夢破れた野球少女探偵、アイドル科の殺人未遂事件に挑む
秋雨千尋
アイドル科の殺人未遂事件。容疑者は推し!?
「決まったー! 十人連続! 奪三振!」
私は女子高校野球チームのエースだった
長い黒髪をポニーテールにしている。理由は走る時に風を感じて気持ちいいからだ。
テレビを見てファンになってくれた人達もいて、プロ入り確実といわれていた矢先、突然に世界が終わった。
「日常生活に支障はありませんが野球はもう──」
サンドバックを破壊する豪速球も、ガクンと落ちるカーブも、鋭く切れるスライダーも、全て失われた。
目の前に広がっていた人生はあっさりと崩れ落ち、眠れぬ日々を送る中、次々と見舞客が来る。
「野球だけが人生じゃないさ」
「澄香は美人だしスタイルもいいわ。まだまだこれからよ」
家族や監督のぎこちない励ましを受けた後、一人になった私はぷつりと何かが切れる音を聞いた。病室のお風呂にお湯を張り、壊れた右手をつける。左手には小さいカミソリが悲しい光を放っている。
来世では、必ずプロに──。
意を決して刃を当てた時、ノック音が響いた。
「すみません、ボク同じ学校の北川ですけど。どうしても渡したい物があって」
馴染みのない男子の声。
いぶかしんだものの、出てみることにした。
扉の向こうには、小柄な少年が立っていた。ツヤのあるおかっぱ頭で、くりくりとした大きなタレ目は緑がかかった青色で、なつっこい笑顔を浮かべている。犬の帽子をかぶっていて、中学生ぐらいに見える。
「お見舞いです。これをどうぞ!」
タオルに包まれた丸いものを渡すと、ペコリをお辞儀をして立ち去った。爆弾じゃないだろうなと思いながら中を確認する。
憧れの選手の、サインボールだった。
「待って! ええと、名前なんだったかな」
「ボクは北川。北川シアン」
「これは一体?」
「野球場でいっぱいお願いしてさっき貰ってきたんだ。警備員さんには怒られちゃったけど」
「どうして……」
「絶対にプロ野球選手になって欲しいから!」
それは予想外の言葉。
誰からも言われなかった言葉。
永遠に失われたはずの夢。
「ボクにも雲をつかむみたいだと言われてる目標がある。どっちが先になれるか競争しようよ!」
「なにそれ、きみは何になりたいの」
シアンは胸に手を当てた。
なんだなんだうるさいなと出てきた病室のギャラリーに聞かせるように息を吸い込んで。
「日本一のアイドルになる!」
私立・白薔薇学園。ジャンル問わず若き才能を育成することを目的としており、多数の芸能人が在籍している。学費が異様に高く、支払えずに辞める者が毎年続出している。
たくさん学校に寄付をしている女生徒が生徒会長をしている。お金は全てを解決するのか。彼女はデビュー間近と噂されており、周りはカメラマンでいっぱいだ。
学費免除のスポーツ特待生として入学した私にとって、リハビリ中の現在は針のむしろだ。
役立たず、早く退学しろと陰口を言われている気がする。精神科の先生はストレスによる幻聴だと言うけれど。人混みは苦手だ。
食堂で向かい合うシアンは、パスタをフォークでくるくるしながら、ふんと鼻を鳴らした。
「またボクの噂をしてるみたい」
「は?」
「無理もない。アイドル科期待の新星、未来のトップスターのボクだから。音痴だの運動音痴だの勉強音痴だの好きに言えばいいよ」
自信に満ちた表情に呆気にとられる。
これでルックスが並なら笑ってしまうところだが、シアンは言うだけあって可愛い。野球バカから見ても充分にTVに出られると感じる。守ってあげたい系オバカキャラでいけそうだ。
「いつか渋谷の駅にポスターを貼ってもらうんだ。お仕事に行くたくさんの人がボクを見るんだよ」
シアンは明るくいつも前向きだ。
リハビリは想像以上にきつく、自分の体が思うように動いてくれない苦痛にさいなまれる。今の頑張りが何の意味もなさないという不安に包まれ全てが嫌になってしまう時。
「北川ァ! 音程まるで合ってないぞ。ジャイアンとしてデビューする気か!」
「北川ー! 一人だけ遅れてる。振りが違う。そうじゃない全身で表現するんだ。ああまた遅れた。生徒会長を見習えド下手くそ!」
