40 ダスティピンク
「ついたぞ、起きろよ」
肩を軽く叩かれて、私はゆっくり目を開ける。隣を見ると、私の荷物を持って扉の方に向かおうとする瀬名裕太の姿が見えた。最初はぼーっとしていたけれど、無意識に手に力が入っていたのか、爪が皮膚に食い込んだのが痛くて、意識が少しずつはっきりしてくる。
「ごめん」
電車を降りたあと、彼から荷物を預かりそっとその中にゆらからの手紙を片づけた。もう読むことはないだろう。このままごみ箱に捨ててもいいと思ったけれど、彼女の大切な遺品でもあったからそんなに簡単に手放すことができなかった。
「捨てんの?」
「え」
「ゆらの手紙」
「……捨てないよ、別に」
ゆらのお墓までの道を二人で歩く。瀬名裕太の問いかけに、私は正直戸惑った。なんて答えればよかったんだろう。考えても答えは出なかった。
「手紙、その封筒の柄さ、見覚えがあって」
夏の暑さが少しずつおさまってきたけれど、日差しは相変わらず強く照り付ける。短くなった影を踏みながら、私はゆっくり顔をあげた。
「ペアリング、もらったじゃん。お前から」
「……え」
「あれ貰ってしばらくしたあと、かな、三好ってやつと会ってから、あいつが出てこなくなった」
「あいつって」
「ゆらが好きだったころの俺」
そういえば確かに、彼はここ最近ずっとぶっきらぼうな口調のままだ。最初に会ったときの、あのゆらが大好きだった瀬名さんは姿を見せていない。
この瀬名裕太に慣れてしまっていたから気が付かなかったけれど、彼の中には二つの人格が共存していて「どちらもいること」が彼にとっての当たり前だったんだろう。
「何でだろうってずっと考えててさ」
「うん」
「俺も最近まで考えなかったんだけどさ、なんで俺、ペアリングしてねえんだろうって、ふいに思って」
「あぁ」
確かに瀬名裕太はゆらのことを憎んでいたけれど、彼の中にはゆらを愛していた瀬名さんがいたわけで、彼がペアリングをつけない理由なんてない。そうだ、変なのだ。ゆらだってずっとあのペアリングを指につけていた。裕太とお揃いなんだ、幸せそうに笑う彼女の顔は昨日のことのように思い出せた。
あんなにゆらのことが好きだった瀬名さんがペアリングを外す理由なんてない。あるとすれば、瀬名裕太が椎名ゆらのことを思い出したショックで手放したくらいだろうけど、彼自身もつけていないことに違和感を抱くのは変だ。
「それでさ、薄っすらだけど昔の記憶を思い出したんだ。ゆらと喧嘩した日のこと」
「喧嘩なんてするの?」
「俺もちゃんと覚えてるわけじゃねえけど、たぶん別れ話をされたときだと思う」
「あぁ」
「ペアリングもその日、ゆらがもう別れるんだから外してほしいって言ったんだと思う。正直、怒りと動揺っていうかショックであんまりあの日のことは覚えてないからあれだけど」
ペアリングは結局、一緒に買ったときに入っていた箱に片づけて引き出しの中に片づけたらしい。その引き出しにはあの日の記憶通りペアリングと一枚の手紙が入っていた。それが、私と同じ柄の封筒。
「ゆらの手紙、だったんだ」
「そうなんじゃね」
「手紙、読んだんでしょ。なんて書いてあったの?」
「覚えてねえ」
「……嘘だ」
「覚えてねえよ。すぐゴミ箱に捨てた」
嘘だ、ともう一度言おうとして、私は口を噤んだ。私も読んだあと、彼女のエゴに溢れたあの内容に心がおかしくなってゴミ箱に捨てようとすら思った。瀬名裕太がそう行動してたって何もおかしくない。
それに、彼がゆらからの手紙を捨てたことを私が咎める理由なんてなかった。
「そうだ、お礼言わなきゃなってずっと思ってたんだ。お前に」
「え?」
バケツにお水をくむ音で、彼の言葉が上手く聞き取れずに蛇口をひねって止めた。
「ゆらの手紙、一度開封した形跡があったんだ。たぶん、ゆらが好きだった俺はこれを読んだんだと思う。で、表には一切出てこなくなった。俺にとってのゆらの手紙は吐き気がするぐらい気持ちが悪くてエゴの塊で許せないことだらけだったけど、あいつにとっては欲しかった言葉だったんだと思う。手紙、ペアリングを渡してくれたお前のお陰で気づいたんだと思うから、お礼ちゃんと言っとかなきゃなって思って」
ありがとな、と彼は笑ってそう言った。少しびっくりして動揺していたのだろう。上手く言葉が出てこなかった。
蛇口をもう一度ひねって水をくむ。私が持とうとすると、彼はこっちを持っておいてと買ってきた花を渡してきた。
ゆらのお墓は前に来た時と変わらなくて、私はあの日と同じように花を立てて、線香をあげた。風が少し強くてライターの火がうまくつかなかった。「下手くそ」とと私が言うと、瀬名裕太が怒ったように「じゃあお前がやってみろよ」と煽り返す。結局なかなかつかなくて、二人でわちゃわちゃしながら線香に火をつけた。上空にのぼっていく煙を見ながら空を見上げると、空は青く綺麗だったけれど、前に来た時より少し肌寒さを感じた。
「ゆら」
好きだったよ、ゆら。
依存していたのかもしれない。ゆらがいないと生きていけないくらいに、ゆらのことが大好きだった。でも、それは正しくないことだったってちゃんと気づいたよ。
「ばいばい」
別れの言葉を口にした瞬間、涙は勝手に溢れて止まらなかった。
泣くつもりなんて全くなかったのに、なぜか涙は止まらなかった。瀬名裕太は何も言わずにそっと私の頭を撫でてくれた。彼なりの優しさなのだろう。
私は彼女が死んだあと泣けなかった分の涙を全部出し切るぐらい泣きじゃくって、彼女のお墓をあとにした。泣いてすっきりしたのかもしれない。気持ちはとても晴れやかだった。
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