20 エーリカ
愛という感情は、あとからついてくればいいと思った。
裕太くんがあの「やばい奴」だということも、そいつの記憶が一切ないことも、そんなのはどうでもいい。気にしなきゃいいんだ。忘れればいいんだ。
わたしが求めているのは、笹原ゆらにわたしと同じくらいの屈辱感を与えることで、それ以上でも以下でもないから。
目的は最初から決まっていたのに、どうしてわたしは今までこんな遠回りをしていたのだろう。
「ねぇ、わたしのこと好き?」
裕太くんを洗脳するのはとても簡単だった。わたしのことを好きにならなくても、裕太くんは偽りの罪悪感で潰れていく。「好きだよ」と返す表情は前とは違って怯えているように見えた。ゆっくりと、わたしは彼を自分のものにしていった。わたしは、記憶のない彼を優しく壊していったのだ。
裕太くんはわたしの思い通りに動く操り人形になった。人間という生物はたった一度でも嘘をつくと、その嘘がばれないようにまた重ねるように嘘をつく。
笹原ゆらを裏切った行為を一度してしまえば、二回目は簡単だ。笹原ゆらが望んでいたのはこちら側だとわたしは何度も何度も彼に言い聞かせて、そして裕太くんは底なし沼に溺れていった。あんなに笹原ゆらに一途だった裕太くんは、もうどこにもいない。罪悪感でいつか死んじゃうかもしれない。でも、それはわたしも同じだ。
もう後戻りはできなかった。
わたしは決断してしまったのだ。沈むなら、裕太くんにも一緒に沈んでもらいたかった。
わたしの作った裕太くんは、人間としてとてもクズで、笹原ゆらはきっと後悔するだろう。でも、彼女が言ったのだ。セフレを作ってもいいのだと。自分の言葉に責任を持てと、わたしは自分を正当化した。裕太くんが私以外の女の子と会っているのを見たってもう何の感情もわかない。愛という感情は、あとになればなるほど粉みたいにサラサラなって、あっという間に消えていくのだ。
「あ、三宅さんだ」
「……っ」
だから、わたしが笹原ゆらと久しぶりに再会したとき動揺したのは、わたしが今までしてきた最低な行為がばれるのが怖かったわけじゃない。わたしは威張って彼女に「ざまあみやがれ」と言うつもりだった。それなのに、わたしは何も言葉を紡げずに黙りこくってしまう。気まずい空気が漂うだけ。
「大丈夫だよ」
地面をずっと見つめていたわたしは彼女の一言ではっと顔をあげた。
「裕太の幸せがあたしの幸せなんだよ」
その言葉に、私の背筋は凍り付いた。彼女は純粋に裕太くんがわたしと結ばれることすら許せる優しさを持っていたのだ。わたしがしてきたことも全部何にも知らずに、裕太くんがわたしのことを好きになっちゃったなら仕方ないよね、ぐらいの軽い台詞だった。
と、同時にやっぱり何かおかしいことに気づいてしまう。あの日の記憶が、忘れていたかった記憶が蘇ってわたしはいつのまにか彼女の腕を掴んでいた。
「ねぇ、裕太くんに殺されそうになったことって、ある?」
わたしの言葉に彼女は目を皿にして言葉を詰まらせた。でも、びっくりしたのは数秒で、すぐに何かに納得したのか「あぁ」と声を漏らしたあと彼女は大きなため息と苦笑いで「残念だ」と呟いた。
「三宅さんはさ、好きな人いる?」
「……え?」
「あたしはね、裕太のことが好きなんだ」
「……?」
もっと、分かりやすく教えてほしかった。もっと、早く教えてほしかった。
笹原ゆらに対する感情は、もう復讐心とかそんな可愛いものじゃない。
「逃げたほうがいいよ。はやく。逃げて」
わたしは、自業自得だと思う。踏み込んじゃいけないものに手を出した。
笹原ゆらの掌の上でずっと転がされていたんだ。
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