「オイ北川、また赤点なんだが? いい加減にしろ? のび太くんでも目指しているのか?」
ルックス以外まるでダメなシアンが頑張っているのを見ていると、元気が湧いてくる。
廊下で見かけたらドキドキして、こっちに気づいて手を振ってくれたら嬉しくなる。食堂で寝ていたらブランケットをかけたくなる。校庭を走らされているのを見かけたら、授業が頭に入らなくなって、ずっと見てしまう。
寝る前に目を閉じると、シアンの顔が浮かぶ。
「好きなのかな……」
天井に向かって呟いてみるものの、誰からも返事はない。彼はアイドルの卵なんだから、魅力を感じるのは当たり前かもしれない。
「推し、なのかも……」
シアンのグッズが出たら買いたいと思う。ポスターを貼って、ストラップを付けて、携帯の待ち受けにしたい。これはきっと推し、ファンなんだ。
だって独り占めしたいわけじゃない。
眩しいライトを浴びて、みんなにキャーキャー言われて笑顔で輝いている姿を見たい。
だからこれは、恋じゃない。
+++
いつもの食堂でシアンを待っていたが、いきなり飛び込んできたスキャンダルに耳を疑った。
なんとシアンがアイドル科ダンス講師のオギ先生殺人未遂で退学になるというのだ。
「なんか三人から財布盗んで怒られて逆ギレして階段から突き落としたんだって」
「こわーい」
「盗まれたの生徒会長の腰巾着らしいよ」
「いつも四人一緒にいるよね」
「オギ先生って男子に異様に厳しいよね。生徒会長にはベタベタなのに。日頃の恨みもあったのかも」
噂話に耳を疑う。そんな事するはずがない
短い付き合いではあるが、犯罪に手を染めるとは考えられない。絶対にアイドルになると誓っているのだから。私は急いで職員室に向かった。
「ボクじゃありません!」
「目撃者もいるんだぞ。白状しろ!」
教頭先生に取り調べを受けて泣きじゃくるシアンを窓から見ながら、胸がズキリと痛む。助けたい。私に出来る事は何かないのか。
「そうだ、真犯人を探せばいいんだ」
職員室にやってきた糸目のユキ先生に声をかけて、現場を見せてもらう事にした。理事長は警察を呼ばずに退学処分で終わらせるつもりらしい。
「目撃者がいるんですよね」
「ええそうよ。生徒会長がね、シアン君が誰もいない教室から出てきて、そのあと騒ぎが起きたから間違いないって」
「盗まれた財布は……廊下側の席の前から二番目、真ん中の前から五番目、窓際の一番前の生徒のものと……おかしくないですか?」
「なにが?」
「狙われた場所がバラバラ過ぎます。もしもですよ、お金が目当てなら近い範囲で盗むのではないでしょうか。バレないために、早く済ませたいでしょうから」
「なるほどね。じゃあ一体?」
「被害者は仲良しグループらしいですから、もしかしたら結託してシアンをはめているのかも」
「………」
「ユキ先生?」
「いいえ、なーんの関係もない三人よ」
「なんで隠すんですか!? 不自然すぎますよ?」
「龍神さん、世の中には触れてはいけないものがあるのよ。もう探偵ごっこは辞めた方がいいわ。退学はイヤでしょ?」
「シアンが退学になる方がイヤです!」
私は勢いよく廊下に飛び出した。だが思い直してUターンすると、もう一度ユキ先生に話しかける。
「調べて欲しいことがあります!」
「イヤよ、生徒会長には絶対に関わらないわ」
「違います。調べて欲しいのは被害者のオギ先生の机です。きっと犯人の動機がありますから」
それだけ告げると、最重要容疑者に会うために走り出す。三塁からホームベースを狙いにいく時みたいなスピードで。
+++
生徒会室まで来たもののノックをしても誰も出ない。困り果てていると、一人の女生徒が現れた。こちらを見て逃げようとしたので手を掴む。
「離してよ野蛮者!」
「あなたが財布を盗まれた被害者ですね」
「だからなに!」
「なんで逃げるんですか? 本当は盗まれてないんじゃないですか?」
「はあ!? なにを根拠に!」
「だって不自然ですよ。なんで仲良し四人組のうち三人が被害者になるんですか。それならば、“口裏を合わせてシアンを容疑者に仕立てた”方がずっと自然です」
