十話 ハク、見参(一)

 瞬間、大鬼の持つ金棒はまるで逆再生のように弾かれ、いつの間にか張られていた結界がパシャンと音を立てて崩れ去った。


「お前、ウチの可愛い可愛い緋月に何してくれとるん?」


 緋月の視界を染めた白。それはしっかりと緋月を守るように立ちはだかり、大鬼に大切な者を傷付けられた怒りをぶつける。


「なっ……何だ手前てめえは!?」


 渾身の一撃を障壁によって阻まれた大鬼は、突如現れた謎の人物に戸惑い声を荒らげる。


「ウチ? さっき緋月が言うとったやろぉ〜? ウチは白虎ハク。緋月の頼れる式神なんよぉ〜」


 サラサラと流れる真っ白な髪。頭部に生えた虎の耳、その右側に揺れる耳飾り。少しだぼついた白い漢服の様な造りの服と、同じくだぼついた桃の上着。漢服の裾には、ひらひらとしたふち飾りが付いていた。

 白虎は――否、ハクはこの場に合わない間延びした声でそう言うと、ゆるゆると緋月を振り返った。


「――ぁ」


 パチリと金色の瞳と目が合って、緋月の脳裏に様々な記憶が蘇った。



『ハク……? ……ふぅん、それウチの名前なん? んふふ、ええんよぉ、気に入ったんよぉ〜!』


 最初は祖父の式神だった白虎に、『ハク』と名を与えて新たに契りを交わした記憶を。


『さぁ緋月ぃ〜、今日も頑張ろなぁ〜! ここの平和はウチらが守るんよぉ〜!』


 にこにことまるで幸せを体現するように笑って、共に平安の地を駆けることを喜んでいた時の記憶を。


『――なぁ緋月、大好きなんよぉ』


 そして、大好きだと優しく微笑んだ、大切な大切な式神の、その全ての記憶を。


「ぁ……はく……、ハクぅ……っ!」


 懐かしい記憶は、大切な記憶はボロボロと大粒の涙となって溢れ出す。緋月は何度も何度も確かめるように、その大切な者の名を呼んだ。


「んふぅ〜、もう安心していいんよ緋月ぃ〜。こんな奴、つよぉいウチがあっちゅう間に片付けたるんよぉ〜!」


 そんな主のくしゃくしゃの泣き顔を見たハクは、にこりと慈愛に満ちた笑顔になると、安心していいと優しく告げた。


「チッ、こいつッ!!」


 そんな二人の再会を邪魔するように、大鬼は大声をあげて金棒を振り上げる。


「――金剛爪こんごうそうっ!」


 しかしハクは怯むことも無く静かに唱えた。瞬間大鬼の振り上げた金棒は、彼女が纏ったまるで神獣の爪ような神気に呆気なく弾かれた。


「なっ……!?」


「んふふぅ、言うたやろぉ〜? ウチ、ほんまに強いんよぉ〜」


 目を剥いて驚く大鬼に、ハクは勝ち誇ったような笑みを見せつけた。力の差は一目瞭然、どう見たってハクに軍杯が上がっているのが分かるだろう。


「このアマ……ッ!」


「無駄なんよぉ〜。そんな攻撃、ウチには当たらんもん」


 大鬼は額に青筋を浮かべて金棒を振り回すが、ハクは難なく纏った神気でそれをいなす。緋月に害が及ばないように、弾く方向までもしっかり配慮されていた。


 何度弾かれようとも、大鬼はデタラメに金棒を振り回し続ける。このまま続けても何の意味も無いことは目に見えていたが、頭に血が上っている彼にはそれすらも理解できないようだった。


「なっ……しまっ……!」


 不意に攻撃を弾かれ続けた大鬼はふらりとよろめいて体勢を崩し、一瞬の隙が生まれる。


「――てやぁっ!」


 ハクはその一瞬の隙を見逃さなかった。即座に神速に近い速度で大鬼の傍に移動すると、強烈な回し蹴りを大鬼の横腹に叩き込んだ。


「が、はッ……!?」


 片腹にハクの足が沈み込んだ大鬼の体は、大きく傾いて彼は片膝を着いた。無闇に金棒を振り回し続けた彼には、最早立ち上がる体力さえ残っていなかったのだ。


「す、すごい……!」


 緋月は目を丸くしたまま、無意識のうちに呟いていた。どちらかと言うと後方支援を得意とする緋月にとっては、それは異次元とも言える戦いに見えたのだ。


「んふぅ〜、ウチ強いやろ? 緋月ぃ〜」


 その呟きを聞き逃さなかったハクは再び緋月に向き直ると、得意気な笑みのまま勝ち誇った。実はハクの実力であれば瞬時に決着をつけることも可能だったのだが、久しぶりの主の前で少し格好つけてしまったのである。


「こ……っんの……っ!!!」


 しかしそこを、大鬼の往生際の悪い無駄なあがきが襲う。片膝を着いたままの大鬼は、最後の力を振り絞って金棒を放り投げた。


「――っ! ハクッ! 後ろっっ!」


 普段のハクであれば避けることは可能だったが、後ろを、それも大好きな主の方向を向いていた彼女が気付くことは無かった。


「っ!」


 緋月の鋭い声で慌てて振り返ったハクだったが、遅かった。神気を纏った腕を振ろうにも、一度警戒態勢を解いてしまった脳から命令が到達するには時間がかかって動かなかった。


 緋月だけは、とハクは咄嗟に神気を全身に纏って、金棒を受け止める準備をする。こうすれば最悪、打撃を受けるのも自分だけになるからだ。


(っ、ぬかったんよ。堪忍な、緋月)


「せいやぁー」


 しかしハクが覚悟を決めて歯を食いしばった瞬間に、頭上から気の抜けるような抑揚のない少女の声が降ってくる。


「な……っ!?」


 文字通り声と共に上から落ちてきた少女は、驚きのあまり声が出ないハクの前に迫っていた金棒を踏み付けて叩き落とすと、その反動で高く飛び上がった。


「お覚悟」


 少女は空中で一回転、そのまま腰に着けていた二本の短剣を取り出すと、着地点――つまり大鬼に到達すると同時に切り裂いた。


「はい、せーばいかんりょー」


 派手に血飛沫が上がることはなかったが、どうやら刀身には麻痺毒が塗られていたようで、大鬼は白目を剥きながら倒れて行った。

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