三話 いざ! 現し世へ!

「いい!? 絶対に、絶ッ対にお爺様から目を離しちゃダメだよ!?」


 全員が陰陽亭を出る前、十六夜は晴明の腕を掴んで再三繰り返した。あまりの剣幕に緋月と紅葉は緊張したような面持ちで頷き、宵霞はケラケラと楽しそうな笑い声をあげていた。


「失礼だなぁ、僕は小さな子供かい?」


 近くを飛んでいた黒い揚羽蝶に目を奪われていたらしい晴明は十六夜の言葉にムッとすると、心外だと言わんばかりに文句を垂れた。


「そうだよッ!!」


「えー? 酷いなぁ」


 無論、その行動こそがそうだという、十六夜の怒りの肯定に一蹴されていたが。


「はぁ……くれぐれも頼んだよ、紅葉、宵霞」


 反省も態度を改めることもしない晴明にため息をつきながら、十六夜は紅葉と宵霞に彼のお守りを頼み込んだ。


「あれぇ!? あたしはぁ!?」


 名前を呼ばれなかった緋月は、ひどく驚いた様な顔で十六夜に縋る。緋月本人は自分が頼りになると思っているのだが、やはり十六夜からそう思われていなかったらしい。


「緋月は……怪我しないでね」


「うぅ〜、なんか納得いかない……!」


 十六夜の柔らかい笑みと頭を撫でる手つきに絆されつつも、緋月は釈然としないと言わんばかりに頬を膨らませた。


「はぁぁ……、本当は僕が同行出来れば良かったんだけど……今から影津に全部押し付けられないかな……」


 そんな愛らしい妹の姿を見て十六夜が一言。その表情はまさに埴輪が如く抜け落ちている。


「影津君が可哀想だから諦めなよ、十六夜……」


 十六夜の深い深いため息の中に聞き捨てならない言葉を見つけた宵霞は、呆れ半分に彼を窘めた。それを隣で聞いていた紅葉も苦笑いをしている。


「う、分かってるよ……、それじゃあ後は頼みましたよ、お爺様」


 妹たちに咎められ、十六夜は後ろ髪を引かれつつも引き下がる。そうして、なんだかんだ言いつつも後のことを晴明に任せるのであった。


「ふふ、了解だ。任せたまえ」


「はぁ、心配だなぁ……」


 こうして緋月一行は心配そうな十六夜の言葉を背に、陰陽亭を発って現し世へと向かうのであった。


****


「あれ? 月楼の扉のとこに行くんじゃないの?」


 妖街道、中心街。月楼に見向きもせず通り過ぎた宵霞に対して、緋月は困惑したように声をかけた。


「んー? 違うよ〜。あっち通ったら京都に繋がっちゃうから……、アタシたちが使うのは肆番街道の通り道!」


 緋月の問いに宵霞は人差し指をピンと立て、片目を瞑って答える。歌手という職業柄か、仕草の一つ一つが熟れている様に見えた。


「えっ、肆番街道にも通り道があったのか!?」


 サラリと言われた知らなかった事柄に、紅葉は目を丸くして驚いた。存在を知らなかったのはもちろん、宵霞がそのことを知っていることに対しても驚いていた。


「そうだよ〜、肆番街道は東京――えぇと……つまり江戸と繋がってるから、すぐに学校まで行けるって訳!」


 宵霞は先程立てた指を顎に当てて伝わりやすい説明を考えると、何故肆番街道の通り道を使うのか詳しく説明した。


「あぁ、そう言えば繋げたことあったねぇ」


 その傍らで呑気に晴明が呟くと、


「あったねぇって……、本当に規格外の爺さんだな……」


 紅葉は半眼になって改めて祖父の凄さを実感した。同時にその呑気さも理解して、十六夜の言いつけをしっかり守ろうと考えるのであった。



「そう言えばあたしたちこの格好だけど……大丈夫なの?」


 関所を抜け、一行が肆番街道の大通り半ばに差し掛かった辺りで、緋月はふと降って湧いた疑問を口にする。

 よく見れば緋月や紅葉たちの服と、宵霞の服では大きな差があった。宵霞の淡い薄緑の上着も、目を引く派手な桃色の洋袴ズボンも、ここではすっかり浮いてしまっているが恐らく現し世ではこれが普通なのだろう。


「ん? へーきへーき! 鳥居を抜けたら事務所に出るようにしてもらってるから! 向こうに着いたらアタシの服があるし……あ、おじぃ様……ま、まぁどうにかなるっしょ!」


