11.霊叢駅


 “霊叢たまむら駅”——。


 聞いたこともない駅名だ。調べるまでもなく、飛田とびたが乗っていたはずの路線にそのような駅は無い。


 時刻表も、文字がかすれて見えなくなってしまっている。信号機も全て消えている。

 反対側から、電車は来るのだろうか。

 向かい側のホームに回るため、改札に向かおうとしたその時。何かの液体が、飛田とびたの足元に滴っていることに気付く。


「……な……!?」


 黒い水だ。飛田が着ている上着にベタァッと付着して、地面に滴り落ちている。付着している場所はちょうど、電車の乗降口で何者かに押された時に、その者の手が触れた所だ。

 その黒い水からは、鉄のような匂いがする。


「うわあああッ!?」


 あまりの不気味さに、飛田は思わず無人改札を飛び出した。が、運賃を支払わなければならないことを思い出し、どうにか冷静さを取り戻す。

 ICタッチパネルも当然無いため、電子マネーでの支払いは出来ない。

 駅員もいないが、無賃乗車は良くないと思い、飛田は財布から100円玉3枚取り出した。そして、完全に沈黙している改札機に3枚をそっと置いた。



 駅を出ると、何とも幻想的で不可思議な光景が広がっていた。向かいのホームで帰りの時刻表を見るのも、忘れてしまうほどに。


 そこには舗装された道路も、電信柱も車も、建物すらもない。草がざわめく、夜の平原が広がっていた。

 近くに、大きな林がある。


 その平原の空中に、白やら水色やら、桃色やら薄橙色やらの、ぼんやりと光る光球が、いくつも浮遊しているのだ。

 光球は、こぞって平原の向こう側を目指し、それぞれ空中を踊りながらゆっくりと動き始める。


 飛田は、暗闇の中で妖しく光る光球たちにいざなわれるように、平原を歩み始めた。


 遠くに、いくつか建物が見える。村のような光景だが、明かりは灯っていない。

 光球たちは優しく瞬きつつ、その村の方へと飛んで行く。飛田は夢見心地で光球たちについて行っていたが、ある事に気付いて我に返る。


「あっ!」


 財布が無い。落としてしまったのだろうか。さっき300円を出した時だ。

 財布には身分証明書など大事な物が入っている。

 飛田は、駅へ引き返すことにした。



(そんな……?)


 歩いてきた平原を引き返したはずだが、いつの間にか、真っ暗な林の中に入り込んでいた。

 

 林に生えているのは、柳のような樹木ばかりだ。垂れ下がる枝葉は、まるで迷い込んだ者をさらなる迷い道に誘い込むかのように、揺れる、揺れる、揺れる。

 生温かい風が、そっと吹いた。

 飛田はUターンし、来た道を戻ろうとした。だがどういう訳か、林の出口がどこにも見当たらない。木々に囲まれた小道が、延々と続いているだけだ。


 ダメ元で、スマホの画面を見る。やはり圏外だ。アプリを開くとクラッシュする。バッテリー残量は残り32パーセント。しかし現時点でスマホは使い物にならないので、充電などもはやどうでも良かった。

 背筋に、ゾクゾクッとした冷たさを感じる。

 何としてもこの林を出なければ。いくつも分かれ道が現れたが、この林の怖さと不気味さのあまり、飛田はどちらに進んだかも分からなくなってしまっていた。



「あれ? ここ、さっきも通りましたね……?」


 しばらく歩いていると、見覚えのある場所に出てしまった。地面に並ぶ大小さまざまな岩の位置が、全く同じだ。生えている木の位置からも、先ほどと同じ場所で間違いはない。


 それでも出口を求めて、先に進むしかない。何度も分かれ道に出たが、どのルートを取っても——。


(……同じ場所です……)


 進めど進めど、ループする林道——。

 ヒヒヒヒッという、不気味な鳴き声が林の中に時折響く。

 空気は冷え込んでいるが、時折吹く風は生ぬるい。


(どうすればいいんですか、これ!)


 いくら歩いても、現れるのは分かれ道。飛田はだんだんと、眠気を感じ始める。


(ダメです、こんな所で眠ってはダメです……)


 進み続ければ、いつかは林の終わりがあるはず。飛田は、棒になりかけた足に鞭打ち、ひたすらに林の中を歩き続けた。



 大小さまざまの岩がある同じ場所に6回、出た時。

 小道の奥に、目立つような“赤”が見えた。着物だ。


 誰かがいる。


 目を凝らして見ると、真っ赤な着物を着た、女性だ。

 恐る恐る、スマホのライトを照らしてみる。

 かんざしをつけた、色白の女性の横顔が見えた。


 人がいて、飛田は一瞬安心したが、すぐに警戒心を強める。こんなところに、女性が1人でいるのは、どう考えてもおかしい。


 スマホをしまい、女性とは反対方向へ向かおうとした、その時。


「もしもーし……」


 いまにも消え入りそうな女性の声が、飛田の背後から聞こえた。

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