第21話 家庭教師
妹は興奮気味に言う。まあ、確かに客観的に見ればそうなるかもしれないが……。
「別に彼女と付き合ってるとかそういうわけではないぞ」
「じゃあなんなのさ。この家にわざわざ呼ぶなんて。もしかして、もう既にヤッちゃったんじゃないでしょうねぇ」
「言葉が過ぎるんじゃないかな。怜ちゃん」
我慢がならなくなったのか、花崎さんは妹のことを注意する。
「先輩は少し黙っていてください。あたしはこのだめ兄貴に聞いているんです」
「だめ兄貴って……お兄さんに対してあまりに失礼だよ」
「でも、実際そうじゃないですか。あんなにモテなかったくせに、突然隣に女の子を作るようになったんですよ? しかも、美人で有名な花崎先輩とくれば疑わない方がおかしいですよ」
「それは……」
花崎さんが口籠もりながらオレの方を見る。
どう答えればいいか分からないといった様子だ。
だから、ここはオレがしっかりフォローしなければならない。
「だからさ、オレと彼女は友達みたいなもんなんだって。エッチなことは元より、キスだってしちゃいない」
「……本当に?」
「本当だよ。それにオレは今まで彼女を作ったことがないだろう? こんなにレベルの高い彼女でいきなりそんなことはできないよ」
「それは、そうだけど……」
納得がいかないのか、妹は口を尖らせる。
これ以上話しても平行線になるだけだろう。
なので、ひとまず話題を変えることにする。ちょうど、お茶もできたことだし。
オレはお盆の上に3人分のお茶を乗せる。
そのお盆を両手に持ってテーブルまで持っていくと、花崎さんが代わりに受け取ってくれた。
「ありがとう」
「いえいえ」
「ところで、やっぱり怜ちゃんと橘くんは仲が良さそうね」
オレがお茶を並べていると、彼女がふとそんなことを口にした。
「どうしてそう思うの?」
「雰囲気で分かるよ。本当に仲が悪かったらもっと冷ややかな空気になるもの。少なくともわたしにはそんな感じはしなかったな」
花崎さんが言うなら、きっとそうなのだろう。いまいち実感は湧かないけどさ。
「とにかく、オレと花崎さんは勉強をするんだ。余計な詮索は無意味だからな」
「あたしが兄貴の言うことを信用するとでも?」
「信用してもらわないと困るんだが」
妹の頭上の数値は60になっている。見た感じ、妹がオレに好意を持っているとは思えないのだが。
オレに手厚く接してくれている花崎さんも付き合っていないことを肯定する方向だし、やはりこの数値は好感度ではないことを彼女たちは証明しようとしている。
「……分かったよ。そこまで言うなら、とりあえずは信じておく」
「助かる」
「でもね、兄貴」
妹はオレを睨みつける。
「もし、変な真似をした時は覚悟しておいてよね」
それだけ言い残して彼女は部屋を出て行った。オレと花崎さんだけがリビングに取り残された。
「騒がしくてごめんなさい」
「気にしないで。むしろ賑やかな方が好きかな」
「そう言っていただけると嬉しいです」
果たして、これを賑やかと言って良いのだろうか。どちらかと言うと、嵐の前の静けさのような気がしてならないのだけれど。
オレたちは向かい合う形でソファに座る。
それから勉強会が始まった。
彼女は学年一位の実績に恥じぬ、見事なまでの理解力でオレの質問に答えていく。おかげで、非常に捗った。
彼女の教え方は分かりやすく、また教えるポイントを絞っているため無駄がない。
これがトップの成績を取る者の実力なのかと感心してしまうほどだった。
そして何より驚いたのは、花崎さんの飲み込みの良さだ。
一度説明したらすぐに理解してくれるし、彼女にも分からないところがあってもきちんとメモを取ってすぐに覚えてくる。
ここまで優秀だとは思わなかった。正直、同じ人間かと疑いたくなるほどだ。
「どうしたの? 橘くん」
「いや、なんでもないよ」
「そう。ならいいんだけど」
「うん」
「ねえ、ちょっと休憩しない?」
「ああ、そうだな」
時計を見ると、時刻は3時を回ろうとしていた。集中しているせいか、時間が経つのが早い。
休憩がてら、オレは立ち上がってキッチンへと向かう。
