第3話

支配人室での緊張感や騒動はともかく、パテシィエたちは厨房で雑談に余念がない。

吉田パテシィエは、その中でもすこぶる機嫌がいい。

「あのパン屋のドラ息子が抜ければ、例のイベントも中止、のんびり定時退社ができる」

鈴木パテシィエも含み笑いを浮かべる。

「柿崎の奴にこれ以上業績をあげられても・・・ね・・・」

「まあ、お嬢様の執心はよくわかりませんがね、俺らにはもともと無縁な話」

「目新しいケーキなんて、そもそも面倒でしかないし、そのうえパテシィエ長も柿崎も完璧主義者、残業続きになるのが目に見えていましたからね」

そんな二人のベテランパテシィエの言葉に、何の口も挟めない同僚パテシィエが多い中、採用2年目の深田美紀が声をあげた。

「私・・・確かに未熟でミスも多いけれど・・・やってみたいです、そのイベント」

「本当に無理かなあ・・・」

その深田美紀の言葉に、早速吉田パテシィエの「お叱り」が入る。

「うるせえな・・・この小娘!まともに俺らの指示通りに出来んくせに」

鈴木パテシィエは小馬鹿にしたような顔。

「深田ごときが口を出す話ではない・・・20年早い」


吉田パテシィエと鈴木パテシィエの「お叱り」が効いたのか、深田美紀は顔を抑えて涙を拭き、立ち尽くすだけになってしまった。

また他の同僚パティシエからは、深田には何のフォローもない。


そんな気まずい状況の中、松田パテシィエ長が厨房に戻って来た。

「孝太君が血相を変えてホテルを出て行ったんだ」

「お父さんの容態かな」


吉田シェフがまず反応

「どうでも・・・彼は結局パン屋の息子」

「その親が恋しくて、大事な仕事をほっぽり出して逃げただけ」

「ホテルに恥をかけ、国にも恥をかけ・・・」

「そんなものどうでもいいと・・・」

「とにかく腕だけの情けない野郎ってだけです」


鈴木パテシィエは、窓の外を見る。

「帰って来なければ・・・どうなります?松田さん」


松田パテシィエ長は苦々しい顔。

「まずは孝太君からの正式な連絡を待つ」

「吉田も鈴木も先走りし過ぎだ・・・少しは口を慎め」

そして、少し間を置いた。

「まだ支配人も俺も諦めてはいない・・・」

「何とか策を練ることで意見は一致している」

吉田パテシィエと鈴木パテシィエが不機嫌な顔で横を向くが、深田美紀は少し安堵の顔を浮かべている。


さて、柿崎孝太は全速力でエレベーターに乗り、ホテルの地下駐車場に降りた。

しかし、地下駐車場では、杉浦美和が待ち構えていた。


杉浦美和はシュンとした顔。

『ごめんなさい、言い過ぎた』

「役員専用の地下駐車場直結エレベーターを使ったの」


柿崎孝太は、目を合わせず、杉浦美和の横を通り過ぎてしまう。

それでも言葉は出した。

「今、美和の相手をしている暇はない」


しかし杉浦美和も引かない。

「一体何?お父様のこと?」

「だったら私も行く」


それにも柿崎孝太は無反応。

黙って自分のBMに乗り込んでしまう。


しかしすぐに発進はできなかった、

「簡単に逃げられるとでも?」と言いながら、杉浦美和が素早く助手席に乗り込んでいるのだから。


ここに来て、柿崎孝太は観念した。

「少し飛ばすぞ」

杉浦美和は不安な顔。

「もしかして・・・お父様?」

柿崎孝太は発信させながらポツリ。

「いや・・・親父ではなくて・・・妹の真奈が」

そのままスマホの画面を杉浦美和に見せると、杉浦美和の表情も青くなっている。

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