34 シルバーピンク

 チャイムを鳴らして三十秒。返事はなく、ただ玄関近くだろう場所からガタゴトと音が聞こえ、ゆっくりと扉が開く。見慣れない眼鏡をした彼は寝起きなのか、私を見るなり大きな欠伸をした。


「はよ」


 その言葉で、彼がどっちかが容易にわかる。私を家の中に招いたあと、後頭部をぼりぼりかきながら彼はリビングへ戻っていく。


「約束の時間まであと十分なんですけど、準備する気あるんですか?」

「ない」


 私がいることも気にせずに彼はその場で着替え始める。思わず視線をそらしてしまったけれど、どうして私が気を使わないといけないのだろう。私がじとっとした視線で彼を見ると、Tシャツを脱いで半裸の彼はこっちを振り返って「えっち」と一言。うぜえと思った。


「てかさ、何で俺が行かなきゃいけないわけ。別にお前ひとりで行けばよくない?」

「なんで今更ぐちぐち文句言ってるのか意味わかんないんだけど。もう当日です。ドタキャンなんてする男は一回死滅してきてください」

「そしたらゾンビになってお前のこと襲いにきてやるよ。道連れだ」


 着替えが終わってワックスをつけながら瀬名裕太は私に返答する。「よし」ヘアセットに満足がいたのか、ようやくこちらを見た彼はこれから行く場所を思い出したのか巨大ため息をひとつ。文句を言うならいい子の方を出してくればいいじゃん、と私が言うと彼は渋い顔で無理と答えた。


「はああああああああああああああ」


 私の顔を見るなり何度もため息をつく彼に多少のむかつきはあったけれど、気にしているだけ無駄なのだ。瀬名裕太の本体であるこの男と喋っていると私は自分がいかに性格が悪いのかが身に染みて分かる。そして、私はどちらかというとこの男のほうが気兼ねなく話せるという事実に吐き気がした。


「これでさ、その三好ってやつがゆらのこと自殺としか知りませんでした~ってなったらなんのために俺ら行くんだろ」

「そしたら、瀬名さんの元カノのところに行きましょう。何か手掛かりあるかもですよ」

「はぁ、それ三宅杏奈のこと言ってる? やめとけよあいつは」


 彼の言葉が途切れて数秒の沈黙が流れる。何かを考えているような顔をしたあと、息をついて「なんでもない」と言葉を濁した。


「そもそも彼女じゃないし」

「浮気相手でしたね。失敬」

「浮気相手でもなくないか。情報を手に入れるための駒にすぎなかったし、次会ったら流石に殺されるかも」

「でも話を聞いてる限り、利害が一致した関係だったんだよね」

「でも、王子様のキスを待ってる女の子が復讐の片棒をかついでるのは可哀想じゃん」

「可哀想っていう感覚あるんだ。意外」

「いや。あいつも策士だったから、とんとんじゃね?」


 あの必死に私を引き留めた綺麗な女の子のドロドロとした感情の話を聞くたびに、ゆらの異常性を実感せざるをえない。

 瀬名裕太の口から出る過去の話を聞きながら、私たちは三好さんと約束をしたカフェに向かう。足取りは正直、私も軽くはなかった。

 あの日、薬を飲まされたり、殴られたりしたことに恐怖を抱いていないといえば嘘になる。だけど、私が彼にしたことも取り返しがつかない。やられたらやり返していいと言う理論は通用しないのだ。彼も私も被害者でお互い加害者だ。


「珈琲」


 私がぼそりと呟くと、瀬名裕太が「なに」と反応した。


「好きかな~って。私は苦手だから、なんていうか」


 世間話をするつもりで、適当に言葉にしようとすればあの日のことに直結してしまう。思い出す、あの日の会話を。

 そしてやっぱり違和感は残り続けるのだ。あの日の三好さんの行動と発言に。


 記憶に残っているのはにこやかに笑う、流暢に喋るあのときの三好さん。だけど、あのホテルで見た三好さんは最初の強気な彼とは対照的で、特に三宅杏奈が来てからは様子がおかしかった。

 ゆらが望むのは、私の幸せ。そのためなら協力してあげる。彼の言葉をゆっくりなぞる。あの喋り方、雰囲気、テンション、すべてが偽りのもので誰かの模倣なのだとしたら、それはあまりにも残酷だと思った。


「あの人もゆらに依存してたんだ」


 瀬名裕太には聞こえないくらいの小さな声で私はぼそりと呟いた。

 思い出せば、よくわかる。そっくりだった。


 私はあの日選択肢を間違えたのだろうか。三好さんの手を取っていたら何かが変ったのだろうか。

 そもそも、あの日、私がゆらに出会わなかったら。


 そしたらきっと、私はゆらより先にこの世界とはおさらばしてたんだろうな。短い影を踏み潰しながら私は瀬名裕太の隣を歩く。約束のカフェの前にスマホを見ている三好さんの姿が見えた。私はゆっくりと息を吸ったけど、そのままゲホゲホと吐いてしまった。

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