二十話 八咫烏

『ァア……アァァ……』


 怪鳥は酷く苦しそうに呻いている。それを不死たらしめていた、安倍の末裔たちの魂は皆解放した。それに加え、怪鳥に縛り付けられていたヤタさえも解放したのだ。

 それは必死にヤタを取られまいとしていた。きっと、彼女の存在が怪鳥の弱点なのだろう。ヤタを取り戻された瞬間から、見るからに弱っているのが感じられる。


「やれやれ、ヤタさんが未熟なばかりに余計な物を残してしまいましたね」


 そんな怪鳥を見やりながら、ヤタは首を振るった。彼女の表情は心底呆れている様であった。もちろん、自分自身に。


『ナン、デ……ナンデ……ナンデナンデナンデナンデ……ッ!』


 怪鳥はゆらゆらと身体を揺らして立ち上がる。その目は虚ろで、もうほとんど何も見えていない様だ。ただただふつふつと沸き上がる怒りに身を任せて大きな羽根を広げ、再び高く高く飛び上がった。


「――ッ、あかん! 来よる!」


 ゆら、と見覚えのある魔手が見えた途端にそう叫んで、ハクは紅葉を庇う様に前へ出る。あれはコックリさんをした時に、紅葉へと迫った呪いの手だ。


『許サナイ、許サナァァァァアアイッッッ!』


 怪鳥が高く高く鳴くのに合わせて、呪いの手は四方八方へと伸びる。恐らくそれは再び、自身を不死たらしめる媒体を得ようとしているのだ。

 呪いの手に捕まれば一環の終わり。そう悟ったハクは神気の爪でその手を弾き続けた。


(――しまった、緋月は!?)


 全てを防ぎ終えてからハクは焦る。自分の位置からでは紅葉を守るのが精一杯だった。目の前に広がる砂埃すなぼこりを空間ごと切り裂いて散らし、必死に主の姿を探した。


「……ぁ」


 ハクはある姿を目にして、瞠目して無意識の内に声を漏らす。

 そこに居たのは、同じ様に主を守っていたの姿。あの時、傍に居なかったことに腹を立てた存在そのもの。

 それが、しかと槍を構えて、緋月を守って、ぎゃあぎゃあとやかましい声で鳴き始める。


「カーッ! つくづくムカつく奴ですねーっ!? だぁれがヤタさん以外に攻撃していいと言いましたか! こうなったらもう許しませんよ! お前はボコボコにしますので、覚悟しやがれ下さいッ!」


 それは、鬱陶しいくらい長々と喋り続け、ビシリと指の先を怪鳥へと突き付けた。恐らく、あんな成れの果ての様な存在に言葉が通じることは無いだろう。


「あぁ、ほんまに煩いんよ――アホガラス」


 でも、どうしてかそのやかましい声が耳に心地よくて、どうしてかそのやかましい声が聞けるのが嬉しくて、ハクは思わず、そう呟いた。


「――! はぁぁぁっ!? だ、れ、が! アホガラスですかぁっ! この声はクソ虎ですねぇっ!? 華々しいヤタさんの帰還だと言うのに、本っ当に失礼な奴ですねーっ!」


 まさに地獄耳、ハクの小さな小さな呟きを聞き取ったヤタはピクリと耳を動かすと、一層けたたましい声で喚き始めた。

 傍で見ていた緋月は思わず吹き出してしまう。きっと、このやり取りも何度も交している物なのだろう。記憶の奥底が震えて、なんだか懐かしい気持ちになった。


「あー煩い煩い、ほんま煩いんよアホガラスぅ」


 ハクは楽しそうに目を細めると、ケラケラと笑いながらヤタをからかい続ける。その表情はなんだかいつもより生き生きとしており、ようやく納まるべき場所に納まったと言える様だった。


「おい、ハク! 前!」


「わっ! ヤタ! 前、前っ!」


 しかし、いくら懐かしくともここは敵前。こんな場所で話し込んでいたら、もちろん攻撃も飛んでくるだろう。近くに迫ってくる魔手を目の当たりにした緋月と紅葉は、目を剥いて驚いて近くの二柱へと声をかけた。


「ウチは見とるんよぉ」


「ほぇ?」


 二柱の反応は大違い。ハクはからかいつつもしっかりと前を見ていた様で、アッサリと余裕を持ったまま呪いの手を弾き飛ばす。風圧を防ぎながら紅葉は静かに安堵の息をついた。

 問題はヤタだ。あろうことか彼女、完全に注意をハクへと向けていた様で、間抜けな声と共に前を向いた瞬間にはもう眼前に魔手が迫っていた。


「どうわぁっ! あっぶねぇですって!?」


 だがしかし、ヤタは持ち前の反射神経で目の前の魔手をスッパリと切り裂いた。まさに間一髪、緋月は心の底から大きな安堵のため息をついた。


「ぬあぁぁっ! もう怒りましたよ私! お前は今すぐにヤタさんがケリを付けて差し上げますッ! 手ぇ出さないで下さいよクソ虎ァ!? 自分の落とし前くらい、自分で付けますのでッ!」


