物部物語

カッパ永久寺

前日譚 物部家の姉妹の一日

 剣道は、女子のたしなみ。

「てヤァああああああ!!」

「もっと声出せマロン!! 腕伸ばせ!!」

 とは、言い難いかもしれないけれど。

 物部家の剣道場。物部の家の娘が二人。

 おねぇちゃんのと私――物部麿音マロンの二人が道着姿で、軽く竹刀を打ち合い、朝の稽古をしていた。

 これは私の日課。

 呪術師見習いの私の修行だ。


 呪術師は、心技体――ココロとカラダの強さが大切だという。

 物部の呪術師は古神道の術によりモノ――俗に言う、アヤカシ、ヨウカイを祓う。

 退魔の術には剣や弓などの武具を扱うことがある。ゆえに呪術師は剣術、もしくは剣道、合気道、などの武道が欠かせない。

 お父さんも、元々自衛官だったこともあってか、毎日道場で鍛えていた。あのころのお父さんは腹筋が割れててカッコ良かったけど……。

 私も、お父さんや、おねぇちゃんみたいな呪術師になれるだろうか。

 私は子供の頃から背が小さく、運動神経もあまり良くない。

 そこから、いろいろあって――

 中学生になってからは毎日欠かさず剣道の稽古をしてきた。

 全国大会に出るくらい強いおねえちゃんほどではないにしろ、私も、それなりにカラダは丈夫になったはずだ(身長はあまり伸びなかったけど)。


「やめっ!!」

 息をつく間もない掛かり稽古のあと、神棚に礼をして稽古は終わった。

 私も学校があるし、おねぇちゃんも探偵の仕事がある。毎日30分の濃い稽古。稽古は一応朝だけでなく夕方からも普段はやっている。でも最近はおねぇちゃんの仕事が立て込んでて、ここ一週間は朝稽古のみだ。

 早く私も一人前の呪術師になりたい。

 ぜったいに、ならなくちゃいけない。


「あーこの茶粥うめーな。ダレだよ『奈良に美味いもんナシ』とか言ったやつ、こういう素朴な飯もいいもんだな」

「おねぇちゃん、じじくさい」

 テーブル向かいのおねぇちゃんに、小さく返す。

「じじくさいって、あたしゃ年も取ってねーし、男でもねーぞ。おねぇちゃんはまだ20代だぜ?」

「見た目は20代、中身はおじさん」

「おじさんをバカにするんじゃねーよ。ワカモンが」

 どうにも、おねぇちゃんと会話すると売り言葉に買い言葉になってしまう。昔からそうだし、口喧嘩というわけではないから、まぁ、問題はないけど。

 畳の床の居間。古い日本家屋の我が家の居間で、17歳の私と、22歳のおねぇちゃんは奈良県民の朝食、茶粥を啜っていた。

 思いっきり和風な空間だけど、おねぇちゃんはテレビをつけて、新聞を広げて、スマホをいじりながら、情報と食事を同時に摂取していた。探偵ゆえに情報収集は欠かせないそうだ。おねぇちゃん曰く、情報に偏りがないよう、同じ情報でもテレビとネット、新聞の三つを見比べるという。

 そんな忙しいおねぇちゃんに対して、私はせいぜい朝食を作ることしかできない。

 幸い、私はそれなりに料理ができ、朝食はほとんど私が作っている。なにせおねえちゃんは大の料理下手だし。誰にだって得手不得手があるものだ。

「おねぇちゃん、例の、蜘蛛の事件立て込んでるの」

 私はふと尋ねた。

「まぁ、実際に刑事事件になっちまってるからな。生前退位の影響なのか、この奈良でもずいぶん物騒なことが起きたもんだよ」

「たしか、被害者の腕が斬られたって」

「あくまで、カッターナイフ的なもので切り付けられて、浅い傷を負っただけだ。髪を斬られた被害者もいたようだけど、大きな怪我にはなっていない」

「いやがらせか、イタズラ?」

「その線で警察は考えてるが、もしかしたら殺人未遂って可能性もなきにしもあらずだ。もしくは――」

「もしくは」

「呪術、またはその過程か」

 呪いによって起こる事件。

 または事件によって起こる呪い。

 現代科学で解明できない不能犯を解明するのが、呪術師探偵の役目だ。

「犯人の目星はついてるの?」

「ああ。佐倉井市の壜――げふん、げふん」

 むせるおねぇちゃん。鼻から米粒が飛ぶ。

「お、お前が聞き上手だから秘匿情報を漏らしそうになったじゃねぇか」

「私とおねぇちゃんは家族だよ」

「血のつながった家族でも、事件の詳細、プライバシーに関わることは話せねぇよ」

「たしか、容疑者は壜家のさけがめ佳織でしょ。精神病院に送られているって」

「お、お前いつのまにその情報を――」

「新聞の記事と、ネットの記事。あとはおねぇちゃんの話から推測して……」

「な、なに勝手に調査してやがる!」

「私も、呪術師見習いだし」

「だからって、勝手に事件に突っ込むなつーの、未成年が!」

「私だっておねぇちゃんの役に立ちたい」

「学生は学業やってろ。ヘンなことに首突っ込んで時間を無駄にするんじゃねーよ」

 おねぇちゃんはぶっきらぼうにそう言った。

 どうもおねぇちゃんは、私に呪術師の仕事に関わって欲しくないようだ。

 子供の頃からずっと、おねぇちゃんは私に対して過保護だった。私はどうも、頭を使うこと以外に関しては不器用で、それゆえ、両親やおねぇちゃんにおんぶに抱っこだった。

 お父さんとお母さんが”呪い”にかかってからもおねぇちゃんは過保護のままだった。私ももう17で、昔と比べるとできることも多くなった。人付き合いは未だに苦手だけど……でも、探偵としての知識や教養は空光のおじいちゃんと学んできた。

