第8話 お兄様

 あの女よりも大和くんと親密になれば良い。あたしの数少ない有利点の一つ、それはストーキングばかりでコソコソしている相手より大胆に動けること。つまり攻めの姿勢を見せることだ。幸いにも彼は押しに弱い性格なので、ガンガン押せばなんとかなるはず……!

 戦線布告された以上、明日からこれまで以上に大胆に攻める。

 花崎美咲には一切の隙を与えず、大和くんとの時間をもっと確保しよう。

――あたしが絶対に大和くんを守るんだ! あたしはそう決意した。




 あたし、橘怜は兄貴……ではなくお兄様を愛している。

 以前はそこまでお兄様を愛しているわけではなかったが、最近になって急激に想いが強くなったのだ。

 お兄様のことを考えながら自分を慰めていくうちに、次第にそういった行為が過激になっていった。

 あたしの体はまだまだ未成熟も良いところ。そこに急激な負担をかけてしまったのがきっかけで、だんだんと精神が崩壊、今やお兄様以外考えられない限りなく無に近い心になっていた。

 今のあたしは快活だった頃の自分を演じながら、裏ではお兄様を崇拝する狂信者と化している。

 そんなあたしが今現在、何をしているのかと言うと、お兄様がお風呂に入っている間にお兄様が使ったお箸を舐めている。


「はぁ……はぁ……お兄様……」


 洗う素振りを見せつつ隠しておいたお兄様の使ったお箸からはほんのりと唾液の味がして、舌の上で転がすたびに背徳的な感情が湧き上がる。この瞬間こそが至福であり、あたしの生きる意味でもある。

 唾を飲み込むと、お兄様のエキスが喉の奥へと流れ込んでいった。


「うぅん……美味しい」


 お兄様のエキスは今頃、あたしの体内組織と結合し、一体化しているに違いない。

 その証拠にあたしの胸は高鳴りっぱなしだ。


「そろそろ時間ね……」


 あたしは洗面台に向かい、お兄様を牽制しながら服の匂いを嗅ぎ始めた。


「ああ、いい香りだわ…!」


 汗の混ざった芳しい香りが鼻腔を刺激して、嬉し過ぎて思わずが出そうになる。

 そして鏡を見ると、そこには頬が緩みきっている自分の姿が映っていた。


「ふへぇ……」


 もう完全に変態である。だけどそんなことはどうでもいい。もうあたしはお兄様に忠実に従う下僕になると、心の底から誓っているのだから。

 お兄様が入浴を終え、就寝準備に入ったところであたしもお風呂に入る。

 お風呂に入ると、まずはお兄様が使ったお湯に口を付ける。そこから全身をお湯に浸けて、体中がお兄様に包まれる感覚を味わいつつ、脳のリラックス効果を得る。

 次に髪の毛を丁寧に洗い、身体も隅々まで綺麗にしていく。特に耳の中や脇の下など、念入りに行うようにしている。あたしごときがお兄様に不快感を与えては、なおさらあたしが生きる価値は減るからだ。

 その後、お兄様の残り香が染み込んだタオルで体を拭くと、今度はお兄様の衣服の臭いを堪能する。


「ああっ……! 最高ですお兄様……」


 衣服を顔に押し当てると、お兄様の温もりを感じられた。それがとても心地よく、いつまでもこうしていたい気分になる。

 それからあたしは胸元を開いたちょっとエッチなパジャマに着替え、ベッドで横になっているお兄様の隣で添い寝をした。

 あたしはお兄様の腕を抱き枕代わりにしており、それを両腕で強く抱きしめる。そうすることでお兄様の体温を直接感じられて、幸せになれるのだ。


「えへっ♪ お兄様大好き……」


 お兄様の顔を見つめていると、自然と笑みがこぼれた。こんな素敵な人があたしの兄貴だと思うと、何杯でもご飯が食べられる。

 精神崩壊を遂げ、お兄様のこと以外まっさらになったあたしは、毎日こうしてお兄様と一緒の幸せな日々を送っている。


 ところが、それを邪魔する奴らがいる。

 あたしはお兄様の部屋から出た後、自分の部屋に戻り手鏡を見る。我ながら憎悪が入り混じった凄まじい表情をしており、まるで鬼のような形相だと思った。

あたしは自分の顔を手で覆い隠すと、そのまま力を込めていく。

 ミシミシという音が手を通して伝わってくると、やがて鏡が割れてしまう。するとあたしの手にはガラスの破片が刺さっており、赤い血が滴っていた。

 もうこれで何枚目だろう。それもこれも全部藤宮莉奈と花崎美咲のせいだ。

 あの虫どもはお兄様があたしのものだということを知らず、何度もあたしの心を乱してくる。

 許せない。あいつらだけは絶対に。

 このまま放置しておくと、いずれお兄様が取られてしまう。それだけは避けたい。

 お兄様があたし以外の女と仲良くするなんて、考えただけで気が狂ってしまいそうだ。

 最初は既成事実を作って無理矢理お兄様を取ろうと考えたことがあるが、あの女たちはおそらくそれでは諦めないだろう。むしろあたしへの敵意を増幅させ、何かしらの妨害工作を仕掛けてきそうな予感さえある。

 だったら、いっそのこと殺してしまおうか? あたしはお兄様と永遠に一緒にいたい。そのためなら殺人だって厭わない。


「ううん、ダメよ。お兄様が悲しむ」


 人が支配して当然の家畜である豚を殺したところで、あたしの心は揺るがない。無論、あたしにとって崇拝するお兄様の気持ちを邪険にすることは得策ではない。そうした理由で、お兄様に責任を取らせるやり方も邪道と言えるだろう。それに人を殺すというのは、想像以上に難しい。もし失敗した場合のリスクを考えると、とても実行できるようなものではない。

 やはりお兄様をあたしだけのものにするためには、正攻法で行くしかないようだ。


「お兄様の方から、あたしに歩み寄るように促せば良いんだ」


 幸い、お兄様はあたしの料理を美味しいと言って食べてくれる。その言葉が嘘でないことは、今までの経験上分かっている。

 つまり、ここからアプローチしてお兄様にあたしのことを好きになってもらうよう仕向ければ良い。そうすれば、お兄様はずっとあたしと一緒にいるはずだ。


「ふひひっ……お兄様ぁ……♡」


 鏡を見ると、そこには頬を赤らめ、だらしない顔つきになった自分の姿が映っていた。

 もうしばらくはお料理で気を引きつつ、たまにデレる演技をしてお兄様と遊んだりしようか。

 ストーカーとわんこは所詮お兄様とは赤の他人。お兄様はあいつらがなまじ有名人だから手を出そうとは考えていないようだし、つまりは彼の妹であるあたしの方が立ち位置としては圧倒的に優位ではある。今はまだその時じゃないけど、あたしはいつか必ずあの二人を潰す。

 お兄様は誰にも渡さない。お兄様はあたしだけのものなんだから。


「ふふ、血が繋がっていてもあたしは結婚しちゃいますから。待っていてください」

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