第22話 家庭教師 その2
「え? 兄貴が先輩のために料理する? 寝言は寝てから言えば?」
妹からも放たれる言葉はオレのことなど微塵も信用していないような、冷たいものだった。なぜか数字が80まで上がったけど。
「兄貴の料理なんて、毒物作っているようなものじゃん。先輩に変なもの食べさせるつもりなの?」
妹は花崎さんを心配するような口調で言う。それにしても毒物とは……妹は的確にオレのガラスのハートを抉るような
「毒物は言い過ぎだろ」
「でも事実じゃん」
「いや……まぁ……お前のよりは美味しくないけどさ」
「じゃあ、わたしがやるよ。せっかくあんなに可愛い人が来てくれたんだし、この前のお詫びも兼ねて作りたいんだ」
「今日はオレがやりたい気分なんだ。いいから黙って見ていろ」
「兄貴の料理なんて食べたくないなぁ」
妹は渋々と引き退ることを選んだようで、それ以上は何も言わなかった。
やたらと言ってきた割に、その決着はあまりにあっさりとしており、オレは拍子抜けした。なんだか、最初からこうなるように誘導されているような違和感が拭えなかった。
オレがキッチンで調理している間、花崎さんはその隣にいる。
「やっぱり、手伝いたいな」
花崎さんは、オフショルダーのワンピースという服装なのもあって美しい線を描き、浮き出ている鎖骨が目に飛び込んできてドキリとする。その艶やかな肌は白くきめ細かで、とても綺麗だった。
「じゃあ、野菜洗ってくれるか?」
「うん!」
花崎さんは嬉しそうな声を上げ、水のを予め投入した野菜入りの容器に手を入れる。
料理上手の彼女の手際は素晴らしく、あっという間に洗い終えてしまった。
「次は何をすればいいかな?」
「あとは焼くだけっす」
「了解ですっ」
彼女は楽しげな様子でフライパンの準備をする。その最中にもオレの横顔を見てニコニコしており、心の底から楽しんでいるようであった。
オレはそんな彼女が気になりながらも、下拵えが終わった野菜を切っていく。
オレは怜や花崎さんと比べて、まだまだ不慣れなので時間がかかる。しかし、花崎さんが横にいると不思議と早く終わったような感覚になった。
野菜の処理の後は豚肉を細かくスライスしていく。
これも花崎さんがいるおかげで非常に捗る。花崎さんは予めフライパンに油を引いており、すでに調理の準備を整えていたのだ。
「橘くん、そっちのお肉はどうしたらいいの?」
「ああ、これは今から野菜と一緒に炒めるよ」
「わたしもお手伝いしてもいい?」
「もちろん」
花崎さんはオレが準備していた調味料を素早く手に取ると、テキパキと味付けをしていった。それはオレよりもずっと手際が良く、料理に慣れているように見えた。
「これでよしっと」
「ありがとう」
「ううん、気にしないで」
「やっぱりあんなにレベルの高いお弁当を作ってるだけあって、手際がいいね」
「えへへ、そうかな」
花崎さんは照れ臭そうにはにかむと、柔らかそうな髪が覆う頭を軽くかいた。そんな仕草すらも愛らしく映り、オレの胸の奥が温かくなるような感じがした。
「橘くんは何でもできるよね」
「そうかな、全部凡庸だと思うけど」
オレはなんでもそれなりにできるとは思うけど、実際はどれもこれも突き抜けた部分は無く、凡庸と吐き捨てるに足るものばかりだ。
「わたしだって全然だよ。昔から何もかも上手くいかなくて……今だって完璧には程遠いし」
「そんなことないよ。オレから見れば花崎さんはとても魅力的な女の子に見える」
「え? 本当?」
花崎さんの頬がほんのりと赤く染まる。彼女はあわただしく視線を泳がせながら、言葉を続けた。
「わ、わたしなんて元を辿ればただの根暗だし……」
「いや、そんなことはないって」
オレは慌てて否定する。彼女は暗いのではなく、お淑やかであり、それでいて可愛らしい雰囲気があるだけだ。それにオレなんかより遥かに社交性もある。
「それにしても、橘くんは本当に優しいんだね」
「オレは別に優しくなんてないさ。花崎さんこそ、すごく優しいと思うよ」
「え? わたしが?」
花崎さんはオレに限らず誰にだって優しいし、それに気配りができる。オレが褒めると、彼女は恥ずかしげに目を伏せた。
