賑やかな家庭

200円サンドイッチ

11月12日

 今日マンションに帰ったら、男が一人台所にいた。それは親戚でも友達でも知り合いでもなかった。一人暮らしの僕の台所に、赤の他人がいた。

「あの…」僕が声を出した。

 男が声をあげたり体を動かしたりもしないで、ただそのまま壁に凭れて立った。人形かマネキンかと思うぐらい静かだ。鞄をテーブルに置いて、男の顔を見た。目が鋭く、皮膚が下の静脈が見える程青白い。見た目からして、僕より10歳ぐらい年上。痩せていて、どことなく不健康な印象がある。この人は、一体何者なんだろう。最初は空き巣かと思ったが、それはなかなかぴんとこなかった。どう見ても、空き巣にしては様子があまりにも冷静過ぎるだろう。とにかくおなかが空いている。男の問題は、食べてから考えよう。男をちらっと見ながら、冷蔵庫の前へ行った。昨日のスパゲッティの残しを温めようか。冷蔵庫のドアを開く。おや、おかしいね。見間違いだろうと思って、一旦ドアを閉めてからまた開いた。いや、見間違いじゃなかった。冷蔵庫の中に何も入っていない。昨夜のスパゲッティのあまりだけではなく、野菜も卵も牛乳も全部無くなっている。なんてひどいことだ。ゴミ箱の隣に立っている容疑者Aをじっと見つめた。よく見ると、唇の端に赤いソースが付いている。冷蔵庫の右に置いてあるゴミ箱の中を確認した。中に見たのは、押しつぶされた牛乳の紙パックとケチャップがまだ半分以上入っているソースの瓶とスパゲッティが入っていた碗の破片だった。

「あの…」

 相変わらず返事がない。

「あなたはもしかして、冷蔵庫に入っていたものを食べちゃいましたかね?」

 男が長いため息をついて、嫌そうな顔で僕の方を見上げた。じっとしている彼の姿に慣れすぎて、ちょっと驚いた。で、一、二秒が経ったら、男がまた下向いて、もとの姿勢に戻った。僕が彼が着ていたTシャツのデザインに気づいた。明るいピンク色で、前にマーカーペンで描かれたサングラスをつけているペンギンの絵があって、その下に「Wow!」と書いてある。背が高いあの男にはサイズがどう見ても小さすぎる。そのTシャツは見たことがある。

「それは僕のTシャツですよね?」

 男が返事しない。

「その絵は僕が描きましたよ。」と僕がいって、男の胸を指さした。

 男がまたため息をついて、急に動きだした。僕に向かって歩いている。鋭い目が僕を見ている。シャツを返しに来ているか殴りに来ているか全く分からなくて、一歩下がったが、結局、殴られずにすんだ。男が僕の前に立ち止まって、しばらくしたら、何も言わずにマンションから出ただけだ。ドアの閉まる音がする。彼の足音が消えたら、リビングに行って椅子に腰を掛けた。手にスマホを持った。やはり通報したほうがいいかもしれない。お腹が鳴った。放っておこうか。

 近くのレストランに電話をかけて、夕飯を注文した。前の騒ぎで服を着替える機会がなかったので、食事を待っているうちに着替えることにした。スーツを脱いで、押し入れを開いた。おや、どういうことだろう。あの男が絶対に僕のシャツを着ながらここを出たつもりだが、それが今押し入れのなかに吊るしてある。やはりおかしいね。

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