第36話 怪しい店

 店の入り口に続く通路は古めかしい灯りが点滅するのみであり、その蛍光灯には巨大な蛾が何匹も集っている。通路の壁にはいつのものかもしれない大昔のポスターが、所々削れた状態で張り巡らされている。


「えっと、ほんと大丈夫?」


 この時点で怪しさ満点であり、オレは恥ずかしくも自分より小柄ながら微動だにしていない妹を頼ることにした。


「大丈夫ですよ、通い慣れたこのあたしに任せてください!」

「はぁ」


 変態行為を平然とすることから、おそらく精神構造的にまともじゃない妹を頼るのは不安になる。こんなところで服を買うやつがいるのか? 少なくともオレには無理だ。


「お兄様、こちらに来てください」

「あ、ああ」


 オレは妹の背中を追いかける形で、薄暗い店内に足を踏み入れる。


「いらっしゃい……あら、怜ちゃんじゃない」


 そこにいるのは大人の色気を前面に押し出した、妖艶な雰囲気を纏った美女。年齢は二十代前半ぐらいだろうか。

 彼女は妹を見るなり、優しい笑みを浮かべた。

 服装は黒を基調としたスーツを身にまとい、髪は茶色に染まっている。そして胸元を大きく開けており、男なら誰しも視線を奪われてしまうだろう豊満なバストを見せつけている。

 顔立ちは整っていて、その目は優しそうで、どこか母性を感じさせる。

 しかし、オレはその女を見た瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われた。まるで蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなる。彼女が原因ではない。背後にいる妹が、オレをじっと見つめていたからだ。


「久しぶりね、怜ちゃん」

「はい! お姉さん、お元気そうですね」

「ふふっ、ありがと。怜ちゃんは相変わらず可愛らしいわ」

「えへへ、ありがとうございます」

「ところでそちらの方は誰かしら」

「あたしの敬愛するお兄様です!」

「あなたが来るたびに話していたのは彼のことね」


 敬愛とは、これまたむず痒いことを言ってくれるじゃないか。妹が尊敬している人なんて、今まで聞いたことがないぞ。

 そもそも、妹にそんな風に思われているのは最近になって知ったことだ。

 何にせよ、ここは一つ愛想よく挨拶をしておくか。

 オレは笑顔を作り、二人の元へ歩み寄る。


「初めまして、橘大和です」


 すると女性は微笑み、オレの手を取った。


「私は高梨美緒というわ。よろしくね」

「は、はい」


 オレは戸惑いながらも彼女の手を握った。

 柔らかい感触が伝わってくると同時に、女性特有の甘い香りと香水の刺激が鼻腔をくすぐる。


「それじゃあ、ゆっくり見て行ってちょうだい」

「はい! お兄様、行きましょう!」

「ちょ、ちょっと待てって。引っ張るなよ!」


 オレは妹に引き摺られる形で、店内の奥へと連れていかれる。そこは下着売り場だが、ライナップを見て目を覆いたくなる。

 どれもこれも際どいデザインばかりであり、まだあどけなさを残す彼女が着るにはあまりにえっちだ。


「ねぇ、どれがいいか選んでくれませんか?」

「オレが選ぶのか!?」

「はいっ! だってお兄様に見てもらいたいんですもん!」

「そ、それは……」


 正直言って、オレには荷が重い。

 そもそも女の子の服を選ぶセンスなど持ち合わせていないのだ。


「お兄様、お願いしますよぉ〜」

「うぅ……わかったから、あんまり近づくなよ?」

「やったー!」

「その代わり、絶対に変なことは言うなよ」


 変なこととは、オレを淫靡に誘うような文言や仕草であり、オレにやたらとご執心な彼女ならやりそうなことだ。

 案の定、彼女は布面積が小さい際どい下着をチョイスし、オレに見せてくる。

 まるでオレに想像を掻き立てさせるように、じっくりと拝ませる。


「お、おい! こんなん着られるわけないだろ!!」

「えぇ〜、どうしてですか?」

「どうしても何もあるか! とにかく却下だ、このエロ妹が!」

「ぶぅ、いいじゃないですか。お兄様も男の子なんだから、こういうの好きでしょう? ほら、こことか凄く凝視してますし」

「ば、バカ! やめろ!」


 オレは妹の手を払い除けると、顔を真っ赤にして睨みつけた。だが、妹にオレの言葉は届かず、逆に嬉しそうに笑っている。


「もう照れちゃって可愛いんだからぁ」

「お前の方が恥ずかしいわ!! 頼む、マジで勘弁してくれ」

「だーめ」


 彼女はオレを試着室へ連れ込む。高梨さんは怜を止めるどころか、面白そうに笑って眺めていた。


「さ、早く着替えてください」

「なんでオレがこんな目に……」

「んっしょっと」


 試着室にて、妹は服を脱ぎ下着姿になる。今回の怜の下着は上下セットとなっており、淡いピンク色をした可愛らしいものだった。


「はい、どうぞ」

「あ、ああ」


 オレは妹の身体を見ないようにしながら、試着室の隅の方で座り込み、彼女が満足するのを待つ。

 妹はその頃、ブラのホックを外し、ゆっくりと脱いだ。そしてショーツに手をかけようとしたとき、オレは思わず目を閉じる。


「……うひひ、ほらほらぁ、お風呂でも見せたのに、何をそんなに恥ずかしがることがあるんですかぁ?」

「ぐっ……」


 オレは何も言い返せない。事実だからである。確かに妹とのお風呂は気持ちよかったし、良い思い出にはなっている。

 しかし、それとこれとは別なのだ。

 異性として意識している妹が裸体を晒すのは、やはり抵抗がある。


「お兄様ったら、ホントにかわいいですね。ふふっ、それじゃあ行きますよぉ〜」


 裸になったのも束の間、彼女は買おうとしている勝負下着を身に着け始めた。


「はい、これでバッチリです!……お兄様?」

「…………えっ、な、何だよ」

「いえ、ただじっと見つめているだけでしたので」

「い、いや、別に何でもないぞ」

「本当にぃ?」

「本当だって」

「むぅ、怪しいです」


 オレが目を逸らすと、彼女は頬を膨らませながら近づき、オレの隣に腰掛ける。


「お兄様は、あたしのことを女の子として見てくれないんですか?」


 割と色々なことはしたものの、オレと怜における関係はあくまで兄妹。現状の関係はそれ以上でもそれ以下でもない。


「そ、そういう訳じゃないけど……」

「じゃあ、もっとちゃんと見てくれてもいいんじゃないですか?」

「うぅ……わかったよ」

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