そんなことを話しているうちに、野菜が炒まったので、そこに豚肉を投入し、塩コショウを振りかけて軽く炒めていく。
その頃になるとフライパンから良い香りが立ち込めてくる。その匂いに釣られてか、妹の怜がリビングまでやって来た。彼女は食卓で椅子に座っており、その目の前にある皿に盛られた料理を見て眉をひそめる。
「なんで兄貴が先輩と一緒に料理を作ってんのさ」
なめこの味噌汁を作っているオレの視界に、見るからにイライラしてそうな妹が入ってくる。まあいつものことだし、とやかく言っても仕方がない。
そんな彼女の頭上の数値は80を超えていた。
「見ての通りだけど」
「はぁ!? 何それ! ふざけてんの?」
怜は指で花崎さんを差しながら大声で叫ぶ。花崎さんとオレが並ぶことに異を唱えているのはほぼ確定のようであり、その瞳は怒りで燃え上がっている。
そして、オレの方を見て、口を開こうとする。
その口から出てくるのは罵声だろう。オレはそれを覚悟しながら、彼女の次の言葉を待った。
しかし、彼女が口にしたのは意外な言葉だった。
「はぁ……大体状況を見れば分かるわ。大方花崎先輩が手伝いたいって言ったんでしょうし。それなら断る方が失礼よね」
彼女は苛立たしげに息を吐き出す。
「……ああ、そうだな」
オレは花崎さんが手伝いたいと申し出てくれたことを思い出し、同意する。
「だからあたしはもう何も言わないことにする。でも、兄貴は後であたしの部屋に来なさい!」
怜はそれだけ言い残し、リビングのソファで寛ぎ始めるのであった。
フライパンの中に入っている野菜と豚肉を細かく炒め終えればオレ特製の野菜炒めの完成だ。
花崎さんに手伝ってもらってなお、少し焦げてしまった部分はあるけれど、それもご愛敬ということで。
完成した野菜炒めをお皿に移してテーブルへと運ぶと、花崎さんがお盆を持ってこちらに来た。
三人分の料理を運び終えたオレ達は向かい合うように座る。
ちなみに、今日の夕飯はご飯に野菜炒め、お浸しになめこを使った味噌汁というシンプルなものだ。
オレは箸を手に取ると、両手を合わせる。
「ずいぶん質素ね」
「嫌だったら食うなー」
「ふん、仕方ないから食べるわよ」
妹は頬を膨らませながら悪態をついてきており、腕を組んで偉そうに席にふんぞり返っている。頭上の数値は90台をマークしており、いよいよ100に迫りそうだ。
なんか……嫌ってるのとは違うのか? 嫌いだったらそもそも食わなそうだし。
「橘くんって、実はわたしがいなくても作れるでしょ」
花崎さんはクスリと笑いながら、オレの作った料理を見る。
「確かにそうかもしれないけど……やっぱり花崎さんが手伝ってくれたおかげでもっと美味しく感じるよ」
「そっか……じゃあ良かった」
花崎さんは嬉しそうな笑みを浮かべる。そんな彼女を見てオレの心が温かくなる。
早速自作した料理を花崎さんが味わう。
「うん、ちゃんとできてるよ」
「ありがとう。これで安心して食べられるよ」
正直なところ、少し懸念はあったけど花崎さんの笑顔に嘘は無さそうであり、ホッと胸を撫で下ろす。
オレは手を合わせていただきますを言うと、花崎さんと怜もそれに続き、食べ始めた。
野菜炒めを一口頬張ると、口の中に肉と野菜の旨味が広がっていく。味付け自体はシンプルに塩コショウだけなのだが、それでも十分すぎるほどに美味しい。
もう少しあかんかなあと身構えていたけど、意外にもできるものだと感心してしまう。
ふと横を見ると、花崎さんが野菜炒めを幸せそうな顔で咀しゃくしていた。そんな彼女はオレの視線に気づくと、ハッとして顔を赤らめる。
「ど、どうかした?」
「いや、おいしいなって」
頭上の数値は92を超えている。だが、これまでと彼女の態度はそんなに変わらないので、数値による態度の変化には実感が湧かないでいる。
それにしても彼女を家に招いたのはこれが初めてだな。怜がいるとはいえ、こうして客人に食事を作るのは初めてだし、ちょっと緊張する。
「兄貴、料理案外できんじゃん」
「あ、ああ……」
