41 シーシェル
「桐島さんって今日このあと予定とかあったりしますか?」
仕事終わり、帰宅準備をしていると同僚の男の子に声をかけられた。隣の部署の人だから顔は見たことあるけれど、名前まではちゃんと覚えていない。
「知り合いとご飯でも行こうかな、とは」
「知り合いって彼氏さんとかですか?」
「いや、彼氏ではないですけど」
「じゃあ女友達?」
「えっと」
あまりにもぐいぐいこられて困惑していると、私のスマホが小さく振動した。「すみません」と断りを入れて確認すると、瀬名裕太からメッセージがきていた。
「待ち合わせ時間があるので、ごめんなさい。もう行きますね」
私はマフラーとコートを手にもって逃げるようにその場から離れた。
ほとんど話したこともない同僚からしつこく声をかけられた、と瀬名裕太に話すと彼は何故か苦笑していた。
「お前、それ今日が何月何日か思い出してから言えよ」
「何月何日って、あれ、今日何日だっけ。えっと、十二月の」
時刻は六時過ぎ。冬になってから暗くなるのが早くなって、もう辺りは真っ暗だ。駅の中央には大きなクリスマスツリーとイルミネーションが煌々と輝いていて、幸せそうなカップルたちがその場を埋め尽くしていた。
「あぁ、クリスマスだからってこと?」
「そうじゃね、ワンチャンあるかもって声掛けたら塩対応されるって、そいつも可哀想だな」
「仕方ないじゃん。ていうか、そもそもご飯行きたいならはっきり言えばいいと思うんだよね」
「予定あるかまず聞いてくれたんだろ。常識人じゃん」
「でも、瀬名さんと映画でも見ますかって話になってたから」
行きつけの居酒屋に着いてすぐ中に入る。瀬名裕太が事前に予約してくれてたらしく、そのまま店員に奥の座敷に案内された。コートを脱いで私はそのままレモンサワーを注文する。瀬名裕太は早くね、と文句を言いながらも付き合うようにお酒を注文してくれた。
「ご飯だって行く予定だったから、そりゃ誘われても一応断るよ」
「いちおうなんだ」
「まぁ、相手がめちゃくちゃカッコいい職場のエースみたいな人だったら瀬名さんに「ちょっと今日は体調悪くて」とか言って断りの連絡入れるかもしれないですけど」
「それ、俺がやったらどうなんの?」
「刺されるんじゃないですか?」
「だれに?」
「私に」
付き合ってもねえのにかと瀬名裕太は笑ったけれど、そういえばそうなんだよなと、ふと我に返るきっかけになったかもしれない。
彼とは週に一回くらいのペースでご飯に行く仲になった。別に友達になったわけでも恋人になったわけでもない。ただ、週に一回ご飯に行ったり、映画を見に行ったり、買い物に付き合ってもらったりする仲になっただけだ。それが世にいう恋人たちがやることだと言われても、私たちは決して付き合うことはないだろうし、お互いに彼氏や彼女ができたとしても文句を言うことはないだろう。
だけど、お互いに相手ができたとき私たちのこの関係はきっと終わりを迎えるだろう。だって、私たちは友達ですらないから。
「結局いつまでも傷のなめ合いをしてるだけなんだよなぁ」
「じゃあ、早くお前が恋人作ればよくない?」
「できるなら、もう彼氏の一人や二人いますけど?」
お酒をぐいっと飲み干すと、頭はふわふわして幸せな気持ちになる。こうすれば、きっと幸せな記憶を思い出すことがない。クリスマスの楽しかった記憶だって、思い出せば悲しくなるだけなのだ。
「イブは彼氏と過ごすから、愛莉はクリスマス当日空けててね。絶対遊ぼうね」
思い出したくない彼女の声が脳裏に響く。幻覚なのだろうか、あの頃と何も変わらないピンク色の似合う可愛らしい彼女がこちらを見ていた。
「おーい、もう酔ってんのか。まだ一杯目だろ」
瀬名裕太の声で、ふと意識が戻るとそこにゆらの姿はない。彼がおつまみ系のものを注文してくれていたのか、机には料理が何品か用意されていた。顔赤くねえか、と心配そうに聞く彼に、私は大丈夫だよと平静を装って笑った。
「で、今日何の映画見んの?」
「なんだろうね~」
「お前が見たい映画あるって言ったんだろ」
「いや、別に。ゆらのいないクリスマス寂しいなって思ったから」
酔っ払っていたせいか、うっかり口が滑ったことにすら私は気づけなかった。
数か月経っても、私はゆらのことを忘れられないし、なんならゆらの夢を何度も見る。
きっと、何年経っても変わらない。忘れることなんてできないんだ。
「まぁでも、今年も一人じゃねえから寂しくねえだろ」
酔って顔を真っ赤にした私を頭を、ぐちゃぐちゃと大きな手が撫で繰り回す。
ときどき優しい彼に勘違いしそうになるのが嫌だ。好きになるのが嫌だ。好きになるわけないのに、そんなことを考える自分も嫌だ。
瀬名裕太がレイトショーの時間を調べてくれて、私たちは店を出る。自然と会計を済ませていることも、私に車道側を歩かせないことも、夜遅い時間だからって帰りに最寄り駅まで送ってくれるところも、全部、全部大嫌いだ。
冷たい空気が皮膚を突き刺して痛かった。
いつか恋になるかもしれないこの感情を一生隠し続けることができたなら、私もゆらみたいな名女優になれるかもねと、もういない彼女に語り掛ける。もちろん返答はなく、私の足音だけが小さく響く。寒空の下、私は小さく声を出して笑った。
こんな感情、地獄でしかないのにね。
お酒で酔ってふわふわしたまま、私は自分の部屋の鍵を開けて中に入る。ベッドにそのままダイブして気持ちよく瞼を閉じた。
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