第61話チョコレートシナモンレーズンパンの美味 美和は孝太から離れたくない

「そんなに泣かないで」

孝太の声が聞こえた。


「そんなこと言ったって」

美和は、涙が止まらない。

自分の心が壊れたような感覚。

何より「孝太と真奈に申し訳ない」「孝太から離れたくない」気持ちが抑えられない。


「それで、美和さん」

今度はヴィヴィアンの声。


「・・・うん・・・」

何とかヴィヴィアンには返事が出来た。


「それでね、これ新作というか、試作のパン」

これは孝太の声。

その声とともに、美和の鼻がビクンと動く。


「え?チョコレート・・・シナモン?・・・え?レーズンも?」

美和は、ようやく涙を拭いた。


「うん、その通り」

ヴィヴィアンの明るい顔が見え、目の前のテーブルにはチョコレート色の焼き立てのパン。


孝太が笑顔で美和の顔を見た。

「食べて欲しい」


美和は、本当にうれしかった。

孝太の笑顔は、しばらく見ていなかった。

それと、あれほど酷いことを言ったのに、笑顔で自分を見ているから。

「うん・・・ありがとう・・・食べます」

口に入れると、チョコレートの芳醇な香り、シナモンの高貴な香り、レーズンの甘酸っぱさが渾然として、「うわっ」となるほどの美味しさ・・・パンの芸術のような美味しさ。

「これ・・・すごい・・・美味しい・・・」

「後を引く・・・いくらでも口に入る」


孝太はうれしそうな顔。

「親父は焼いていなかった、これは柿崎パン店の新作」

そして、続けた。

「他にも、ベルギー、デンマーク、スイス、イタリア・・・ヨーロッパ各地のパンを焼くよ」

「フランス大使館がここのパンを宣伝する話になったら、いつのまにかいろんな国の大使館も協力ってことになってさ」

「大使館のパン焼き職人も協力って意味でね」

「それと、各国のケーキも・・・それはケーキイベントで協力かな」

「まあ、忙しくて仕方ない」

「いろいろ、いくらでもアイディアは浮かんで来るし」


美和は、孝太の顔が眩しくてたまらない。

「ますます、離れ辛くなるよ・・・そんなこと聞くと」

そして思った。

「孝太・・・すごく面白い・・・私も一緒にやりたい」

「いや・・・もう・・・ここから離れたくない・・・」

「シンガポールのホテルのフロントなんて・・・何が面白いの?」

「私にとって何の意味があるの?」


孝太は、そんな美和を少し見ただけ。

「真奈が大変、手伝って来る」

腰を抑えながら、焼き立てのパンを大量に持ち、店に入って行く。


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