妹はオレたちが話している最中、口を開けてはつまんなそうな表情でオレの料理を褒める。
「あ、ありがとう」
「ふん」
オレが感謝の気持ちを述べると、妹はそっぽを向き、箸を再び食事に向けるのであった。
「それじゃ、ごちそうさま」
「おう、お粗末様」
花崎さんが食器を重ねながら、立ち上がってキッチンの方へと向かう。妹は自分の食器を片付けると、何かに追われるように2階へと駆け足で上がっていった。
「洗い物くらいはあたしがやるよ」
「いいよ。花崎さんはお客さんだしゆっくりしていて」
「でも……」
オレは花崎さんの制止を振り切り、流し台の前に立つ。
そして、スポンジを手に取り、泡立てた後に皿を洗っていく。
花崎さんはリビングでテレビを見ているが、手持ち無沙汰なのは嫌なのかやたらとソワソワしている。
「あの、わたしも手伝うよ」
「ん、大丈夫だよ」
「でも、二人の方が早いでしょ?」
花崎さんはソファから立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。
しかし、それは丁重に断った。料理まで手伝ってもらったので、また頼んでしまうのは虫が良過ぎる考え方である。オレは皿についた汚れを落とし、水で流していく。
すると、花崎さんが後ろに立ち、同じように皿を洗い始める。
その光景はまるで夫婦みたいに見えなくもない。
花崎さんが隣からオレに密着しているため、腕に柔らかいものが当たる。
「花崎さんって最近、オレにやたらとくっついてくるけど、好きなの?」
おそらく触れてはならない禁断の質問。だが、好奇心を抑えきれずに尋ねてしまう。
すると、彼女は頬を赤らめながらも答える。
「うん、友達としてではあるけど」
「友達かあ」
予想通りの答えだけど、どこか落胆してしまう自分がいる。
花崎さんはこちらを見てクスリと笑う。
今なら冗談交じりで告白すれば、あるいは……いや、そんなことしたら、今までの苦労が水の泡になるな。
オレは心の中で自嘲気味に笑った後、最後の一枚を洗い終える。
「終わったよ」
夕食を食べて少しした後、花崎さんは帰ると言い出した。オレとしては泊まっていってほしいけど、彼女にも予定があるだろうし、無理強いはできない。
玄関先で靴を履いた花崎さんはオレ達に向かって言う。
ちなみに、オレが見送りをすると言ったら、花崎さんは少し恥ずかしそうにしながら、ついてきた。
花崎さんは扉を開け、外へ出る。
外は既に真っ暗であり、春にもかかわらず冷たい風が吹いているため肌寒い。
「送ろうか? もう暗いし危ないと思うんだけど」
花崎さんは少し困り顔になりながら、首を横に振る。
「大丈夫だよ。ここから近いし、それに橘くんに迷惑かけられないよ」
「そんな、全然迷惑じゃないよ。むしろ花崎さんと一緒に帰れて嬉しいというか……」
「え?」
オレが言い淀んでいると、花崎さんが目を丸くして聞き返す。
「ああいや、なんでもない」
花崎さんはオレの声を聞くと、顔を赤らめて俯きがちに呟く。その言葉は小さく、何を言って
「うひひ」
彼女の顔は夕焼けのように赤く染まっている。
花崎さんはチラっと上目遣いでこちらを見る。
「あ、ありがとう……」
「あ、ああ……」
オレたちはしばらく見つめ合う。花崎さんの明るい赤色の瞳に吸い込まれそうになる。
だが、すぐに彼女は我に返り、踵を返そうとする。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
花崎さんは不思議そうな顔をする。
「その、連絡先を交換しよう」
これまで花崎さんとの差を感じていたことにより、遠慮していた連絡先交換。
今日の夕食を経ていよいよ覚悟が固まってきたという感じだ。
「あ、そうだよね」
オレはポケットからスマホを取り出し、QRコードを表示する。花崎さんも自分のスマホを取り出すと、読み込んでくれたようで画面に通知が来る。
オレたちはお互いに確認し合い、メッセージアプリの友達登録を行う。
これでいつでも花崎さんに連絡できるな。
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