第68話美和の初日と決意

話し合いの翌日から、美和は田中珈琲豆店のエプロンを付けて、動き始めた。

まず感じたのは、忙しく、来店客がいつも満員、途切れが全くないこと。


「こんなに忙しいのは初めて・・・すごいや」

「これを翔子さんは一人でやっていたの?」

「もう限界・・・って言うのがよくわかる」

「二人でやっても忙しいのに」


そして、その大きな原因である柿崎パン店を思う。

「先代からの客」

「世界最優秀パテシィエの孝太の名声と実力」

「フランス大使館からの、極上小麦粉の提供」

「それに、他のヨーロッパの珍しくて美味しいパンが加われば・・・」

「今後は、一人二人増えても・・・大変だな」


しかし、美和は動き回るのが、実に楽しい。

「何だろう・・・ホテルの客とは違うけれど」

「セレブじゃない・・・ってバカにしていたけれど」

「みんな、表情が自然、セレブより輝いている」

「セレブは、セレブ同士で、腹の探り合いばかりだったな」


その美和の目に、母親に連れられた可愛い双子が映った。

「3歳くらい?なかなか美人だ」

「え?クリームパンを取り合って?にらめっこ?」

「お母さんが、アンパンをちぎって、これも美味しいって渡した」

「え?結局、両方食べて、二人ともニコニコ?これは可愛い」


思わず笑みがこぼれる美和に祥子がささやく。

「どう?面白い?」

「こういう瞬間が、たくさんあるよ」


美和は、「はい!」と素直な返事。

面白い瞬間が楽しみで仕方がない。

「セレブ客同士の陰険な腹の探り合いばかり」のホテルより、よほどいい、と思う。


保も美和に声をかける。

「美和さん、さすがだね、背筋がスッとして歩き方もいい」

「誘導の仕方も、上手」

「実にスムーズにお客さんが席に着いてくれる」


美和は褒められて、実にうれしく感じるし、気合も入る。

「まさか、保さんがクイーンホテルの大先輩とは・・・」

「恥ずかしいことは、できない」


次第に、お客の声も、耳に入るようになった。

「美味しいねえ・・・待っていた甲斐があったよ」

「先代のも美味しかったけれど・・・このコッペパンは、また美味しい」

「甘味?香り?しっとり感?とにかくお洒落な味」

「ケーキは・・・さすが・・・世界一」

「幸せ、柿崎孝太のパンとケーキなんて!」

「赤坂まで行かなくても食べられるって、贅沢過ぎ!」

「バゲットは、パリの職人みたい、でも先代の味と同じ、どっしりと美味しい」

「ねえ・・・このチョコレートレーズンパン・・・すごいよ」

「え?・・・新作?・・・うん・・・わ・・・マジ・美味し過ぎ・・・半分分けて」

「ダメ・・・売り切れ前の一本だもの」

「ケチ!でも明日早く来て絶対買う!」


美和は思った。

「家に帰る前に、我慢できなくて、食べてしまうのかな」

「それほど、食欲をそそるパン」

「パンとケーキ、売る物そのものが、最高のセレブ」

「胸をもっと張るべきか」

「となると・・・孝太やみんなに悪かったな・・・私が馬鹿だった」


「挽回しないと・・・申し訳なさ過ぎる」

美和は、再び気を引き締めている。

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