 宵霞は緋月の不安そうな言葉を問題ないと笑い飛ばした。途中晴明の服が無いことに気が付いたが、多分何とかなるだろうとそれも笑い飛ばした。


「最悪、アタシと一緒に居たらなんかの撮影だと思われるだろうし! 何とかなーるっ!」


「はは、良いのかよ……」


 宵霞は晴明譲りの前向き思考で自己完結をする。緋月や晴明はきょとんとしていたが、要は「なるようになる」と彼女が言っていることに気付いた紅葉はまたもや苦笑を浮かべていた。



「さ、着いたよ〜! この鳥居の先が現し世!」


 そうこうしている間に、どうやら目的の鳥居へ着いていた様だ。入り組んだ道の先に、その鳥居はそびえていた。


「おぉ、これが……でもこれどうやって行くんだ?」


 紅葉は興味津々と言った様子で鳥居に近付いたが、手を伸ばしても何も変わりはない。鳥居の先には今と変わらず肆番街道の景色が広がっているだけであった。


「あはは、ここのは月楼の扉と違ってアタシか十六夜、おじぃ様しか開けられない様になってるからね〜」


 意外と好奇心が旺盛な紅葉を見守りながら、宵霞は笑って鳥居の仕組みを説明する。


「そっか、みんなが開けられたら危険だもんね……!」


 緋月はその説明を受けて、確かに月楼の扉も隔離されるように置かれていたことを思い出した。

 前は百年ほど彷徨う羽目に合う可能性があった為、厳重に管理されていたはずだ。今は見知らぬ現し世に迷い込むという危険に変わっているが。


「そーそー、てな訳でアタシが……あ、それともおじぃ様やる?」


 宵霞は緋月の言葉に頷きながら鳥居に手を伸ばしたが、何かに気付いたように手を引っ込めると茶目っ気たっぷりに晴明に笑いかけた。


「ふふ、いやいや、宵霞がどうぞ?」


 宵霞の言葉の意図に気付いた晴明はケラケラと笑い声をあげると、同じく茶目っ気たっぷりに言葉を返した。


「あっはは、おっけ〜任せて!」


 妹たちへの見せ場を譲って貰った宵霞は、心底楽しそうな笑い声をあげながら胸を叩く。そうして鳥居にまとわりついていた紅葉を後ろに下がらせると、サッと鳥居に手をかざした。

 その瞬間、明るい光が鳥居から漏れ出し、辺りを激しく照らした。


「うひゃあ! ま、眩しい……!」


「何の光だこれ……!? 目が痛てぇ……!!」


 今まで暗い妖街道に目が慣れていた緋月と紅葉は、あまりの眩しさに思わず目をつぶって悲鳴をあげる。


「うーん、懐かしいねぇ」


「あっはは、皆面白すぎ! ほらほら、行くよ〜!」


 二人とは違ってどこか懐かしむ様な表情を浮かべ、余裕そうな晴明を見た宵霞は二人との差に思わず吹き出す。そうして絶えず笑い声を漏らしながら全員の背中を押して、鳥居の先へと強引に連れ出したのだった。


****


「うぅ〜眩しいよぉ……」


「俺もまだ目ぇ開けらんねぇ……」


 緋月も紅葉も未だに目は開けられていないものの、周りを取り囲む空気が変わったのは肌で感じていた。しかしあまりにも眩しい。二人とも唸りながらどうにか目を開けようと苦戦していた。


「おや? こちらも朝、なのかい?」


 そんな中とっくに目を開けて周りの景色を眺めていた晴明が、大抵反対の時間であるはずの現し世が妖街道と同じく朝であることに気付いて、珍しく困惑するような声をあげていた。


「そう、それアタシも思ったの! やっぱ何年もあったし、時間がズレちゃってたのかな〜的な?」


「なるほど、それで奇跡的にズレが無くなった瞬間に妖街道を押し上げたから時間の流れが同じになった、ということか」


 宵霞の考察を受けて、晴明も納得した様に頷いた。どうやら何年間も離れた場所に存在していた結果、妖街道と現し世の朝は同じ物になってしまった様だ。


「お、あぁ……やっと目が開いた……って、なんだこりゃ!? 空が青くて、明るくて……!?」


 その横で紅葉が視力を取り戻したようだ。ゆっくりと開いた彼女の目に一番に飛び込んできたのは、妖街道の空とは全く別物の青い空だった。紅葉は目を見張ると、見たことの無い世界に言葉を失った。


「うぅ、あたしも開い……っうわぁ!? こ、これが現し世……!?」


 それと同時刻に緋月を目を開く。同じく澄み渡った空を目にした緋月は、わぁっと歓声をあげて辺りを見回す。


「そう、これが現し世! ふふふ、三人ともようこそ、現し世へ〜っ!」


 宵霞が嬉しそうにそう言えば、目を奪われ言葉を失って立ち尽くす二人と、それを見てクスクスと笑う晴明を歓迎するように穏やかな風が吹き抜けていった。

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