第10話 オレ氏……困惑する

 このままだとお兄様は花崎美咲の手のひらの上で踊らされる哀れな道化師と成り果てるだろう。そんな結末はあたしが許さない。


「花崎先輩、失礼します」

「えっと……」

「そこの大和の妹の橘怜です。兄貴が世話になっています」


 あたしは我慢しきれず、花崎美咲に声を掛ける。

 彼女はあたしの登場に驚きつつも、あたしの身体を上から下まで舐めるように観察する。まるでお兄様にふさわしいか品定めするような湿った視線だ。

 あたしは彼女の視線が気に入らないが、お兄様のためだと思って耐える。

 

「へぇ、橘くんの妹さんなんだ。彼とはずいぶんとタイプが違うね」


 あたしのギャルみたいな格好はお兄様に精神崩壊を悟られないようにかつての姿を保ち続けているに過ぎない。今のあたしはお兄様の下僕であり、決してこんなチャラい恰好はしない。

 無論、お兄様にギャルやめろと言われたら、すぐに髪の毛を真っ黒にしてピアスを耳から引きちぎり、土下座までできる自信がある。

 それほどまでにあたしは彼の言葉には従順なのだ。

 花崎美咲はあたしに歩み寄ってくると、馴れ馴れしい態度で話しかけてくる。


「キミ、橘くんに迷惑掛けてないよね」

「なんでそんなこと聞くんですか」

「噂で聞いたんだよ。橘くん、妹さんにぞんざいに扱われているんでしょ」

「いや、ちゃんとしてるよ。どこにでもいる普通の兄妹さ」

「こんなじゃらじゃらした人とまともに付き合えているとは思えないけど」

「あの、適当なところから見繕ったようなこと言わないでもらえませんか?」




 オレ氏……困惑する。

 一緒に登校しなかった妹が花崎さんといる時に現れたと思いきや、花崎さんと舌戦を始めたのだ。

 オレは一瞬にして蚊帳の外に置かれ、二人の会話を聞くことしかできない。

 てっきり、妹はオレを突き放そうとしていると決め付けていたが、そうではないのだろうか。


「適当? わたしが適当だって言うつもり?」

「そうですよ。花崎先輩は適当過ぎます。色々な人に媚び諂って、恥ずかしい!」

「キミさぁ、わたしに何か恨みでもあるわけ?」

「別にありませんけど……」

「だったら口出ししないでくれるかな

わたしと橘くんがお話するだけのことに、いくら妹とはいえちょっかいかける権利は無いと思うんだけど!」

「……ちっ、こんな兄貴に近付くと碌なことが無いから、親切心で警告したつもりですが、どうやらそうする必要は無かったようですね」


 あ、やっぱりいつもの妹だ。オレは自分が小馬鹿にされているにもかかわらず、安堵を覚えていた。


「要らないお世話だよ」

「お節介なのは自覚してるんですよね。だから、こうして忠告しに来てあげたのに……」

「わたしが誰と仲良くしようが勝手だよね」

「……」

「なに黙っちゃってんの。わたしのこと脅す気?」

「いえ、分からない人には言っても無駄だということが分かっただけです」


 花崎美咲は鼻で笑うと、踵を返そうとする。しかし、それを怜が呼び止めた。

 彼女が立ち止まると、妹は挑発的な笑みを浮かべながら言った。


「では、また機会があったら会いましょう」


 妹にそんな表情ができるとは思わなかった。

 怜は花崎美咲を敵視している。これだけは明確であった。

 争いの種を蒔いたのは紛れも無くオレだ。彼女たちの嫌われ値は、怜が32、花崎さんは21にまで上昇している。

 争わなくて良い人間とこんなことになってしまったのだ。オレを恨むのは至極当然のことと言えるだろう。


「最後に言っておくと、花崎先輩は兄貴のことを誤解しています。あなたが思っているほど彼はまともな男ではありません」


 うわぁ、ひでぇ言われようなんだけどオレ。まるで異常者ですこいつ、とばかりの触れ込みには辟易とさせられる。


「ふーん、そう」


 花崎さんは妹の言葉を受け流し、オレの手を半ば強引に引っ張り、そのまま去って行った。

 残された怜はは立ったまま動かない。その表情は見るからに怒っている。きっと花崎さんをオレに対して憤慨しているのだ。花崎さんに現在進行形で迷惑を掛けており、そのせいで自分の評価に傷が付くのを妹は懸念しているに違いない。

怜がオレを睨みつけてきたので、オレは慌ててその場から離れる。


「花崎さん、ごめん、オレのせいでこんなことになってしまって」


 許されるかは分からないが、現状オレにできるのはとにかく謝ることだけであり、頭を下げるしかなかった。

 ところが、花崎さんが向けるのは暖かい視線。彼女は微笑みながらこう答えた。

 それはまるで聖母のような笑顔で、つい先程まで修羅場を演じていた人物とは思えないほどの包容力を感じさせるものだった。


「ごめんね、橘くんは悪くないよ」


 そして、オレの手を取り、握り締める。突然の出来事にオレはドギマギしてしまう。

 オレみたいな三下が花崎さんみたいな人気者にここまで良くしてもらえるなんて、夢でも見ているのではないかと錯覚する。

 オレは花崎さんと一緒に教室へ向

う。彼女は他に友達も多いのに、なぜか発展性の薄い俺に話かけてくる頻度が高い。

 それを見た男子たちが嫉妬しており、なんか数値が下がっているのを見る。

 嫌われ値? かと思いきや、男子の数値を確認すると一概に数値の上昇が好感度の低下に直結していないと分かった。

 周りを見渡していると花崎さんが頬を膨らませているのが横目に映る。


「むぅ、橘くんのバカ」


 オレが慌てて花崎さんに視線を戻すと、彼女は顔を赤くしながら目を逸らす。数値は一時期1低下し、20になっていたが、すぐに21に戻っていた。


「どうしたの?」

「なんでもないもん!」


 そう言いつつも、花崎さんの機嫌は直らない。一体何が悪かったのか見当もつかない。


「オレ、花崎さんの気に障るようなことした?」


 オレはそっぽを向く彼女に対して申し訳なく思い、とにかく謝ることを心掛ける。


「別に橘くんは何もしてないけど」

「いや、ずっと一緒にいる手前、そういうわけにもいかないでしょ。原因を教えてくれないと、今後どう接すれば良いか分からなくなるし……」

「……本当に何も無いよ。強いて言うなら、別の人に怒ってる感じかな」

「妹……?」

「うん、あの子に言われたことがちょっと腹立たしくて」


 妹の彼女への物言いは、理由はどうあれ乱暴そのものであった。花崎さんが不快に思うのは至極当然だろう。

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