「ふざけないで! なんでそんな事を」
「考えられるとしたら……お金、でしょうか」
「はあ?」
「あなたがた三人は学費が払えなくて退学寸前なのではないですか?」
「な、な、な、なななな」
「お金持ちの生徒会長にくっついている三人組、同じ立場のお嬢様ならば普通は“腰巾着”だなんて噂されません」
「だからなんなのよ!」
「あなたがたは学費を会長に肩代わりしてもらっている。だから逆らえないんです。殺人未遂の罪から逃げる工作にも協力せざるを得ない!」
「バカバカしい! たかがお金のために」
「たかがじゃありません!」
私も同じ気持ちだ。ただそれを伝えたかった。
「知っていると思いますが、私の手は死にました。もう昔のようには投げられない。奇跡でも起きない限り。人生をかけた夢を失ったんです」
「だ、だから?」
「“たかがお金”が足りないせいで退学、つまり夢をあきらめざるをえない辛い気持ち、分かります。私が同じ立場なら、きっと同じことをします。
悪いのはあなたがたではない!」
女生徒は目を泳がせたけど、逃がさないように視線をまっすぐ合わせる。彼女はたくさん汗をかいて白状した。隠れて見ていた二人もやってきて罪を告白してくれた。
+++
職員室に四人揃って訪れると、ちょうど生徒会長も目撃者として一緒にいた。綺麗な顔を歪ませて非常に不快そうにこちらを見ている。
エアバッドをピタリと向けて予告ホームランのポーズを取る。
「犯人は生徒会長、あなたです!」
「くだらない、寝言は寝て言ってくださる?」
「龍神くん、なんだねいきなり」
「教頭先生、聞いてください。会長は何らかのキッカケでオギ先生を階段から突き落としました。それを隠すために仲間達に命令して財布をシアンの鞄に入れさせました。シアンがいつも不合格で居残りをさせられている事はみんな知っているため、ターゲットにされたわけです。事件が発覚し、生徒会長としてオギ先生に突き出すと言って現場に連れて行き、犯行を目撃したフリをしたのです」
「バカバカしい! なんの根拠があってそんな」
「こちらの三人は犯行を認めていますよ」
「嘘よ! 私がデビュー決まったからって嫉妬して嫌がらせしているのよ!」
「おめでとうございます。それなら全力で隠しますよね。夢が叶うまさに幸せの絶頂ですから」
「殺人なんてするはずないわ」
「動機なら……先生、どうでしたか?」
ユキ先生がパタパタと走ってきて、テーブルにズラリと並べたのは、ものすごい枚数の写真だ。すべて生徒会長が写っている。どれもカメラ目線ではない。
「オギ先生に盗撮されていたのですね」
「ぐっ!」
「デビューが決まって絶対にスキャンダルを避けたい時に盗撮写真で脅されました。きっと下着姿などあったのでしょう。だからあなたはパニックになってしまったんです」
生徒会長はガクリと膝を折り崩れ落ちた。
協力した三人と共に、これからじっくり取り調べを受けることだろう。だがその前に。
「教頭先生、シアンに謝ってください」
「澄香ちゃん、いいよ」
「シアンはトップアイドルになるんです。無実の罪で厳しく責められた記憶を持ったままでは、ステージ上で心から笑えません。彼の輝かしい未来のために、どうか謝ってください!」
教頭先生は、フッと笑ったかと思えば、椅子から立ち上がり頭を下げて謝罪の言葉を告げた。
一件落着で教室に戻る途中──。
「澄香ちゃん!」
シアンに声をかけられた。今日はいい天気だ。窓から陽が差しこむ渡り廊下は眩しい。
「助けてくれてありがとう。信じてくれてありがとう。ボクの夢を応援してくれてありがとう。
今日のこと、一生忘れないから」
光の中でシアンが目に涙を溜めて微笑むから、私は頭と心臓に同時にデッドボールを受けたような衝撃を受けて膝から崩れ落ちた。
─ああ、これは恋だ。
夢破れた野球少女探偵、アイドル科の殺人未遂事件に挑む 秋雨千尋 @akisamechihiro
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