冷蔵庫の中から麦茶を取り出し、花崎さんの分を含め、コップに注ぐ。
それと客人用の羊羹をお盆に乗せて、再びリビングへと戻ると花崎さんが申し訳なさそうに謝ってきた。
「手伝うって言ったのに……」
「大丈夫だよ。これくらい」
オレはお盆をテーブルの上に置く。
「ありがとう」
「どういたしまして」
それにしても花崎さんはやたらとオレを手伝いたがる。最初は遠慮していたが、最近は慣れてきたのかこうして自然に受け入れてくれるようになった。
しかし、それはそれで困りものだ。というのも、彼女が隣にいるだけでオレの心拍数が異常に跳ね上がるからだ。
花崎さんが近くにいるだけで、胸の奥から熱い何かがこみ上げてきて落ち着かなくなる。
この感情の正体はなんなのだろう。
今まで感じたことない気持ちに戸惑いを覚える。
でも、決して嫌な気分ではなかった。むしろ、心地の良い感覚だ。
「どうかした?」
「え?……あぁ、悪い。ぼーっとしてた」
「もしかして疲れてるんじゃない? それなら今日はこの辺にしておこうかな」
「いや、もうちょっと頑張ろうと思う。せっかく教えてくれているんだしさ」
「そう……」
「じゃあさ、今のうちに数学の問題集の続きを解いてもいい?」
「もちろん」
花崎さんの許可を得たので、オレは問題を解き始める。
その途中、花崎さんがお茶を飲みながら、ふと口を開いた。
「橘くんは勉強が好きなの?」
「まあ、好きだよ」
どちらかと言うと、好きというよりはそれしか学校で打ち込む選択肢が無いという方が正しい。
「どうして?」
「将来の選択肢が増えるから」
「将来か……。わたしはあんまり考えたことなかったな」
「花崎さんだって、これから先やりたいことが見つかるかもしれないじゃん」
「……」
「花崎さん?」
「あっ、ごめんね。ちょっと考え事してたの」
花崎さんは天才だし、進路を悩む必要はないんじゃないかと思ったけど、そうでもないらしい。やっぱりそうした悩みはあるんだな。いや、オレのような凡人とは違い、贅沢な悩みとも言えるだろうか。選択肢があり過ぎるのも考えものだな。
花崎さんがこうして悩んでいる姿を想像するとなんだか不思議な気持ちになる。いつも冷静で大人っぽい彼女にも年相応なところがある。そんな姿を見るたびに新鮮な気持ちでオレはそのように思うのだ。
そんなことを考えているうちにオレは問題を一つクリアした。
花崎さんに教えてもらったことをしっかり実践していくと、これまで苦戦していた問題なんて、まるで嘘のように解けるようになった。
「すごいね、橘くん」
「花崎さんの教え方が上手かったんだよ」
「そんなことないよ。橘くんの努力の成果だと思う」
「ありがとな」
花崎さんのおかげで一気に学力が上がった気がする。やはり彼女は教える才能がある。
「花崎さんは教師に向いてるんじゃない?」
「買い被り過ぎだよ」
花崎さんは謙遜しているが、本当に向いている気がする。少なくともオレにはそう見えた。
オレが褒めると彼女は頬を赤く染めて照れていた。それがとても可愛らしくて、思わずドキッとしてしまう。
こういう表情を見てしまうと、ますます彼女に惹かれる自分がいることを自覚する。
彼女の表情もまた、赤く染まっており、それに呼応するように頭上の数字は70前後で上下を繰り返している。
これは一体どういう意味を示しているのだろうか。
オレに対する好感度が上がっているのだろうか。それとも、単純に恥ずかしくて顔が赤くなっているだけなのか。
どちらにせよ、花崎さんは少なからずオレへの好意があるのかもしれない。
もしそうなら嬉しいことだけれど、それを直接確認するのは少し怖い。だからオレは誤魔化すことにした。
「お茶入れ直すよ」
「ありがとう」
勉強の合間に飲んで、空になったコップを持って立ち上がると、ちょうど妹が帰ってきた。
オレは慌てて麦茶のおかわりを入れようとキッチンへ向かおうとする。しかし、それよりも早く、妹はキッチンへとやってきた。
そして、そのまま無言でオレの隣に立つと、同じようにコップにジュースを注ぎ始めた。
「兄貴、まだ先輩と勉強してたんだ。飽きやすい兄貴らしからぬ忍耐力だね」