 ヤタはあたかも相手が悪いかの様に騒いで、再びビシッと怪鳥へ指を突き付ける。もちろん悪いのはヤタであるが、緋月を含めもう彼女には誰も何も言わなかった。

 未だ記憶がぼんやりとしていたが、彼女が緋月以上に阿呆であることは、既に誰もがしかと理解していた。無論、ヤタとの接点が無いはずの紅葉も、だ。


「はいはい……緋月! こっちぃ!」


 ハクはヤタを適当にあしらうと、緋月を自身の方へと呼び寄せた。へたり込んでいた緋月はサッと顔を上げると、ヤタが怪鳥へと飛びかかるのと同時にハクの方向へと駆け出した。


「ハクっ!」


「ん、よぅ気張きばったんねぇ」


 ハクは飛び込んで来た緋月を受け止めて労うと、すぐさま防御の結界を張る。結界の強固さは無論、玄武である夕凪ゆうなぎには劣るが、彼女も使えないことは無いのだ。

 緋月は結界の中でそっとヤタを見やった。彼女は怪鳥と同様の、だがこちらの方がしなやかで美しい羽根を展開し空を飛び回っていた。


「――! 速い、な……!」


 同じくヤタを見上げていた紅葉は、思わずと言った様子で呟きをこぼした。それ程までに、ヤタの飛行速度が速かったのだ。

 まさに一閃を体現しているかの様な燕返つばめがえし。そして、同時に手にした鋭利な槍で切り付ける。怪鳥は為す術なく、ただただその身に切創だけが増やされていく。


「おらぁっ! 落ちやがれ下さいッ!」


『グギャァァアアァアァァッッ』


 瞬間、ヤタの威勢のいい掛け声と共に怪鳥の絶叫が響き渡った。怪鳥の少し上を飛んでいたヤタが急降下し、それへと槍の柄の部分を叩き込んだのだ。怪鳥はくの字に身体を曲げて落ちていく。


「このまま決めますよッ! 紅蓮流ぐれんりゅうせ――どうわぁっ!?」


 ヤタはそのまま槍を持ち直し、一気に決着を付けようとするが、それを察したらしい怪鳥は死に物狂いで抵抗をした。無闇に動かしたその羽根がヤタの手に当たり、彼女は得物を取り落としてしまったのだ。


「ヤタッ!」


 思わず叫んだのは緋月だ。このまま怪鳥が反撃に出れば、ヤタも無事では済まないだろう。


「――武器が無くなったのであればッ! この拳でブン殴るまでですッッ!」


 しかし、そんな心配も無用の長物ちょうぶつであった様だ。ヤタはすぐさま拳を握ると、怪鳥が落下する速度より速く加速を付けてその身体へと拳を叩き込んだ。


紅蓮流星槍ぐれんりゅうせいそう改めッ! 紅蓮流星拳ぐれんりゅうせいけんッッ!」


 ヤタは力の限り叫んだ。

 まさに今叫んだその名が示す通り、二羽の身体は流星の様に地へと落ちていく。緋月も、紅葉も、ハクも、その光景にただしっかりと見とれていた。


 瞬間、ドォンと二羽が地面に衝突する音が響き渡った。


 一呼吸置いて辺りに風が発生した。ハクの結界は風圧までは防げない。緋月と紅葉はハクにしがみつき、何とかその風をやり過ごした。


「……っ、どうなった……の?」


 いの一番に声を出したのは緋月であった。緋月は恐る恐るハクの後ろから顔を出し、状況を確認する。

 舞うは砂埃すなぼこり。その中心で揺らめく二羽の影は、重なり合って一つに見える。


「――勝負、ありましたね」


 立ち上がったのは、八咫烏やたがらす。ヤタは足元で微かに呻く影の鳥を睥睨へいげいすると、素早く近くに刺さっていた自身の槍を探し出して、おもむろに引き抜く。


「長い間、よくもよくもヤタさんを閉じ込めて下さいましたね」


 ヤタは、ゆっくりと影の元へと歩んでゆく。


「ヤタさんから生まれたくせに、沢山の人の子を傷つけやがりまして」


 ゆっくりとゆっくりと、語りかける様な言葉を呟きながら。


「それだけでは飽き足らず、緋月を恨んでつけ狙うなど……阿呆のする所業ですよ」


 その口調は厳しいながら、どこか幼子を諭す様な語りかけで。


「本当に馬鹿ですね」


 ヤタは、影の目の前で立ち止まった。


「貴方は――私。愚かな私の心から生まれた、弱い私です」


 ヤタは、静かにに微笑みかけた。


『――――』


 影はもう何も言わない。濁った目をヤタに向けて、静かに、ただ静かに涙を流している。


「もう、苦しまなくて良いですから――おやすみなさい」


 そうしてヤタは、手にした槍を思い切り振り下ろした。

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