4 バブルガム
付き合って二年が経ったある日、それは唐突にやってきた。
触れた手を彼女が勢いよく振り払ったのがはじまり。真っ青な顔色は初めて会ったときを思い出させるぐらいに調子が悪そうで、そのまま呼吸が少しずつ荒くなっていき、やがて過呼吸になった。「ごめんなさい」と謝り続ける彼女に、俺は何と声をかければいいのか分からずに、沈黙してしまった。
レスになった、というよりは彼女が男性から触れられることに対して恐怖を抱くようになった、というのが正しいのだろう。ベッドで何度も泣きながら謝る彼女を見ると心が痛くて、でも俺はその理由を聞きだせないままだった。
数か月経ってゆらの口から爆弾が投下された。前置きは、別れたくない、から。
「だからさ、裕太がほしいならセフレ作ってもいいよ」
「……は?」
何を言い出したのか、訳が分からなかった。
ゆらは表情を変えずにそのまま言葉を続ける。
「あたしはこんな感じになっちゃったし、裕太が望むならあたしは咎めないよ」
「そういう話じゃないだろ」
「あたしだって、別れたくないから言ってるんじゃんっ」
「別れたくないならなおさらそんなこと言うなよ」
「無理だよ。あたしはもう彼女としての役目を半分も果たせないよ。裕太はこんな役立たずをずっと愛せるの?」
「――愛せるよ」
「息抜きしたほうがいいじゃん……その人に裕太が恋愛感情を抱かないんだったら許せるよあたし。裕太に好きな人ができたならちゃんと別れるから。だからさ、あたしの延命のために裕太に自由になってほしいの」
ゆらはずっと泣いていた。縋るように泣いていた。役立たずなんてそんなことないのに。
でも、俺は弱い人間だったから、ゆらの優しさに甘えた。
ゆらとの関係を続けていくために、彼女の許しに甘えた。
ゆらとの時間は最大限に彼女を愛した。できないことがあろうとも、一緒にいる時間は幸せだった。
「恋人と会うのに石鹸の香りがするのはアウトだと思うんですよね。さすがに」
そして、俺はいま制裁を受けている。
はあ、と大きくため息をついた彼女は俺を軽蔑した目で睨みつけ、飲み干したコップにお茶を注ぎに冷蔵庫の方に向かった。大きな二リットルペットボトルでどぼどぼとコップにお茶を注ぎ、またこちらに戻ってくる。
「浮気公認っていっても、ちょっと前まで他の女と一緒にいましたみたいにわかるようにしてくるのは普通にクズだと思いますけど」
「え、と。あの、ほんと俺が悪いのは十分承知なんですけど」
ゆらが死ぬ前、俺の家にやってきてそして笑って言った。
「許さない」と。そして「裕太の秘密は愛莉っていう私の友達に全部吐いてあるから安心してね」それは大きな爆弾だった。いつ爆発するか分からないものを放置するわけにもいかず、止めにきたのに始まったのはお説教。
「ゆらから本当に何も聞いてないんですか?」
「……何のことですか」
桐島愛莉はどうやら何も知らないみたいだった。
ゆらが死んだ理由も、ゆらがあの日話していたという俺の秘密も。
俺は安心してふうと大きく息を吐きだし、出されていたお茶に口をつけた。
俺がゆらを殺そうとしていたことは、どうやら彼女は知らないみたいだ。
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