげなオーラが漂っており、店の中に入るのを躊躇うほどだ。


「あ、あの、怜ちゃん?」

「お兄様、入りますよ」

「ちょ、待ってくれ」


 妹はオレの意見を無視して、問答無用で店内に連れ込んだ。外装からしてオンボロのビルであり、こんな店にまともなものが売っているはずがないと決め付ける。

 第一印象で物事を判断するのは良くないのだが、あまりに汚い外見にそうした常識的判断はいとも容易く崩される。

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