5 コスモス

「なんだよ、なんも知らねえのかよ。心配して損した」


 はぁ、と大きなため息をついた目の前の男はさっきまでとはたいどがまるで違う。一回顔面を殴ってやりたいほどにむかついたけれど、私はこのとき何故か酷く冷静だった。

 根拠はないけれど、ゆらは嘘をつく人間ではなかったから。


「瀬名さんはゆらのこと愛してなかったんですね」

「……は? そんなわけないじゃないですか。俺ら付き合ってたんですよ」

「でも、たぶん」


 私は言葉にすべきか少し悩んで、飲み込みかけた言葉を彼の余裕そうな表情を見て見て思わず吐き出してしまった。


「ゆらはあなたのこと、もう好きじゃなかったと思いますよ」



 □




 笹原ゆらはピンク色が似合う可愛い女だった。

 

「あたしね、ずっと裕太と一緒にいたいんだな~無理だって分かってるんだけどね」


 彼女の悲しそうな笑顔が私はとても嫌いだった。震える彼女の手に私の手を重ねると、彼女はゆっくり指を絡めてくる。


「おわりかもしれない。でも、諦めたくないな」


 乾いた声で彼女が笑う。私は何も言えなかった。

 ゆらが死ぬなんて思わなかった。もっと早く気付けたら、あんなクズ男から奪って私がゆらを幸せにしたのに。


 お盆休み、実家に戻るついでに約束をしていた高校の同級生と笹原ゆらの墓参りに行った。友人はお墓の前に着くとぽつりと「本当に死んじゃったんだ」と言葉を漏らした。正直、私はまだ彼女が死んだことを実感してない。近くの花屋で買ってきた白い百合を立てて、線香に火をつけた。煙がふわりと上にのぼっていき、自然と視線が空に向いていた。

 雲一つない夏の空が広がって、私は何故か急に呼吸がうまくできなくなった。


「私も早くそっちに行きたいよ」


 友人が振り返って「何か言った?」と聞いてきたので、私は「何も」と笑ってみせた。バケツとひしゃくを持って私は立ち上がり、友人に駆け寄る。張り付いた笑顔が崩れないように、私は必死に口角をあげていた。


 同級生の友人と別れ、私は実家には帰らずにバスに乗っていた。高校の同窓会名簿に載っていた笹原ゆらの情報をもとに私は小さなアパートに辿り着いた。

 小学校の裏にある古い集合住宅の真ん中の棟。表札のプレートには「笹原」と記されていた。チャイムを鳴らして十秒ほど待つと、中から一人の女性が出てきた。笹原ゆらに似て美人な女性。きっと彼女の母親だと思った。


「あの、ゆらさんの高校の同級生の桐島と申します」

「……ゆらの、お友達、かしら」


 一瞬びっくりした顔をしていたけれど、すぐに納得したのか「どうぞ」と扉を大きく開けてくれた。玄関に飾られた小さな子供の描いた「おかあさん」の絵の下に「ささはらゆら」と言う文字を見つけて私はぐっと目を瞑って涙を堪えることしかできなかった。


「今日、お墓参りに入ってきたんですけど、こちらでもお線香をあげさせていただきたくて。急にお伺いしてしまって、すみません」

「いや、いいのよ。初めてかも、ゆらのお友達が来てくれたの。あの子、あんまり性格のいい子じゃなかったから」


 仏壇を前にして私は一礼して合掌した。線香に火をつけて香炉に立てると、煙がまたゆっくり上に向かってのぼっていった。

 りんを鳴らしてまた手のひらを合わせると、瞑った目の縁から涙が零れ落ちてしまった。ここで泣くなんて非常識だと頭では分かっているのに。


 私はこのときようやく彼女の死を痛感してしまったのだ。

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