 じゅうぶん、おねぇちゃんの役に立つと思ったのに――

「被害者はもう4人なんでしょ。こう立て続けに起きているなら、次に起きる可能性もある。なら私も……」

「だから危ないんだって。お前が首突っ込んで、被害者になったりしたら足手まといなんだよ」

「足手まといって」

 あんまりだ。おねぇちゃんは私を思って言ってるんだろうけど、私だって、物部の人間としての誇りがある。

「って、もうこんな時間か。流山警部んトコいかねぇと。手土産は……また今度でいいか。父さんの話でもしてごまかして、と」

 茶粥を書き込み、黒いスーツに身を包むおねぇちゃん。すらりとして、日々の武道の鍛錬でスタイルがいい。物干し竿みたいに長い模造刀の入った筒状の鞄を肩に背負い、おねぇちゃんは玄関へ駆けていく。

「んじゃマロン、今日も遅くなるから晩の稽古は休みだ。家のことは頼むなー」

「おねぇちゃん、私も事件をー」

「じゃーな」

 聞く耳持たずおねぇちゃんは出て行った。


***


 ぱりん、と皿の割れる音。

 洗い物で小皿を割ってしまった。おねぇちゃんのことで心ここに在らずだったから。

 うちにある皿はどれも特注品。100均のアクリルのものでないから割れやすいのだけど。

 いわゆる、ジンクスというやつか。


 その日、おねぇちゃんは蜘蛛の怪異に襲われた。


***


 おねぇちゃんは容疑者の壜佳織のいる病院から帰るときに、何者かに襲われた――と、おねぇちゃんの知り合いの、流山警部から聞いた。

 流山警部は呪術師ではないから、”おねぇちゃんを襲ったモノ”については人間を想定しているけど、おそらくそれは、寧楽なら市、および佐倉井市で起きている連続襲撃事件の呪いのコトだ。

 土雲の怪異の仕業だ。

 でも、おねぇちゃんを傷つけるほどの怪異だなんて……

 生前退位の影響で、神話の影響力(神度)が低下。それにより呪いである程度力を抑えられていた怪異が一時的に活発化したと聞く。今回もそのせいでなんだろうか。

「おー、マロン。学校早退してまで来てくれたのかよー。お見舞いは台湾産パイナップルでよろしくー」

「お、おねぇちゃん……どうして怪我を……」

 おねぇちゃんの右手にはぐるぐると包帯が巻かれていた。無機質さが痛々しい。

「ああ、こんなん大したことねぇよ。昔、剣道の稽古でできたのよりマシだ。流山警部が大袈裟に言うから入院されちまってよ。はは、これで我が家はマロン以外全員入院患者かー。やっぱ物部家は呪われてんのか?」

「縁起でもないこと言わないで」

「すまねぇな。お前にばっか迷惑かけちまって」

「迷惑だなんて、私なんかなんの役にも立ってないし」

「いいんだよ、まだお前は子供なんだし」

「もう私17だし、もう子供じゃないよ。そういうおねぇちゃんこそ、単独行動で怪我しちゃったじゃないの」

「そりゃウチは人手不足だし、アタシしかやる人間がいねーんだよ。ほかの呪術師も生前退位後の呪いの活性化で忙しいみたいだし、奈良は人がいねーんだよ。ま、そのぶん稼げるんだがな」

「おねぇちゃん……やっぱり、私も事件を手伝いたい。おねぇちゃんがこんなことになっちゃったし、あとは、物部の人間は私しかいないでしょ?」

 呪術師は人手不足だ。

 今の時代、いろんな仕事が人手不足と言われているけど、それと同じように呪術師も人手不足。行う仕事の数は少ないが、それに対する人間も少ないし、呪術師としての力のある人間も少ない。

 だから、私も頑張らなくちゃ。

「な、何言ってやがる! ダメに決まってんだろ! お前はそもそも未成年で高校生だ。呪術師をやる資格がない」

「でも、誰かがやらなきゃならない。じゃなきゃ、また被害者が出るかもしれない」

「流山警部が捜査してくれてるんだ。呪術的な部分の解決は無理かもしれんが、被害自体は押さえてくれるかもしれない。だから――」

「でも、私は呪術師見習いだから。お父さんお母さんのためにも、怪異を、呪いを祓いたい――!」

「ダメだ――!!」

 病室中に響くおねぇちゃんの声。剣道家のおねぇちゃんの声は綺麗に響き、患者さんたちがはっとこちらに目を向ける。

「マロン、お前は呪術師に向いてない。だから今回の事件に首を突っ込むな」

 おねぇちゃんにそう言われた。

「向いてないって……私、ずっと稽古もしてきたのに……」

「ウチの仕事は生半可なもんじゃないんだよ。稽古なんてだれでもできる。その上で能力がなきゃいけねぇんだ」

「私だって、物部の血を引いてるから、神器も使えるし……」

「お前はほんとうに、いざと言うときに怪異と戦えるのか? 人を守れるのか?」

「それは……」

 そんなこと、やったことない。

 私はずっとおねぇちゃんに守られて生きてきたから。

 分からない。おねぇちゃんのように戦えるかどうかなんて。怪異や呪いに関する知識はたくさん勉強してきた。その対処法についても分かっているはずだ。

 でも、私はおねぇちゃんのようにはなれない。

 自分の、心が弱いことは、自分がよく分かっている。

 私は、どうすれば……

「……おねぇちゃん」

「な、なんだ。マロン」

「おねぇちゃんなんて……」

 そう言いながら、私は病室を飛び出した。

 私はおねぇちゃんに褒められたかったのに……。

 どうして、こうなってしまったんだろう。

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