12 ルノワール

「裕太くんがね、今度一緒に旅行にでも行かないって。それでね……って聞いてる?」

「……うん、聞いてる」


 半分くらい話を聞き流していると、それに気づいたのか彼女は足をバタバタさせて、僕の視界の邪魔をする。構ってほしいお年頃なのだろう。

 僕の天使は、気が付けば作戦を実行に移していた。

 ターゲットである「瀬名裕太」にどうやって近づいたのか。どうやって彼の隣を手に入れたのか、僕は全く知らない。というか興味がない。彼女曰く、使える手は全部使ったそうだ。

 瀬名と付き合い始めた日に嬉しそうに報告してきたのを覚えている。それが彼女の復讐の始まりだったんだろう。


 ただ、一つ。杏奈が不満に思っているのは、瀬名裕太は笹原ゆらとまだ別れていないということ。それってセフレじゃない、と僕が聞くと杏奈は口をぷっくり膨らませて「ちがいますぅ」とまたあざらし抱き枕を僕の顔面めがけて投げつけてきた。

 杏奈が言うには、瀬名は笹原ゆらを本命として何人かの都合のいい女がいるらしい。その時点で笹原ゆらにしょうもない復讐なんかせずとも勝手に苦しむのだから放っておけばよかったのに、杏奈はそのまま猪突猛進で瀬名に近づいた。もちろん馬鹿だから。

 最初はたぶん、セフレのひとり。うまく立ち回って本命の次になれた杏奈は、笹原ゆらから彼を奪う気満々だった。


「で、勝算はあるの?」

「ん? しょうさんって何?」

「だから、杏奈がその笹原ゆらっていう子に勝てる可能性はあるのってこと」

「なかったら、こんなことしてないよ~。しかも、わりと裕太くん優しくて一緒にいて楽しいし、このまま略奪愛っていうの? こっちが一番になっちゃったら最高じゃない?」


 杏奈はそうほくそ笑みながら、僕のベッドですやすやと可愛い寝息をたてた。

 杏奈が勝てる可能性はゼロではないが、話を聞いている限り瀬名という男はどうしようもないクズに思えたし、絶対に杏奈をあんな奴に渡したくないと思った。

 それと同時に、杏奈がいま幸せならそれが一番なのかと思う自分もいたのだ。


「いいですかね、社長。このままで」


 僕は眠る杏奈の頭を優しく撫でて、深い溜息をついた。杏奈は全く起きる気配を見せず、幸せそうに寝息を立てる。

 自分が報われないのであれば、大事な人にくらい幸せになってほしいのに。そんなことすら叶わないなんて、人生ほんとクソゲーだと思う。




 三宅杏奈は僕の両親が働く会社の社長の娘で、父と杏奈の父親が昔からの親友だったらしい。家族ぐるみの付き合いの仲、と言えば聞こえがいいが、僕と杏奈は五つも年が離れているために、終始僕は杏奈の遊び相手という名のおもちゃにされていた。「おにいちゃん」と可愛く甘えてきたのはもういつの日のことだったか。親にも甘やかされ、周りからもちやほやされて育ったせいで、彼女は自信満々の高飛車なお嬢様に成長してしまったのだ。

 高校を卒業すると同時に地元の小さな会社に就職し、自立した生活を送っていた僕にある日、電話がかかってきた。杏奈の父親からだった。

 どうやら、杏奈の我儘っぷりが手に負えなくなったという。杏奈はお目付け役の使用人の目を盗んで夜遊びをしたり、危ない連中と関わったり、何を言っても聞かない絶賛反抗期な態度をとり続けているらしい。家の人たちも精神的に疲弊してきてどうしようもなくなり僕にSOSを求めてきたみたいだった。


「いや、そんな僕だって何もできないですよ」

「それでも、もう頼めるのが君しかいなくて。本当に申し訳ないが、こっちに帰ってきてくれんかの」


 僕はしぶしぶ承諾して、転職をした。僕の新しい仕事は、我儘お嬢様の面倒を見ること。それだけれで賃金をもらうのはさすがに申し訳ないと思ったから、自宅で出来る簡単な仕事をもらって、彼女が学校へ行く間は雑務をこなした。


 杏奈の走行には本当に手を焼いた。小学生でもわかる「危ない人にはついていかない」が通じない。お金目当てで誘拐されてもおかしくない立場なのに、本当にこいつは悠長だなと思う。僕は学校終わりの彼女を車に無理やり乗せて、家まで送る。彼女の家で一緒にご飯を食べて、彼女の就寝まで見守ると車で帰宅。という生活を続け、彼女ができてもすぐ振られるループに陥った。

 でも、なんだかんだこの仕事を辞めなかったのは、たぶん杏奈が可愛かったからだと思う。昔から妹みたいな存在だったし、ぐちぐち文句は言うけれど結局すなおなところは昔から変わってない。僕に懐く杏奈に、恋愛とはまた違った愛情を持っていたのかもしれない。


 僕は深い溜息をつきながら、杏奈が瀬名と待ち合わせをすると言っていた場所の近くに車をとめた。人ごみに紛れながら杏奈の姿を探すと、噴水近くに杏奈と仲睦まじそうにする男の姿が見えた。


『あ、いた』


 僕が声をあげた瞬間、同じ言葉が重なった。女の子の声だった。

 振り向くと、その声の主も同じように僕の方を見て、視線が合う。それが、僕と笹原ゆらという爆弾の出会いだった。

 

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