33 ブーゲンビリア

 自覚のない二重人格というやつは非情に厄介だと思う。三好さんに会いに行く前に何度か瀬名裕太とやりとりをしたけれど、それは毎回目まぐるしく言うことが変る。ゆらを愛している。ゆらのことを憎んでいる。彼の言葉から感じ取れる感情に嘘はないし、それはそれで問題だと思った。

 と、同時に面倒くさいという感情を抱くのは私の心が狭いのだろうか。


「で、そろそろ覚悟は決まりましたか?」

「いや、無理無理。だって、だってさぁ」

「最初の威勢の良かった瀬名裕太はどうしたんですか。ほら、何も怖くないですよ」

「だってさぁ、その三好って人、ゆらとよく会ってた人なんだよ。浮気相手かもしれないじゃん。人間知らなくてもいいことってあるだろうし」

「……へたれ」


 ゆらがよく話していた瀬名裕太の話を思い出す。愛情深くわんこみたいで可愛い。私の前で葛藤を繰り返す同い年の青年を見ると、いかに自分の心が汚れているのか分かって胸が痛かった。めんどくせえ。


「浮気してた人間がそんなことよく言えますね」

「それはちゃんと説明したじゃん。ゆらが送り込んできただろう刺客だったから、どうにか向こうの情報を取り入れようと思って」

「そんなのゆらに直接聞けばよかったんじゃないですか。何の目的だって」

「でも、ちょうどその時ゆらと揉めたときだったし、そんなの聞けないじゃん」


 まるで子供が駄々をこねるような言い回しで、私は深い溜息をつく。ゆらの死の真相を知りたいのはもう一つの人格の方であって、彼ではない。いや、知ってショックを受けるのが嫌なだけの臆病者なんだと思う。

 カフェで瀬名裕太と話をしながら、私はスマホでメッセージのやりとりを続ける。ふいにスマホばかり見てるのに気づいた彼が「何してんの?」と聞いてきた。私は表情を変えずに「三好さんと連絡を取ってます」と返した。瀬名裕太の表情が真っ青になっていくのが少し面白かった。


「そうやって、桐島さんは俺に試練を与えるんですね。気が早くないですか」

「私は現実を受け入れる覚悟をしてくださいと言って、瀬名さんはそれを了承しましたよね」

「いや、ゆらのことに異常に執着してたのは俺じゃなくてもうひとりのほうの……」

「でも、あの時に私の手を握り返したのは紛れもなくあなたの方でした。ていうか、嫌ならもうひとりの方に私をぼこぼこに殴り倒してもらえばよくないですか」


 瀬名裕太の顔が歪む。言われたくない地雷のひとつなのだろう。

 三宅杏奈のことに関しては彼は何も言えない加害者でしかない。いくらゆらの回し者だったにしろ、手を出したのは瀬名裕太の方だったし、客観的に見てどちらも悪いという判断に至ろうとも割合的に彼のほうが過失が大きいと思う。

 むしろ、あの女の子から「手に負えない」「行っちゃだめ」と引き留められるくらいの恐怖を与えている時点で彼の本質である人格は歪んでいるのだ。でも、ふと思うことがある。あの子が言ってた「あなたならきっと気に入られちゃう」その一言がただ気がかりだ。引き留めるために適当に言った言葉のひとつだったのかもしれないけれど、何がどうしてそう思ったのかが気になった。


「はぁぁ、嫌だな。その三好さんって人と会うときはあいつが出てきてくれたらいいのに」

「瀬名さんって自分が解離性同一性障害って自覚あるんですか」

「……ありますよ。向こうはないと思ってますけど、俺はあいつに望まれていい子になるために作られましたから、あいつには俺が生きていくうえで必要なんでしょうけど」


 私の前の前にいる瀬名裕太はただゆらを愛していただけの可哀想なひとりの男だった。ゆらの死を受け入れられず、彼女が死ぬ前に言った「大好きだよ」という言葉をこれから先ずっと悔やみ続けるのだろう。自殺の前だったなら、止めれたかもしれない。私と同じことを考え続けるだろう。比呂が死のうとしたあのときと同じように。何かができたかもしれない、後の祭りなのに、余計なことばかり考えてしまう。


「そうだ、せっかくだから聞いておきたいことがあって」

「はい?」

「私とゆらってどこか似てるところとか、あります?」

「……」


 少し長めの沈黙があって、瀬名裕太がゆっくりと口を開く。

 

「似てるっていうか、ふたりとも何かの目的のためだけに生きてるようには見えますけど」

「もくてき?」

「ゆらだったら、わかんないですけど俺への復讐、なのかな。桐島さんも今はゆらのためだけに生きてるでしょ」


 考えても答えがでないことの正体が少しずつ見えてくる。知りたい感情と、知りたくない恐怖、知ってしまったあとの結末。私たちはそれをきっと地雷と呼ぶのだろう。


「そう、なのかもしれません、ね」


 私が生きてるのは懺悔のため。人を騙して苦しめた、死のうとするまでおいやった後悔だけ残されて、自分の生きてる価値がわからなくなった。ゆらに抱いた感情は依存に近かったのかもしれない。

 似たような立場でずっとずっと苦しみ続けた彼女の死は、救いだったのだろうか。私も楽になっていいのだろうか。


 比呂のこと。残された瀬名裕太のこと。ゆらが残していった記録。

 何を求めて、私に何を願っているのだろう。

 ゆらが最後まで面倒ごとを私に押し付けたことを、私はずっと考え続ける。彼女は残していった。私が生きていかなければいけない未来を。

 

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