四話 賑やか山登り

「山だぁっ!」


 叫ぶは緋月。楽しそうに両手を突き上げながら、参番街道に吹く風を全身に浴びている。緋月たちの目の前に広がっているのは、参番街道の一番の特徴とも言える大山であった。


「ほい虎! 勝負しましょう! 先にてっぺんまで登った方が勝ちです!」


 何故か唐突にやる気に満ち溢れ始めたヤタは、ほよと緋月を見守るハクへと声をかけた。大きな瞳はキラキラと輝き、目の前の大きな山を映し出している。


「アホ、緋月たちもおるんに、一体誰がそんなことするんよ……」


 対するハクのやる気は皆無だ。余程山登りが嫌なのか、口元にいつもの笑みは無く、口はへの字に曲げられていた。


「勝負かい? 面白そうじゃないか!」


「うっ!? い、いや……晴明が相手なら遠慮しますよ……」


 そこに首を突っ込んできたのは晴明。彼は子供かと言わんばかりに目を輝かせていたが、逆にヤタはその様子に臆してしまう。すごすごと羽を畳んで、そそくさと緋月の隣へと走り去っていった。


「お前ら、なんでそんなに元気なんだよ……」


 紅葉のゲンナリしたような呟きは木々の隙間に吸い込まれていく。確実に危険だと分かっている場所に向かっているというのに、一行はどこまでも呑気な会話を続けていくのであった。


****


 時は半刻はんときほど前に遡る。それはもちろん、ヤタのせいで場が静まり返った時の後の話だ。


「それで、僕たちに頼みたいこととは?」


「えぇ、まぁ……この段階でお爺様なら察しているでしょうが、その繋がってしまった隠り世について調べて欲しいんです……いや、本当に……くっ……嫌だ……っ!」


 十六夜は淡々と答えた。淡々と答えたが、言葉が後半になるほどに私情が挟まっていく。最後に至ってははっきりと口にしてしまっているのだ。

 彼の心はやはり、唯一神としての仕事を果たさねばという思いと、晴明の孫としての不安で揺れている様であった。


「あぁっ……本当なら僕が行きたいくらいなのに……! それが一番早いし一番穏便だ……!」


「なりません、十六夜様。もし唯一神である貴方の身に何かあれば、この妖街道も滅びてしまいます」


「なぁっ! ですよね!」


 嘆く十六夜をいさめたのは影津だ。十六夜の言い分にはもちろん一理――否、一理以上ある上それが一番の方法なのであるが、今回話題となっているのは怪我人が発生している程の事態なのだ。唯一神である十六夜の身に何かあれば、彼が治めている妖街道も付随して滅びかねない。

 それが故に、影津は主の意見を尊重することなく首を横に振っているのであった。


「紅葉ぁ……」


「お、おう。分かってるぜ」


 机に突っ伏し、情けなく紅葉の名を呼ぶ十六夜。紅葉はそれだけで彼が何を言いたいのか察し、いつもの如く五歳児せいめいの子守りを任されるのであった。何かあれば容赦なく紅葉を頼る姿は、驚く程に緋月にそっくりである。


 こうして一行は、嘆く十六夜に後ろ髪を引かれながらも参番街道へと旅立ったのだ。


****


「にしてもやっぱり、ここの山を登るとなると時間かかるよぁ」


 山道を登りながら、紅葉は誰に言うでもなくポツリと呟いた。


「え? ……あ、そっか! 紅葉はこの前もここに来てくれたんだっけ!」


 その言葉を拾ったのは隣を歩いていた緋月だ。最初はキョトンとして紅葉に目をやったが、瞬時に妖街道に術をかけた時のことを思い出し、納得した様に顔をほころばせる。


「おうとも、あん時も結構かかったぜ? 大丈夫か緋月?」


「もーっ! 馬鹿にしないでよね! あたし、体力にはすごーく自信あるんだから!」


 まるで煽るかの様な紅葉の言葉に、緋月はぷくーっと頬を膨らませた。それからパッと一瞬で表情を自慢げなものに変えると、えっへんと胸を張って体力に自信があることを表明する。その様子はまるで百面相だ。


「そういや学校でも体育の成績は良かったな」


「だ、だけって!? うぅ、言い返せない……」


 何とか次なる紅葉の言葉に反論しようとした緋月であったが、確かに学園生活中で成績が良かったのは体育だけである。その為緋月はぐぬぬと唸る他無かったのであった。


「フンっ! 時間かかるみたいですよ、クソ虎! 果たして体力無しのお前に耐えられるんでしょうかねぇっ!」


 そして、会話を続けている二柱組ふたりぐみがもう一組。ヤタとハクである。


やかましいんよアホガラス……あ、あの草食えるんよ」


 しかしこちらは片方が会話を続けるつもりが無いようで、ハクは目に付いた薬草を指さしながらヤタを誘導した。彼女は煽ることは好きだが、煽られることの耐性は無いのである。


