第8話合鍵 

「合鍵か・・・」

柿崎孝太は、ようやく言葉を返した。

我ながら、マヌケな返事と思う。

杉浦美和が合鍵を欲しいと言い張ったので、面倒臭くて、つい渡してしまったことを、今さら思い出す。


杉浦美和は、涙目で続けた。

「しつこいとか、重たいって思っている?」

「でもね、どんな形でも、孝太がいなくなるのが嫌なの」

「孝太、それをわかって欲しい」


そこまで言われて、柿崎孝太は、身体を起こした。

「ごめんな、心配かけて」


杉浦美和は、柿崎孝太の腕を引いて、ソファに座らせる。


柿崎孝太は、また下を向く。

そして首を横に振る。

「明日の朝、パティシエ長と支配人に辞表を出すよ」

「これ以上、迷惑をかけられない」

「そもそも真奈の見舞いと親父がいつ、どうなるかわからない」

「俺自身、何をどうしていいのかわからないほど」

「これでは、まともに仕事どころではない」

「とにかく、肉親は親父と真奈しかいない」

「俺が二人の面倒を見ないで誰が見る?」


杉浦美和は、柿崎孝太の目をじっと見つめる。

「そう・・・焦らないでよ」

「自分を追い込み過ぎないで」


杉浦美和は、少し間を置いた。

「私、とりあえず一週間のお休みをもらったの」

「孝太が納得してくれるなら、真奈ちゃんのお見舞いを私にもさせて」

「もちろん、孝太にも来てもらうけれど」


「それは・・・」

と困惑する柿崎孝太の次の言葉を手で制した。

「女性でないと対応できないこともあるから」

「孝太も、ホテルは、とりあえずお休みにして欲しいの」

「もう少し状況が確定するまで」


黙ってしまった柿崎孝太に続ける。

「孝太がホテルに連絡すれば、同じ答えが返って来るよ」

「とにかく今の状況では辞表は受け取れないって」


また下を向いて考え込む柿崎孝太には構わず、杉浦美和は、テーブルの上に漆塗りの立派な弁当箱を二つ置く。

「割烹の源さんが、ホテルを飛び出して行く孝太を見て心配になったみたい」

「私がホテルに戻ると、源さんからコール」

「これ持って行ってくれって」

「必ず二人で食べろと」

「美和は、孝太が食べ終わるのを見届けろっ・・・てね」


驚いた柿崎孝太は、ソファから立ちあがり、弁当箱を開ける。

そして目を丸くする。

「これ・・・俺のために?・・・あ・・・弁当の新作?・・・」


柿崎孝太の反応に、杉浦美和はようやく少し笑う。

「食べ終えたら源さんに感想を連絡してね」

美和は、また、間を置いた。

「言いたくないことは言わないでいいよ」

「源さんも薄々事情を察しているみたい」


柿崎孝太は返事もせずに、新作弁当を食べ始めている。

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