第60話美和はパン焼き厨房に入る。

美和は、ほんの数日前に、孝太やヴィヴィアン、真奈と一緒にパン焼き作業をした場所、と思う。

けれど、そこまでの至近の距離が、美和にとっては、実に重い、ためらいの道。


「追い返されるのかな、冷たく?」


美和は、心臓がドキドキと鳴るけれど、足を止められない。


「それとも無視?」

そのほうが辛いと思う。

「追い返すでもいい、孝太の顔も声も・・・これで最後かもしれないから」


パン焼き厨房のドアが見えて来た。

「あの扉を開けると孝太がいる」

美和は一瞬、足がすくんだ。


「謝っちゃおうかな・・・私が悪い」

「・・・どうして言い過ぎるのかな・・・」

「庶民もセレブも、パンもケーキも孝太を引き留めたいだけ」

「それだけなのに、感情をセーブできない・・・」

「馬鹿は私だよ・・・結局左遷されて・・・孝太ともお別れ?嫌だ、そんなの」


しかし、ヴィヴィアンは、そんな美和を見ることはない。

そのまま、パン焼き厨房のドアを開ける。

「さあ、入って」

美和は、小さな声(それしか出せない)「うん」と、パン焼き厨房に入った。


「あの・・・」

美和は、声が震えた。


目の前に孝太が座っている。

ヴィヴィアンの言う通り、腰を抑えて、肩で息をしている。


美和は、また声が震えた。

でも、これだけは言わなくてはと思った。

「柿崎パン店の再開と、ご盛況おめでとうございます」


孝太は、少し笑い、頭を下げた。

「ありがとう、皆様の御協力で再開出来ました」

「ああ、お買い上げ、ありがとうございます」


美和は、孝太の笑顔を見た瞬間から、涙がボロボロとあふれた。

「いろいろと・・・ごめんなさい」

「酷い事言って、傷つけて」


座っていた孝太が、腰を抑えながら立ちあがった。

そして美和の肩をポンと叩く。

「いいよ、気にしていない」

「・・・と言うか、気にしている暇もない」

「何しろ、やることは山積み」

「やりたいことも、山積み」

「筋肉痛も疲れもあるし」

「家に戻れば、寝るのに5分もかからない」


美和は、顔を抑えて、泣き止まない。


ヴィヴィアンは、孝太に目で合図、焼き上がりのパンを窯から出している。

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