「うるさいな」
「ふん、兄貴も結局男なんだね。美少女にハエのように集って、ああ嫌だ嫌だ」
妹は散々オレに嫌味をぶち撒けると、スナックとジュースを両手に持ち、足早に部屋へと戻って行った。
オレは溜息を吐きながらソファへ戻る。
相変わらずの毒々しい妹だ。
嫌っているとはいえ、あんな風に言われても不思議と腹は立たない。むしろ、あれくらいの毒舌は可愛いものだとすら思っている。なんだかんだでオレを気に掛けるところはあるんだよな。
きっとオレにとって花崎さんの存在が大きくなっているのを知り、少しは警戒しろとばかりに釘を刺してきたのだろう。
でも、大丈夫。今のところは花崎さんにそういう感情は無いから。
オレは自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
「どうしたの?」
「え?……いや、なんでもないよ」
「そう。怜ちゃんに酷いこと言われたなら、わたしが代わりに叱っておくから」
「大丈夫だよ」
「本当?」
「うん」
「ならいいんだけど」
オレたちは再び机に向かい合い、そうして勉強会を再開した。
それからしばらく経った頃、ふと視線を感じて横を見ると花崎さんと目が合った。
花崎さんはニコッと微笑みながら、こちらを見ていた。オレができるようになったことが嬉しいのだろう。片手間の採点には、赤丸がたくさん刻まれている。
なんとなく気まずくなったオレは目を逸らす。
「こんなにお勉強が楽しいのは、いつ以来かな」
花崎さんは嬉しそうな声色で独り言のように言った。
その言葉にハッとする。
もしかしたら花崎さんはこれまであまり良い思い出がなかったのかもしれない。天才ゆえの孤独とかあったのかもしれない。だからこそ、こうして誰かと一緒に過ごす時間を楽しく感じているのではないだろうか。頭の数字も71と、ちょっと上がっている。
花崎さんの屈託の無い笑みは、彼女が楽しんでいる証なのだと思うと、それだけでオレの心は温かくなる。
花崎さんは天才だけど、決して完璧超人というわけではない。こうして一緒に過ごしてみると、彼女の様々な一面が見えてくる。
天才であることに変わりはないけど、彼女はただ単に頭がいいだけではなく、優しい少女でもあるのだ。
「花崎さん」
「なあに?」
「これからも時々こうやって教えてくれないか?」
「もちろんだよ。わたしも橘くんとお勉強したいもん」
花崎さんは笑顔で答えてくれた。
「ありがとう」
オレはせっかく彼女が家にいるのを活かし、夕食のお礼をしようと考えた。
「せっかくだし、家庭教師のお礼もかねて夕食をご馳走させてほしい」
「うーん……」
花崎さんは少し考えるような仕草を見せる。
「そんなに高いものは出せないけどさ」
「じゃなくて……。わたしは別に見返りが欲しくて勉強を教えてるわけじゃないんだよ」
「そうかもしれないけど、オレが何かお返しがしたいんだよ」
「本当に?」
「ああ」
「本当に本当に?」
「本当に本当に」
花崎さんは何度も念を押してきた。
ここまで言われると、オレもムキになってくる。なんか彼女にしてはえらく食らいついてくるな。まるで別人と話しているようだ。
「えへへ、嬉しい」
ぐいぐいと迫ってきた彼女だが、最後は満面の笑みを浮かべていた。
それを見た瞬間、胸が高鳴る。
何この子!? めっちゃ可愛いんですけど! いつもクールで、どこか大人び
た雰囲気のある花崎さんが見せる珍しい子供っぽい表情。
それがオレにはとても可愛らしく、魅力的に映った。何回か見ても、こんなの見せられたら即落ちものだ。
ああもう、なんなの? なんでこんなにドキドキするんだろう。
オレは平静を装いながら、なんとか言葉を紡ぎ出す。
「じゃあ料理作るよ。妹からも意見募ってくるからちょっと待ってて」
自分でおもてなしをすると啖呵を切った手前、妹に頼むのは気が引ける。妹に料理当番を代わってもらうように頼むべく、オレは彼女の部屋に行く。
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