第9話 お兄様 その2

 あたしは部屋の押し入れに隠しているお兄様の盗撮写真を引っ張り出してから、指を銃のように形作る。


「お兄様のハート、妹のあたしが射抜きますね。ばきゅん!」


 それをお兄様の写真に向けて撃つと、あたしはベッドに潜り込んで眠りについた。お兄様から盗んだ下着を鼻腔に付けると程良く目の前がまどろんでいく。


「兄貴! 早く起きないと遅刻しちゃうよ!」

「んー……あと五分だけ……」

「ほらっ! 早く起きろ!」


 お兄様は朝に弱く、あたしが起こしてあげないとなかなか起きることができない。

 お兄様のそんなところもまた可愛いんだけど、お兄様が遅刻をしては周りのうじどもがそうした弱みに付け入り、お兄様を傷付けてしまう可能性がある。ゆえにいつまでも甘やかすわけにはいかない。


「うわああっ!?」


 あたしは布団を引っぺがすと、お兄様が飛び起きた。


「ほんととろいわね! ほら、着替え用意しといたから着替えなさいよ!」


 お兄様に対して、あたしはかつての厳しい性格を向けるように演じている。本当はお兄様のためを思ってのことだけど、こればかりは仕方がない。

 雌豚どもにあたしがお兄様のことを好きだと悟られないように、心苦しいけどあえて距離を置くことでカモフラージュをしている。

 

 お兄様に着替えるように促したあたしはリビングで残りの料理をしながら、お兄様の部屋に仕掛けた盗撮カメラの映像に映る彼の裸体を眺める。

 お兄様は生粋のインドア派であり、その体はだるだるなものとなっている。ちょっとだらしない。

 でもそこがいいのだ。お兄様はあたしがいなければ生きていけないほどに情けなくしたいので、むしろそっちの方があたしの好みに合致する。

 朝ご飯はあまり重いのを食べたくないのもあり、トーストとハムエッグに野菜ジュースという軽めのメニューにすることにした。

 お兄様に喜んでもらえるように、手間はもちろん惜しまない。


「いただきます」


 お兄様が席に着くと、あたしたちは朝食を取り始める。


「うん、美味しいよ」

「ふん、ちゃっちゃと食べないと遅刻するわよ」


 お世辞かもしれないけど、それでもあたしにとっては嬉しい一言だ。

 お兄様はあたしを恐れたような表情でちらちらと見つつも、あたしが作った料理を口に運んでくれる。


「ご馳走さま」

「ふん、さっと流しに置きなさい」


 食器を片付けた後は歯磨きと洗顔を済ませ、あたしはお兄様の鞄を持って玄関に向かう。


「はいこれ、ちゃんと持ちなさいよね」

「お、おう……」


 お兄様が出て行った後、遅れてあたしも家を出る。

 あたしは登校中、お兄様を観察するのを日課にしており、今も校門の前でお兄様の姿を見つける。

 あたしと同じ学校の制服を着たお兄様が、一人ぼっちで校門を潜っていた。

 お兄様には友達がいないのを、あたしは憂いている。お兄様はあたしをまともな人間でなくなるまでに堕としてしまった素晴らしいお方なのに、その魅力が他人には1ミリも伝わらない。

 これは由々しき事態ではあるが、同時にあたしがお兄様を独り占めできるチャンスでもある。


「あ、怜ちゃんおはよう。あれ、何やってるの?」

「おはようありす。別に何でもないわ」


 お兄様を陰ながらに観察していると、あたしを友人だと思っている栗原ありすに声を掛けられる。

 彼女はあたしがまともだった時から友人だった。今のあたしはというと、彼女にはまったくもって関心のかけらも無い。それこそ、路傍に転がる石と大差のない存在としてしか認識していない。

 彼女のことはどうでもいいから適当に相槌をしつつ放置しておく。

 それよりもお兄様だ。

 お兄様は相変わらず一人で下駄箱に向かい、上履きを履いてから教室へと向かっていく。あたしはそれにこっそりと付いていく。

 すると、お兄様が見知った相手に声を掛けられていた。


 花崎美咲……お兄様のクラスのみならず、学校中の人気を集めている有名人であり、ファンクラブもあると聞く。そんな彼女がどうしてお兄様なんかに話しかけてくるのかしら? あたしはそれが気になり、二人の会話に耳を傾けることにした。

 あたしは気配を殺しつつ、物陰に隠れて二人の様子を伺う。

 お兄様は明らかに腰を低くしており、花崎さんに対して媚びへつらうように言葉を選んでいる。


「えっと、それで花崎さんの用件っていうのは何かな……」

「そんなに緊張しないでよ。わたしはただ貴方とお話がしたいだけだから」

「そ、そう……オレなんかと話して楽しいなら良いけどさ……」


 お兄様はどこかぎこちなく笑っている。お兄様とあの雌とでは学校でのカーストに差があり過ぎる。お兄様は冴えない男子生徒で、花崎さんは誰もが認める美少女。いくらお兄様がお兄様であっても、彼女と釣り合うはずがない。

 お兄様は彼女を失望させないように、汗水垂らして言葉を選んでいる。まさに四苦八苦しており、少し滑稽だ。


「橘くんって、わたしと距離あるよね」

「い、いや」


 花崎美咲がいきなり核心を突いてきた。

 あの女は人付き合いの天才であり、しかもお兄様は嘘が下手だ。仮に花崎美咲でなくとも彼の嘘を看破するのは容易いだろう。

 お兄様は否定しようとするも、結局それは無駄に終わる。

 そもそも、陰キャラのお兄様があたし以外の相手とまともに話せるわけが無いのだ。藤宮莉奈は特例である。

 花崎美咲はお兄様に詰め寄ると、さらに問い質していく。


「わたしとは話し難いのかな」

「ち、違うんだ。そういうんじゃなくて、オレは君みたいな女の子と話すのに慣れていないだけで」

「そうなの?」

「ああ。だから緊張してしまうんだよ」

「ふーん、まあわたしと話す男はみんなそうだね。妙に畏まってるよね」


 クラス一の人気者である彼女と話しているのは、本来ならば男子生徒たちにとって夢のようなシチュエーションなのだろう。お兄様も例に漏れず、花崎美咲に憧れていたはずだ。

 しかし、この光景はあたしにとっては不快でしかない。

 お兄様と花崎美咲はまるで恋人同士のように仲睦まじく見えてしまうからだ。

そして、お兄様が他の女子と仲良くしていると、基本的な感情が死んだにもかかわらず無性に腹立たしく思ってしまう。これもまた、あたしがお兄様に抱いている特別な想いのせいなのだろうか。

 お兄様は必死になって言い訳をしているが、花崎美咲は納得した様子は無い。

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