第35話ヴィヴィアンの苦しみと決意

ヴィヴィアンもまた、苦しんでいた。

もともと、東洋人に興味があったわけではない。

日本など、どこにあるのか、全く知らなかった。

柿崎孝太を知ったのは、外交官の叔父で今は日本大使を務めるピエールに誘われて、パリのホテルでケーキのコンペを見た時。

ヴィヴィアン自身が大のケーキ好きであったから誘いに乗った。


「一目惚れだった」


「あの端正な顔、柔らか、軽やかでありながら、正確無比な作業」

「出来上がるケーキの美しさ、華やかさ、気品が高い」

「他のパティシエとは、全然違う」

「他のパティシエは額に汗して、必死な感じで暗い、味も見た目も重たいだけ」

「孝太はずっと見ていたい、飽きない。動きも芸術品」


柿崎孝太が優勝した時、一番前の席に割り込み、インタビューを聞いた。

柿崎孝太のコメントは。謙虚で控え目なもの。

「皆様に喜んでもらえて光栄です、これからも美味しいケーキ作りを勉強します」

「これからもよろしくお願いします」


ヴィヴィアンは、その謙虚さと控え目さにも惹かれた。

何しろ、自分に声をかけて来る男たちは、とにかく自己中心で自惚れが強い、フランス男特有の理屈っぽいとか、香水をベタベタにつけた自称ドンファンばかりだったから。


「孝太には、透明感もある」

「すごくクールで上品」

「話を絶対にしてみたい」


そう思ったヴィヴィアンは、叔父を通じて孝太のアドレスを知った。

思い切ってアポなしで孝太のアパートまで行った。

孝太は驚いていたけれど、部屋に入れてくれた。

話自体は、弾んだ。

孝太はフランス映画が好きだったし、フランスやヨーロッパの歴史にも詳しかった。

興が乗れば、ケーキを焼いてくれたし、食べたことがなかった「和菓子」も食べさせてくれた。


「ケーキはもちろん美味しかった、美しいし、洗練されていて飽きが来ない」

「そうかと言って、フランスの伝統に沿った重厚なケーキも完璧に焼く」

「孝太が教えてくれた和菓子も、どれも美味しかった」

「お饅頭、羊羹、どら焼き・・・おせんべいも新鮮だった」

「いつか、日本に住みたいって言ったら・・・お待ちしておりますと、軽く笑った」

「もう・・・胸はドキドキで、そのまま抱きつきたいほど」

「・・・でも、孝太の品の良さに。ためらった」


パリで孝太の隣に住む杉浦美和は気に入らなかった。

「せっかく孝太と話をしている時に、急に割り込んで来る」

「美和は勘違いしている」

「孝太の気持ちが美和にはない、それをわかっていない」

「孝太は、ホテルの従業員として、美和に応じているだけ」


孝太がパリから日本に帰る時は、辛かった。

空港まで送って、泣いた。

抱きつこうと思ったけれど、美和が察して失敗した。


「1年間は我慢しようと思った」

「忘れられるかもしれないと思って」

「・・・でもダメだった」


日本行きは、駐日本大使になった叔父に涙ながらに頼み込んだ。

フランス大使館に孝太を誘いたいとも言った。

叔父は、大喜びでヴィヴィアンの提案に賛同した。


日本に着いて、孝太に電話する時は、恥ずかしい程に声が震えた。

孝太は、いつもの、柔らかな返事だったし、横浜のパン屋に行くことも拒否しなかった。


「・・・でも・・・美和はともかく」

「祥子は・・・強敵だ」

「孝太と祥子・・・見ていて似合う」

「孝太と美和は似合わない、孝太が引いている」


ヴィヴィアンは、自分を思った。

「今は、負けているかな・・・でも負けたくない」

「孝太の気を引くには何をすればいいのか」


部屋を歩き回りながら、ヴィヴィアンは、一つの結論を得た。

「孝太がパン屋をやるなら、店員になる」

「ケーキを焼くなら、手伝う」

「とにかく、一緒の時間を増やす」

「フランスから孝太を追って来たんだから、私も簡単には引き下がらない」

ヴィヴィアンはそう決めて、ようやく眠りにつくことができた。


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