6.久々の診察


 夕食をとった飛田とびたは1時間ほど仮眠してから、依頼されていた作曲を2時間足らずで済ませた。


「出来まし……た……」


 電池が切れるように、そのままベッドに倒れ伏した。意識を保ちつつ暖房の電源を入れてから、吸い込まれるように眠りに落ちた。



 不思議と、寝た気がしない朝だった。どことなく夢を見ているような、浮ついた気分。やはり、現実世界と夢の世界が融合しつつある影響なのだろうか。

 

(……予約、取れました。田井中先生に怒られそうですが……ちゃんと診てもらわないと)


 不摂生をし、またも健康を損なってしまった飛田は、松田病院で一度検査を受けることにした。

 防寒着とマフラーを身につけ、マスクも忘れずに装着する。新型ウイルスの元凶であった“邪竜パン=デ=ミール”がいなくなって随分経つが、それでもまだ新型ウイルスは収束の目処が立たない状況だ。


 以前、現実世界で外に出た時には、夢の世界だけにいるはずの魔物が跋扈ばっこしていた。夢の世界との融合が始まっているからだ。

 いつでも勇者の魔法を放てるよう、気を引き締めながら外に出る。

 だが病院への道中、幸いにも魔物と遭遇することはなかった。目に映る光景も、普段通りの京都市内の風景。

 一体どこまで夢の世界との融合が進んだのだろうか。融合してしまえば、何が起きるのか——。

 


 松田病院に到着した。

 忘れずに、手指を消毒し、検温する。35.8℃。体温はもう少し高くてもいいぐらいだ。

 さほど人は多くない。受付もスムーズに済ませられた。


(あれ? あの2人は……)


 待合室の座席に、見覚えのある人物の姿があった。

 糖尿病と鬱病で治療中、白髪混じりで肥満体型である40代の男性、佐藤さとうゆたか。会うのは3度目だ。佐藤と初めて会った時、彼はリストカットをしようとしており、慌てて止めに入ったことを思い出す。

 もう1人は、中村なかむら英三郎えいざぶろう。会うのは2度目で、初めて会った時も佐藤と一緒だった。病名は不明だが、彼は深刻な病気を抱えている。小説家になる夢を持つ、50代ほどの男性。大きめの黒縁眼鏡が似合う。以前よりも痩せ、髪は真っ白になっていた。


 彼らは互いに仲良くなったらしく、2人とも以前は見せなかった笑顔を浮かべながら、何やら話をしている。佐藤は肥満体型、中村は痩せ型だが、互いに服装がボロボロなのがある意味似たもの同士、意気投合したのだろうか。

 特に佐藤は、少し表情が明るくなった気がする。


 話しかけようと近寄ったが、佐藤は飛田を見るや、すぐに中村に礼をして立ち去ってしまった。以前、佐藤を励まそうとして伝えた言葉が、逆に佐藤の心を傷つけてしまった。飛田は、佐藤から苦手意識を持たれてしまったのだろうか。

 中村は何でもなさそうに視線を飛田に向け、先に声をかけてきた。


「やあ、あなたはこの間の」

「どうも。中村さん……ですよね。小説を書いておられる」

「覚えててくれたか。そういえば、あなたのお名前をまだ聞いてなかったな」

飛田とびた優志まさしです。小説のほう……いかがですか」

「ようやく、ブックマークが50を上回ったところだ。完結まではまだまだだ。私が死ぬ前に、せめて完結はさせたい」


 そう言う中村の目が、希望に満ちた輝きを湛えているように飛田には思えた。


「そうですか。私は応援することしかできませんが……」

「ありがとう。その気持ちだけで充分だ」

「飛田さーん。飛田優志さーん」


 中村の声とややかぶさるようにアナウンスされた、看護師の女性の声。

 久しぶりの診察だ。

 飛田は中村に一礼し、診察室へと向かった。



 主治医の田井中は以前と変わらず、にこやかな表情で飛田を迎えた。


「あはは、飛田様。立派なお腹になりましたね。食生活が乱れたんじゃないですか」

「先生……、やはり、お分かりになるのですね」


 マスク越しにいたずらっぽく笑う田井中は検査の準備し、飛田も服を脱ぐ。

 正直なところ、不安だった。あれほどの不摂生をしたのだ。検査結果を見るのが恐ろしい。胆石症も再発していないだろうか。

 その場では問診、触診、心拍数と血圧の測定ののち、血液検査を行なう。


 飛田は、白院びゃくいんから教わった“瓢腹ひさごばら呼吸法”をふと思い出し、田井中に尋ねた。


「先生。呼吸法は、健康に効果があるっていいますけど、根拠はやはりあるのでしょうか?」

「血圧を測る時など、私はいつも深呼吸をするよう言いますよね? あれをやると、20前後は下がるんですよ。今からちょうど測りますので、じゃあまずは深呼吸せずに血圧を測ってみましょうか」


 飛田は普段通りの呼吸のまま、血圧測定器に腕を通した。


「今、上が126、下が78でしたね。ではもう一度測りますので、今度はゆっくり呼吸してから、測定器に腕を通してください」


 今度は、白院から教わった“瓢腹呼吸法”をじっくりと行なう。フッフッハー、と3セットほど。心拍数が落ち着き、頭が澄み渡るような感覚になっていく。


「はい、上が118、下が76。理想の数値ですね。このように、呼吸ひとつで血圧は変わるのですよ」

「じゃあ、積極的に呼吸法も取り入れようと思います」

「血圧は1日の中でも大きく変動しますので、同じ時間に定期的に測定するのが大切です。また家庭内と診察室では、正常値が異なります。図表をお渡ししますので、できれば簡易のものでもいいので血圧測定器を買っていただくといいですね。ひとまず今のところは、血圧に関しては大丈夫そうです。良かったです」


 現代医療の医師のお墨付きも得られたので、安心して“瓢腹呼吸法”を実践していこうと飛田は決意した。

 


 血液検査の結果が出るまで2日。

 健康に気を遣いつつ、今後の行動と、納品する楽曲の最終確認をして過ごした。


 そして再び松田病院へ。幸い魔物の出現情報もなく、無事に辿り着く。


「飛田様。結果はこちらです——」


 体重——66キログラム。

 体脂肪率——28.0。

 肝臓の検査値(GOT、GPTなど)は正常値。

 総コレステロール——210。

 中性脂肪——128。

 尿酸——7.0。

 空腹時血糖値——106。

 ヘモグロビンA1c——5.4パーセント。


 ギリギリ、正常値といったところだ。


「胆石も再発していませんでした。生活習慣を気をつけていけば、また健康な体になりますよ。飛田様のご希望通り薬は使わずにいきましょうか」

「ありがとうございます。今後は気をつけます……」


 飛田は深々と頭を下げる。誘惑に負けて、不摂生をしてしまった自分に対する申し訳なさも兼ねて。

 勇者としての務めを果たすにも、身体が資本だ。



 帰宅後、すぐに飛田はライブハウス“OFFBEAT”に、電話をかける。


「……はい、遅くなりましたが曲が出来上がりましたので。明日15時頃、伺ってもよろしいでしょうか。……はい、ではその時間ということで、よろしくお願いします」


 書いた楽曲の納品に向けての最終確認を済ませた飛田は、野菜たっぷりの鍋料理作りに取り掛かった。

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