「えっ! 本当ですか!? それじゃあ一つ……」


 何故か愚直に、いつもからかってくる片割れの言葉を信じたヤタは、何も疑わずに薬草へと近付く。そうしてそれを思い切りむしり取ると、何の躊躇ちゅうちょもなく口へと放り込んだ。


「――――んげほぉっ! まっっっっっず!」


 もちろんそのまませた。ヤタはゲホゲホと咳き込みながら口の中の薬草を吐き出す。その目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。


「んふふ、当たり前なんよぉ。それ薬草やし」


 その姿に溜飲りゅういんを下げたらしいハクは、ようやくいつもの様な柔らかい笑みを浮かべると「ばーか」とヤタを煽り返すのであった。


「んなぁぁぁっ! クソ虎ぁぁっ!」


 まんまと騙されたヤタはその場で地団駄を踏む。あまりの大声に驚いたのか、辺りの木に止まっていたらしい豆鳥まめどりたちが慌てて飛んで行った。


「やーん怒った、怖いんよせぇめぇ〜」


 ハクはわざとらしい態度を取って、そそくさと晴明の横に隠れ、彼の袖を引く。晴明もケラケラと笑って楽しそうだ。


「んコナクソォッ! 退いて下さい晴明! そこの邪虎を成敗致しますので!」


「えぇ? ははは、うーん困ったなぁ」


 最早火を吹きそうな勢いのヤタに、晴明は大して困っていない様な態度を取りながら笑い続ける。その彼の向こう側でハクが「あっかんべー」と舌を出していた。


「ハイハイ、お二柱ふたりトモ、そこまでにして下さいナ。晴明が困ってますヨ!」


 瞬間、ヤタと晴明――ついでにハク――の間の空気が陽炎かげろうの様に揺れ、一人の少女が現れる。美藍めいらんだ。本日の彼女は神気を抑えていない様で、頭には立派な龍の角が見えたままになっている。


「めーらんまでヤタさんの邪魔をするんですか!? ムキーッ!」


 いつの間にか愛槍あいそう――三又焔みつまたほむらを取り出していたヤタは信じられないというように咆哮した。再びそばに居たらしい雑鬼ざっきたちが逃げて行った。


「なんかあっちも楽しそうだね!」


「はは、そうだな。皆と登ってりゃ、あっという間に着いちまうかもな!」


 緋月と紅葉は後ろで巻き起こっていた漫才を振り返ると、お互いに顔を見合せて楽しそうに笑い合うのであった。


****


「着い……ったぁぁっ!」


 賑やかに登ること約数十分、ようやく見えてきたのは御神木だ。道中はとても楽しかったものの、着いたら着いたで達成感に満たされたらしい緋月は心のままに叫んでいる。


「これ山彦やまびこ返ってきますよね!? やっほーっ!」


 ヤタはまるで緋月の様に目を輝かせながら緋月に並び、山彦やまびこが返ってくるか試していた。声が大きいが故に、「やっほー」という言葉の前も山彦やまびことして響き渡っている。


「ウチもウチも〜。アホガラスのあほ〜っ!」


 普段はこういったことをする性格では無いハクも、ヤタを煽るために渾身の力で叫んでいた。


「ってオォイッ! 誰がアホですか!」


 返ってくる「あほ」という単語を聞きながら、ヤタは青筋を浮かべて叫んだ。緋月とその式――否、恐らくヤタのみである――はここに来た目的をすっかり忘れてしまっている様である。


「これが穴か……爺さん、危険は?」


 一方、真面目な紅葉は噂の穴を見つけて恐る恐る近寄っていた。隣に並び立った晴明へと危険性の有無について尋ねている。


「ん? あぁ、平気だと思うよ。別に邪気を感じる訳でもないしね!」


「平気だとって……適当だなぁ……」


 紅葉の問いに飄々ひょうひょうと笑いながら答える晴明。そのあまりの雑さに紅葉は思わず半眼になった。


「うーんひとまず入ろっか! 考えるのはそれからだ!」


 晴明はニパッといたずらっぽく笑ってそう言うと、何の躊躇ちゅうちょも無く穴へと飛び込んで行ってしまった。


「えっ!? ちょ……っ! 待て爺さん!」


 慌てて紅葉も後を追う。ここで彼を野放しにすれば、十六夜が心配する通り良くないこと、もしくは余計なことが起こるはずだからだ。


「あれぇっ!? く、紅葉たち行っちゃった! 二柱ふたりとも行こ!」


 話し声に振り返った緋月が見たのは、穴へと飛び込んで行った紅葉の足。緋月は目を見開くと、慌てて穴まで駆け寄って同じく飛び込んでいく。


「んなっ……クソ虎のせいで出遅れたじゃないですか!」


「えぇ〜ウチ関係あるん〜?」


 最後にヤタとハクが文句を言いながら飛び込んだ。最後まで賑やかな一行である。



「――! わぁ……っ!」


 そうして穴の中に飛び込み、眩い光の中で目を開けた緋月は、思わずと言った様子で嘆息を漏らした。


「空が……あおーいっ!」


 何故ならそこには、まるで現し世の様な青空が広がっていたからである。

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